婚約破棄されたわたくしに全てが委ねられた

アソビのココロ

第1話

 ロイルホル王国には『太陽の下の悪夢』という言葉がある。

 唐突な、特によろしくない出来事を意味する言葉だ。

 わたくしにとって学院のスプリングパーティーで起きたそれは、まさに『太陽の下の悪夢』だった。


「カロライナ・メイデンスキル公爵令嬢。私はこの場をもってそなたとの婚約を破棄する!」


 王太子エリオット様の、まるで動揺を感じさせない落ち着いた声がホールに響き渡った。

 一瞬の思考停止の後、その言葉の意味を正確に理解した。

 エリオット様がわたくしとの婚約を破棄する?

 何故? わたくし達はうまくやれていたではないか。


「新たに聖女ヒカリを私の婚約者とする!」


 続く言葉に静まり返った場が騒然となる。

 聖女ヒカリ様?

 莫大な神力を持った、近年類を見ない優秀な聖女とは聞くが、平民ではないか!

 わたくしが無学な平民に王太子妃として劣るとでも?


 厳しい王太子妃教育を三年も受けていることを、エリオット様には評価されていないようだ。

 エリオット様は何を考えているのだろう?

 少々怒りが湧く。

 いけない、わたくしは淑女たるべきなのに。


 大体メイデンスキル公爵家の後ろ盾なくして、王太子でいられると考えているのだろうか?

 独断専行のエリオット様に不満を持つ貴族は多いのだ。

 第二王子ディーン様を担ごうと考える者達に、格好の言い訳を与えてしまうではないか。


 それにしても、エリオット様は聖女ヒカリ様と情を通じていたのだろうか?

 そんな気配も報告もなかったが。

 いや、聖女ヒカリ様も呆然としているようだ。

 ではこれはまたしてもエリオット様の独断?


 王太子の口から発せられた言葉は重い。

 覆され得ないことはもちろんである。


「婚約破棄、確かに承りました」


 わたくしとて高位貴族の矜持はある。

 声が震えぬよう返答した。


 疑問はある。

 懸念もある。

 エリオット様はメイデンスキル公爵家を袖にして地位を保ち得るのか?

 平民である聖女ヒカリ様の王太子妃教育が間に合うのか?

 そもそもこれは臣民の支持が得られることなのか?


「理由をお伺いしても?」

「そなたを捨て、聖女ヒカリを婚約者とした理由か?」

「はい」

「何となく、だ」


 参加者の皆様の失望したような声が聞こえる。

 が、それは違う。

 エリオット様は加護持ちだからだ。


 一〇歳になり神に祝福される聖成式で、数万人に一人、神の加護を授かることがある。

 『聖女』の加護を持つヒカリ様はその最たる例だ。

 エリオット様の加護はほぼ知られていないが、婚約者だったわたくしは知る機会があった。

 『直感』の加護だ。

 普通では到底知り得ない事象や未来を知ることがあるという。


 エリオット様が『何となく』と言った。

 おそらく『直感』で知ったことによる最適解の行動であるのだろう。

 わたくしとの婚約を破棄して、聖女ヒカリ様と婚約することが最適解?

 自分の王太子の地位を危うくしてまで?

 わけがわからない。

 混乱が目に見えているではないか。


 エリオット様が笑顔を浮かべて言う。


「取り乱すことなく受け入れてもらえて感謝する。さすがはカロライナだな」

「いえ。エリオット様の幸せとロイルホル王国の繁栄のためでありますれば。わたくしはこれで退場させていただきます」


 納得できないことは多々ある。

 でもわたくしがこの場にいても、できることが何もないのだけは確実だった。


          ◇


 ――――――――――その晩。


『カロライナ・メイデンスキルよ。少々よろしいかな?』

「ううん……」


 さすがに寝付きが悪かったパーティーの夜、うつらうつらしている時に声をかけられた。

 誰だろう? こんな時に……。

 えっ? 知らない声? 不審者?


