第15話 訓練 1
訓練が始まったと思ったら、今度も家事手伝いをさせられた。
しかも大晦日にしかやらないような大掃除と大物家具の移動ばかり。
あまりの過重労働に加菜子がへろへろになり、フランを返すのが早かったと彼女が後悔した辺りで、お婆さんは言った。
「うん、そろそろ頃合いかね」
加菜子をリビングテーブルの真ん中に座らせて、目の前に何かを置いた。メタリックなじょうろのような形をした……何だ?
「魔術装置さ」
お婆さんたちは自慢げに言った。
「これは昔、魔女の髪が高値で売れると聞いてアタシを攫い売り飛ばそうとした不届者をこの世の地獄送りにした後で盗ん……頂戴した代物だよ」
実に魔女らしい酷薄な笑みで説明した。
「いま盗んだって言った?」
「良いから集中おし!」
突っ込んだ加菜子の背中をひと叩きした。
「これだけでは意味がないんだ。動力源となる魔力や星導力、神力なんかのエネルギーを与えることで初めて使える。今回はアタシらが引き上げた星導力をカナコへ流すから、アンタはその力をこの装置へ流すんだよ」
加菜子は魔術装置を見下ろした。
「で、できるかな」
「大丈夫さ」
思わず弱音を吐いた加菜子の両肩に柔らかい手が置かれた。
「出来るようになるまで、じっくり付き合ったげるからね」
お婆さんたちはふふふと含み笑いを見せた。
「ひえ」
その圧力に加菜子は心臓をキュッと掴まれた気がした。
すっかり陽が暮れた頃。
加菜子はソファーへ倒れ込んでいた。
迎えに来たヴィンセントが面白そうに加菜子の頬を突く。
「大丈夫? 生きてる?」
「しんでる」
ヴィンセントの指をベリっと引き剥がして加菜子は、その手すら回収できずに諦めた。
「わたしは、しかばね。歩けない死体……」
「楽しそうなことやってるねぇ」
このやつれた姿が全く見えていないのかと加菜子は嬉しそうなヴィンセントを睨んだ。夕食の支度に取り掛かっていたお婆さんたちがやれやれと呆れたように笑った。
「まあ、器の開閉なんて一朝一夕で身に付くことじゃないから。今日はもう疲れたろう、泊まって行くと良い」
「だってさ、加菜子。僕たちはまだ調べ物があるから宿に戻るけど、加菜子は好きにしな。ちなみに今日の夕飯は?」
「ビーフシチューだよ」
お婆さんの言葉を聞いて加菜子は目を見開いた。
「泊まる」
ヴィンセントはフランに伝えておくねと言い残して宿へ帰り、少しして夕食の時間となった。
「美味しい!」
加菜子が素直にそう言うと、お婆さんがやれやれとため息をついた。
「ババアに世辞を言ってどうすんだ。おかわりとデザートのチーズケーキしか出ないよ」
「予想以上に至れり尽くせり……」
加菜子は嬉しさと驚きで感嘆の声を上げた。
久々に誰かが作った家庭料理を口にした。久しぶりに誰かのおしゃべりをBGMにご飯を食べた。お婆さんたちは村や町、果ては隣村の噂話に余念がない。
思えば、ヴィンセントの館で暮らし始めてから彼らとこんな長い時間、離れたのは初めてかもしれない。ヴィンセントがいない時はフランが、フランがいない時はヴィンセントが常に加菜子の側にいた。
今は少し開放感を感じてる。
先ほどフランにはああ啖呵を切ったものの、言葉にして初めて加菜子は自分が窮屈さを感じていたと気が付いた。大学生の頃バイト先で出会った自称オタクのゆきちゃんが見たら「逆ハーだ!」って言い出しそうな現実離れした器量良しの2人だが、加菜子個人ではなく渡り人、空の器への監視であり彼らの責務でもあった。
いつか自由に1人で外を出歩ける日が来るだろうかと、加菜子はもう一口ビーフシチューを食べながら思った。
「腹がひと心地着いたら、今日の最後にもう一度やってごらん」
チーズケーキとハーブティーをちらつかせながらお婆さんが言った。
「食べ物で釣ろうとしても、もう指一本動かせないですよぉ」
しっかり目で追いつつ加菜子は口を突き出した。
「そりゃちょうどいい」
お婆さんがテーブルに盆を乗せてニヤリと笑った。
「肉体への力を遮断したいからね。普段が力まず倒れもしない万全な状態だとすれば、余計な力が肉体に込められない状態の方が良い。特に魔術を鍛錬したことない人間、霊脈を目にできない人間はどうしても物質頼りになる。火事場の馬鹿力って言うだろう? 普段使わない眠っている力、感覚を呼び覚ますんだよ。それには躰に力が入らないくらい疲れるか、ハイになるくらいがちょうどいいのさ」
「だから大掃除させたんだ……」
「あれはね、面倒だからついでにやってもらおうと思って」
お婆さんがしれっと答えた。
加菜子の背中にお婆さんの手が添えられた。
「あたしの手に集中しな」
最初は少し暖かい程度の温度だったのが段々と熱くなっていくような気がした。
(そんなまさか)
内心で笑った。
「自分の感覚を否定しないで、見守りなさい」
まるで覗いたようにお婆さんが注意した。
加菜子は頭を振ってからもう一度背中に当てられた手へと意識を向けた。
暖かい、熱い。手のひらからぐんぐんと加菜子の躰の方へ厚みを増す気がした。
温かさが注がれる感覚を否定しない。
「もっと力の流れを意識するんだ。掴んだら、それを誘導するイメージで」
加菜子は喉を鳴らした。
掴む、掴む、掴む。
体内でひらひらと揺蕩うものを掴む。
それをゆっくりと引き上げる。
「そう、それで良い。さあ今度は外へ出してみるんだよ」
加菜子は慎重に一度呼吸を整えて、掴んだそれを浮上させる。
柔らかく繊細なものを海面に引き上げるよう。
やぶかないよう、壊れないように。
加菜子は目を開いた。
目の前の微動だにしない魔術装置へコードを繋げるように伸ばした。
じょうろのようなそれが光った。
「出来たじゃないか!」
お婆さんたちが声を上げて喜んだ。
加菜子もなんだか嬉しさが込み上げた。
「良かったねぇ、これで次の段階へ進めるよ」
「え」
よろこびも束の間、加菜子は笑顔のまま目を瞬かせた。
「アンタ、これが何の為の訓練か忘れたのかい? 魔術道具を使えるようになる為じゃないだろ。アンタの器を自分で操れるようになる為だろう」
「は、そういえば」
加菜子は口元を抑えた。
「明日からはもっと過酷になるからね」
両肩に柔らかい手を置かれる。
「ひえ」
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