第2話 魔女の村 1
祖母が亡くなった。
春の終わりのことだった。
その遺骨を抱えた二十歳の中森加菜子は異世界へやって来た――が、それはもう半年以上前の話であった。
魔獣に襲われたり人攫いに捕まったり、自称稀代の天才魔術師に出会って2人で世界中を旅したことなんかは、ひとまず割愛する。
現在、加菜子はモンブソン王国にあるかの魔術師の館で雑用係として暮らしていた。
モンブソン王国は西から東のほとんどを複数の国家と接し、南は温暖な海洋に面した資源豊かな国だ。
だが40年前の世界大戦から魔術大陸の勢力図は大きく変わった。資源乏しい北西のリヴィニース国は技術革命によって超大国へ押し上げられ、北東の高貴な血と魔術によって国家を強くしていたキルベニア王国はのちに続く内戦により議会制へと取って代わり、モンブソン王国自身も現王より2世代前から立憲君主制へと移行した。
しかし、そんな激変する世界情勢などとは切り離されたように穏やかでのんびりとした時間がこの村には流れている。
加菜子は今、ある調査のために訪れた村で家事を手伝っていた。
1人のお婆さんが加菜子に声を掛ける。
「カナコ、終わったらこっちにちょうだいね」
「はーい」
最後のジャガイモをボウルに入れて加菜子は立ち上がった。
村の中心からやや離れたところにあるこの家は、外壁の石壁と打って代わり中は優しい木の温もりで溢れている。家の中ではいくつになっても楽し気なお婆さんたちの声で賑やかだ。
ダイニングテーブルで食器を磨くお婆さん。
その隣で胡桃を剥くお婆さん。
大きな暖炉の前で編み物をするお婆さん。
つんできた薬草を紐で括るお婆さん。
料理をするお婆さんと、それぞれ忙しく手を動かしながらおしゃべりを続けている。
一方台所の隅ではフランが木箱に座わり黙々と皮剥きをしていた。
加菜子は台所に届ける予定のボウルを抱えてフランの目の前に立った。拳ひとつ分だけあけて爪先をつき合わせ、彼のつむじをじっと見下ろす。フランが身じろぎするたびに鈍色の銀髪がサラサラと流れた。
(こいつのことだから、ろくに手入れとかしてないんだろうな)
こちらの世界に来てから手触りの悪くなった自分の髪を思い出し、加菜子はフランを睨むように視線に力を込めた。
すると加菜子の期待通りフランがやや不快そうな表情で顔を上げた。
ニッと笑みを浮かべた加菜子は大量のジャガイモが入ったボウルを見せつける。
「……ふふん」
加菜子の得意気な顔を見たフランはため息をつき、無言でナイフを持ち変えると背後の山と積まれた皮剥きずみのジャガイモのボウル(×2)を見せた。
与えられた時間は同じだったはずなのに圧倒的な差が生まれている。
加菜子は「嘘っ」小さく叫んだ拍子にうっかり落としかけたボウルを抱きしめた。
「ハッ」
フランは綺麗な顔に嘲笑を浮かべて鼻で笑い飛ばした。そうして、悔しがる加菜子を下から見上げて口角を上げる。
彼はフラン・ユナヴァ。加菜子を助けた恩人である魔術師の一番弟子で、何かと加菜子を敵視する少年――いや青年だ。
ムカつく気持ちを振り払い加菜子はキッチン台にボウルを置いた。
「皮剥き終わりました!」
「はい、ありがとう」
ちょうどオーブンから離れたお婆さんが加菜子にトレーの上を見せた。
「わあ美味しそう」
焼き立てのクッキーやスコーンの甘く香ばしい匂いが広がり、加菜子は顔をほころばせた。
「そいじゃ、ティータイムにしましょうかね」
お婆さんは加菜子の反応に満足そうに頷くと、手を叩いて呼びかけた。
「みんな、準備してちょうだい!」
他のお婆さん達はすぐに立ち上がりテーブルの上を片し始める。慣れた手つきでクロスを変え、戸棚から人数分の食器とカップを取り出して並べてゆくのを加菜子も手伝った。
「ほらアンタも隅にいないで、こっちにいらっしゃい」
お婆さんに声を掛けられたフランは無言で頷いて加菜子の隣に腰を下ろした。
「さ、頂きましょ」
皆が席に着くとお婆さんたちは紅茶を注いだカップとお菓子を配り始める。
「ホント何度見ても綺麗な顔ねえ」
フランの隣に座ったお婆さんが紅茶を渡しながら彼の顔をまじまじと見て嘆息した。
「こんな整った顔は王都でも滅多にないよ」
「目の保養だわ」
他のお婆さんたちも同調するように頷き合った。
鈍色の銀髪と翡翠の瞳を持つ彼は、ビスクドールのように整った容姿をしている。
フランは照れたり困ったりする様子もまるでなく我関せずといった顔で自分に送られる賛辞を流していた。
加菜子はフランの横顔に呆れた視線を送った。
(澄ました顔ちゃって)
加菜子とフランは出会った時から犬猿の仲で顔を合わせれば皮肉の応酬ばかりだった。
だが加菜子はフランを一目みたときたしかに彼の美しさに見惚れてしまった自分がいたのを覚えている。それを思い出すといつも苦い気持ちになるのだ。
気分を落ち着かせるように紅茶を一気に飲み干した。
すると焼き菓子を焼いてくれたお婆さんが「あらあら」と笑って加菜子に紅茶のおかわりを注いでくれた。
「カナコも十分可愛いんだからそんな険しい顔しないのよ」
「そうそう、若い子がいるだけでアタシ達までハリが出てくるんだもの」
ねえと、彼女たちは目を妖しく輝かせて一人が加菜子の手を包んだ。
「見目が良ければ肝も良いんだから」
「若い子の肝臓は一番のアンチエイジングになるわ」
「心臓ならなおベスト」
お婆さんたちはフランと加菜子を見つめ、うっとりとした表情を浮かべた。
「……」
加菜子は掴まれた手をそっと引き抜き、無言で隣のフランの影に隠れるように身を引いた。
「あらやだ、冗談よ!
彼女たちは楽しそうに付け足したものの加菜子は乾いた笑いを浮かべるだけにとどめた。
そう、ここは魔女の村。
昔、死の森と恐れられた谷に作られ魔女だけが暮らす集落だった。
焼き菓子を作り編み物をし薬草を乾燥させ胡桃を剥くお婆さんたちは全員、魔女だ。
もともと山あいにある集落で交流の乏しい場所だったが、戦後に一般人を受け入れ一部を切り拓き麓の町に鉄道が通ったことで今では観光を謳っている。
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