『ああ、心配しなくていい。ボクは運命神だよ。君の夢にお邪魔している』

「運命神……様?」

『そうそう。今日のスプリングパーティーは大変だったね。そのまま身体は休めた方がいい』


 なるほど、夢の中のようだ。

 フワフワした、何とも不思議な気分。

 運命神様の姿は見えないが、確かにそこにいらっしゃるという感覚はある。

 口調は軽そうであっても、その言葉は心に深く染み込んでいくようだ。


『君に用があってね』

「運命神様ともあろうお方が、私に何の御用でしょうか?」

『今君は、ロイルホル王国の運命の選択者の立場にあるんだ』

「わたくしが運命の選択者?」


 ロイルホル王国の?

 エリオット様ではなくて?


「わ、わかりません」

『最初から話そう。この世の全ての国はいずれ滅亡する運命にある。何故だかわかるかな?』

「様々な内憂、外患があるからだと思います」

『要因としてはそうだね。もっと簡単にまとめると、統治者の能力が内憂外患を抑えられなくなると国は乱れる』

「よく理解できます」


 つまり優れた統治組織があり、その長もまた優れていれば国は滅びない。


『当たり前のことだけど、発展していくと国の地理的規模、人口規模、経済規模等は大きくなる。外国、諸部族、魔物等との関係も複雑化する。だから統治者にはより高い能力が求められる。どこかでその要求に耐えられなくなるから国は破綻する。これが永遠の国なんてない理由さ。滅びるのは運命だと言い換えてもいい。ここまでいいかな?』

「はい」

『君はどう思う?』

「……人の命が有限であるように、いつか国が滅びるのも仕方のないことではないでしょうか? せめて自分が生きている内は平穏であって欲しいなあとは思いますが」


 今日まで王太子の婚約者であった身に相応しからぬ、自分のことしか考えていない小さい意見だとは自覚している。


『当たり前の感覚だと思うよ。ところがエリオット王子は運命に逆らった』

「は?」

『統治者が優れていれば国は滅びない。少なくとも延命は可能だと考えたんだ』

「そ、それはそうでしょうけれども」

『雑種強勢って知ってるかな?』


 運命神様の耳慣れない言葉に戸惑う。

 話題の転換ではなさそう。


「雑種強勢……とは何でしょうか?」

『簡単に言うと、血の遠い者と結ばれればその子には優秀な者が出やすいということだよ』

「そ、それでエリオット様はわたくしとの婚約を破棄して、聖女ヒカリ様と……」


 おそらくエリオット様は『直感』の加護で雑種強勢について知ったのだ。

 ロイルホル王国の未来のために優秀な後継者を望み、血の近いわたくしではなく聖女ヒカリ様を選んだ。

 ああ、国が滅ぶ未来と雑種強勢を知っていれば当然に思える。


『エリオット王子と聖女ヒカリとの間には、極めて優秀な子が生まれる未来があるんだ。現時点では可能性に過ぎないがね』

「どういうことでしょうか?」

『このままだと明後日、エリオット王子は断罪される。国を混乱させた責任を取らなくてはいけないからね。というかメイデンスキル公爵家が降りたとなると、反対派を押さえられないんだ。王位継承権剥奪の上平民に落とされて、聖女ヒカリとともに王都追放処分になる。当然エリオット王子と聖女ヒカリとの間の優秀な王子がロイルホル王国を統治する素晴らしい未来は訪れない』

