第33話 大司教
フランが席につき、場が少し落ち着いた頃。
ヴィンセントはオリバーに向かって「あ、ねえ」と声を掛けた。
「アレ出してよ。君たちが持ってちゃった……えーと、証拠品だっけ?」
催促されたオリバーは、ヴィンセントの童のような仕草に対して非常に不快そうな顔をした。
しかし、この男を相手に何を言っても無駄だと諦めたのだろう。ため息ひとつで済ませると、書記に向かって顎をしゃくった。
「おい」
「こちらに」
事前に心得ていたような素早さで書記長はヴィンセントの前に――加菜子も見覚えのある人形を置いた。
「ちょっと確認させて欲しいんだけど」
ヴィンセントは人形の顔がある正面側をお婆さんたちへ見せるように見立てた。
「厄神を封印した人形ってこれ?」
彼女たちは人形を一瞬だけ見ると、まるで二度と見たくないと言うように顔を背けてから頷いた。
「……ああ、間違いない」
そして重々しいため息を吐いて、不安が溢れ出したように口々に言い立てた。
「やはり、封印は不完全だったか」
「アタシらじゃハナっから、力不足だったんだよ」
お婆さんたちの声は悲痛で、罪過を吐露するような響きを持っていた。
「うん、そうだね」
ところが、ヴィンセントはこの次に、軽い口調で覆すような言葉を発した。
「ただ、不完全だったからこそ成功したとも言える」
それを聞いたお婆さんたちは、怪訝そうな顔を浮かべて彼を見返した。
「……どういう意味だ?」
「貴女たちが言った通り、一介の術者が束になっても本来、厄神を封印することなんてそう出来ない。これは厄神に限らず――召喚された対象がなんであれ、その対象を封印する場合は、召喚した術者以上の実力がないと封印出来ない。魔術でなくとも当たり前の摂理だ。……おそらく、坊主頭の男とハロルド大司教はほぼ同格の術師だったんだろう」
ヴィンセントは薄く笑みを浮かべたまま人形を掴んで、刻まれた文字を親指でなぞった。
「それをハロルド大司教は、よく分かっていたよ。はじめからこの容れ物に封印するのは、対象の半分と定めていたんだ」
「はんぶん?」
聞き返したものの、そんなことが可能なのかと加菜子は疑った。
「相手は大厄神だよ? そんな無茶が通るのかい?」
お婆さんたちもさらに訝しそうな、眉唾だと言いたげに肩をすくめた。
「コーンベビーって知ってる?」
しかし、ヴィンセントは問いには答えず、突然そんなことを聞いた。
「は?」
誰もが彼を突飛なものであるように見た。
構わずにヴィンセントは話し出す。
「農民が豊作を祈願し、豊穣の女神にさらなる幸福と子孫繁栄を願う、土着文化だよ。調べてみるとね、農耕の盛んな地域では世界中あらゆる場所でこのような文化があるようだ。――ハロルド大司教は、信者との交流会でたびたび自分の出身地である東北地方の話をしては、これとよく似た人形を持ち出していたみたいだよ。しかし、キルベニアとの国境近くにある彼の故郷は、真っ先に戦火で焼かれ、大戦の最前線となった。戦争が終結した今でも、農耕どころか、人が住めない土地となったそうだ」
怪訝な顔をしていた者たちの中でもとくに壮年期を終えようとしている数人の村人は、大戦を思い出したように視線を落とした。
「彼にとって、魂が流転しないことはどうでも良かっただろう。一神教徒にとって神代の世界でなければ、この世は等しく地獄だと言うからね。けれど、長年、手放そうとしなかったこの人形を使って厄神を封印しようと試みた。これは彼の最後に残った縁、言うなれば自分の証明そのものだ。そんな大事な人形を使うことで、真に全てを捨て去ったことを魔術的に示し――いわば出力と対象をかなり限定する、大願の紋章のような魔法と成り得ると予想したんだろう。そして結果的に成功した」
かなりの賭けだとヴィンセントは笑う。
「家族を喪い、生まれ故郷を離れ、この世の無常を嘆いていた彼が最後に守ろうとしたのは、まさしく終わりゆく人の世だったわけだよ」
お婆さんは口を開いた。
「だからと言って、自分の力を削ぐようなことを厄神がするかい?」
「貴女たちも加菜子へ教えただろう? 容れ物に物が入るのは道理だよ。依代を求めていた厄神が半分しか入らないから、自分の力を削いでしまうからと言って諦める、なんてことは出来ない。けれど、この人形に入るには半分になるしかない。水が流れるのは水そのものの意思ではないように。だから、そこで2つに割れたんだ。厄神の、善性と悪性が」
「善性?」
今度は、オリバーが怪訝な表情で聞き返した。
「厄神、疫鬼は一般的に悪いものとして語られるけれど、同時に神性にも近しい善の側面がある。まァある意味で悪性の方が強かったから、こうしてあなたたちの村は救われたんだ。用意された半分だけの容れ物――人形へ、我先にと悪性が入り、あぶれた善性が消滅する前になんとか容れ物を見つけようと、村へ降りた。そしてちょうど良い、死にかけの容れ物を見つけたんだ」
「……それって」
話の行方を見守っていた加菜子は、ようやく思い至って顔をあげた。ヴィンセントは少しいたずらっぽい笑みで頭を振る。
「偉そうに講釈を垂れ流してはみたけどね、実を言うと逆なんだよ。魔女たちから黒猫の話を聞いたことで、やっと僕も確信が持てたというわけ。不完全な召喚、半分しか入れない封印によって、疫鬼と厄神は完全に混ざり合ったんだと」
そう言ってヴィンセントは一旦話を終えた。
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