「そ、そんな!」

『君の出番だ。エリオット王子の意図と陛下の苦悩を知り、怒り狂う公爵を宥めてエリオット王子支持を表明することができるのは、実際に婚約破棄に遭った君だけ』


 わ、わたくしがロイルホル王国の運命の選択者の立場とは、そういうことだったのですか。

 なるほど、わたくしがエリオット様と聖女ヒカリ様を弁護すれば、事は丸く収まる可能性が高い。

 そしてその場合、ロイルホル王国の発展が約束される……。


『エリオット=ヒカリ統治下の世で君はすごく優遇されるんだ。正しい選択をしたロイルホル繁栄の母として、一生独身ではあるが安泰』

「……ちなみにわたくしが何も行動を起こさないとどうなるのですか?」

『君は新たに王太子となる第二王子ディーンの婚約者となる。将来は王妃となるが、およそ四〇年後に起こる革命で首を落とされる運命にあるね』

「……」

『もっと言うと、その革命で指導的役割を果たす者の一人が、エリオット王子と聖女ヒカリの子だよ。彼は革命政権下で総統となる』


 となればわたくしの選ぶべき運命は……。

 姿の見えない運命神様が笑った気がした。


『さあ、君の選ぶ運命は?』


          ◇


 ――――――――――三年後。


 わたくしが選んだのは第三の運命だった。

 結局エリオット様を救うことはしなかった。

 王位継承権がないと言ってもあちこちに種をばら撒かれては乱の元であると父から奏上してもらい、エリオット様には断種刑が追加された。

 またわたくしからは、聖女ヒカリ様は巻き込まれただけで罪はないので容赦してくださるよう、申し伝えた。


 ……これでエリオット様と聖女ヒカリ様の間に子ができることはない。

 そして特に平民層に大きな影響力を持つ、聖女ヒカリ様を味方にすることができた。


「カロライナ」

「ディーン様」


 わたくしは王太子ディーン様の妃となった。

 ゆくゆくは王妃となる。


 ディーン様はお妃教育の時などに出会うと、いつも労いの言葉をかけてくれた。

 甘やかな笑顔が好みということもあり、昔から密かにお慕いしていたのだ。

 何を考えているかわからないエリオット様よりもずっと。

 そしてわたくしを捨てたエリオット様には意趣もあった。

 流れに任せ、エリオット様の処分に逆らわなかった理由だ。


 ディーン様にはエリオット様のような加護もカリスマ性もない。

 統治能力もエリオット様よりずっと下だろう。

 だからディーン様統治下のロイルホル王国には、革命の起きる未来があり得るのだ。

 しかしその未来とは聖女ヒカリ様を味方にしていることが異なる。

 またわたくしも革命の可能性を知っている。


 エリオット様のようなロイルホル王国の恒久の安寧なんて、わたくしは望んでいない。

 せめてわたくしの生きている間だけ、平和かつ幸せであればいいのだ。

 ああ、矮小なわたくしも王妃の器ではないのでしょう。

 でもせめて自分の幸せのために統治を学び、ディーン様をお支えしよう。


「また勉強かい? カロライナは熱心だね」


 少しでもディーン様との幸せな時間を長く続かせたいから。

 浅ましい心根だ。


「いえ、先日聖女ヒカリ様とお会いした時に、目安箱を作ってはどうかという意見をいただいたのです」

「目安箱?」

「市井の率直な意見を集めるというものですよ」


 少なくとも民草の言葉に耳を傾けるアピールにはなる。

 予算もほとんどかからない。

 良い意見でも出れば儲けものだ。


「ふうん? まあ賢いカロライナのいうことだ。試しにやってみるといいよ」

「ありがとうございます。もし有用な施策でもあれば……」

「うん、父上と宰相にそう言っとくよ」


 ディーン様は政治に興味がおありでない。

 ディーン様だけではない。

 革命の未来を知らなければ、私も大臣達に頼りきりだったのではないか?


 それではいけない。

 ディーン様は王になるのだから。

 ディーン様がその任に堪えないのならば、わたくしが百官を統率すればよい。

 ささやかな幸せのために。


          ◇


 ――――――――――さらに一〇年後。運命神は呟く。


 あの子はボクの提示した未来を拒否し、よりエゴイスティックな運命を切り開いた。

 そして何と何と、ロイルホルの女王になっちゃったよ。

 メイデンスキル朝の創始か。

 素晴らしい、こういうことがあるから人間は面白い!


 幸い夫婦仲は良好のようだ。

 ディーンも向いてない政治に手を出さずにすみ、好きな絵だけ描いてりゃいいんだから万々歳だろう。

 あのカロライナという子は、自分にとって最高の未来を掴んだ。


 今年あの子達の長男が一〇歳の聖成式を迎える。

 運命神たるボクを楽しませてくれた礼だ。

 加護をくれてやろう。

 これで長男の代までは安泰だろう。


 悪夢でない、いい夢を見るといいよ。

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