第10話 黒猫堂
◇
宿の一階にある食事は夕方にならないと開かないというので、お婆さんたちから聞いた店を尋ねてみた。
「新しいカフェ? ああ、それなら向かいの黒猫堂さんのことだろう」
気安い宿の主人が通りに出て指差して教えてくれた。
白い石垣とレンガを組み合わせた可愛らしい店構えだ。
木の扉を開くとドアベルが心地良い音を立てて来客を知らせる。店内はよく磨かれた飴色の床に太い梁が目立った。
カウンターで手作業をするメガネを掛けた青年と目が合った。
「いらっしゃいませ、どうぞお好きな席へ」
カウンターの向かいにある小さなテーブル席へフランと向かい合わせに座った。
早々にランチプレートを食べ終えて、先ほどの青年――マスターが珈琲を作る蒸気音をBGMに加菜子は店内を眺めた。落ち着いた雰囲気のカフェは内装や調度品に長い時間をかけた美しさを宿しているようで、さながら老舗の純喫茶の趣がある。
「ここって最近オープンしたばかりですよね?」
「はい」
加菜子の疑問にマスターが不思議そうに首を傾げた。
「えっと、どれも大切に使われてきたものばかりみたいで、素敵だなと思って」
加菜子がそう言うと、彼は合点のいったように「ああ」と頷いた。
「自分たちで改築したんですよ。ここは元々、王都の大商人が休暇用に設えたささやかなアトリエ兼別荘だったようで、小さな建物と蔵が併設してあったんです。長い年月をかけて何人かの所有者へ渡りましたが、去年売りに出されていたのを購入しまして。ただ蔵の方はいつかの天災で半壊状態だったので、使えそうな梁や柱を運び出して、内装に使っています」
建物の昔話を語りながらマスターが柔らかな所作で湯を注ぐ。珈琲の香りが広がっていった。
「あとは、そうですね……骨董集めが僕の趣味でして。そのせいでしょうね」
2人分の珈琲と小皿を盆に乗せてマスターは運んだ。
加菜子たちの前にクリーム色した丸い菓子がひとつずつ置かれた。
「食後の珈琲とおまけのデザートです。お向かいのケーキ屋さんで作られた『名物・魔女まんじゅう』ですよ」
「おまんじゅう?」
この世界に来て初めて聞いた懐かしい響きに加菜子は目を瞬かせた。
「実はまだ試作段階らしいので、これから名物になる予定です、きっと。……ところで、おふたりは観光……じゃあないですよね?」
「えっ? あ、はい。調査で来ていまして」
加菜子は内心ドキッとした。
マスターからは軽い好奇心以外何も感じられないが、それほど自分とフランはぎこちないだろうか。
少し不安げな加菜子の瞳に気が付いたのか、マスターは慌てて顔の前で手を振った。
「ああ、いや。お連れの方が魔術師のように見えたので、お仕事かと」
マスターはフランを見ながら自身の胸元をトントンと指差した。
加菜子の向かいに座るフランは「エンブレムか」と納得したように呟く。
魔術師が国家資格を有する証としてネックレス型のエンブレムをいつも身に付けているという話は、加菜子もヴィンセントに聞いた。
だが見た目は銀色の小さな四角いただのネックレスで、一見してすぐにそれとは分からない。
同じように考えたのかフランが尋ねた。
「身内に同業者でも?」
「――ええ、まあ。弟がそうなんですが……」
マスターは言い篭った。苦い熱湯を飲まされたような表情をしている。
するとフランが察しがついたように目をすがめた。
「あまり仲がよろしくないと」
「……お恥ずかしながら。僕はあれが何を考えているのかさっぱりで」
マスターは苦笑いで恥じ入るように頭をかいた。
「実は、疎遠になってた弟からこの店の話をしたら一度行ってみたいと連絡が来たんです。予定では3週間前に到着する筈だったんですが、今頃どこをほっつき歩いているやら」
「3週間も連絡がないんですか? 心配ですね」
加菜子がそう言うとマスターは笑った。
「いえ、昔からそういう奴なんですよ。頑固で熱し易く冷め易い、じっとしていられない奴で。何考えてるのかは分からないけど、行動原理は単純なんです。好奇心の赴くまま好き勝手歩いてるんでしょう。――まあ、それで魔術師さんを見ると弟を思い出してしまったわけで」
加菜子は意外な思いでマスターを見る。
彼のように穏やかで職人のように落ち着いた雰囲気を持つ人でさえ家族というものは難しいのか。
珈琲に口を付けたフランが続けた。
「魔術師は幼少期から才能のある人ほど、周囲の人間と上手くいかないことが多い」
「どうして?」
「見えてる世界が違うんだ。魔術の根幹に深く潜るほど乖離が大きくなって周りはついていけなくなる」
フランが加菜子の問いに答えた。するとマスターは実感を持ったように深く頷いた。
「ええ、弟もおそらくそちら側だったのでしょう。僕たち家族は誰もそれを理解してやれなかった。今だからこそ、言えることですが……」
「よほどの名家でなければ、身内と縁遠い魔術師なんてごまんといる」
仕方ないとフランが肩をすくませた。彼なりにマスターを励ましているつもりだろうか。
加菜子は目の前に座る史上最年少で魔術師になった青年を見た。
「……あんたも?」
「さあ?」
嘲笑、とやや違う皮肉めいた笑みでフランは加菜子の問をはぐらかした。
「あ、えっと……すみません。僕の無駄話に付き合っていただいて。おふたりはしばらくお向かいに宿泊される予定ですか?」
マスターは明るい口調で話題を切り替えた。
「しばらくは」
「でしたら代わりというわけではありませんが、滞在中にお手伝い出来ることがあれば仰ってください」
「ありがとうございます。……早速なんですが、山の上の寺院について何か知っていますか?」
マスターは記憶の糸をたぐるように視線を斜め上に向けてそういえばと2、3回頷いた。
「たしか大勢の方の亡くなった事件だとか集団自殺とかがあったと聞いたような。ははあ、その調査をされてらっしゃるんですね?」
「はい」
彼は困ったように笑った。
「そうでしたか。僕は常連さんから噂話を聞いた程度で疎くて。フーゴの方が詳しいんじゃないかな」
「誰ですか?」
「ここの経営者ですよ。学生時代からの友人で、ここを共同で出資してますが、僕は経営に関してはからっきしなので任せてるんです。それに自警団へ入って交友関係も広いから僕より詳しいと思いますよ」
ただ、と申し訳なさそうにマスターが続けた。
「フーゴは今、街へ買い付けに行っていまして。帰りは三日後の午後になるかと」
一応フランを見ると彼も了承したように頷いた。
「では、また伺いますね」
加菜子は珈琲を一口飲んでから食後の魔女まんじゅうを齧る。
口の中へ広がる甘さに意外な驚きを覚えてつぶやいた。
「カスタードだ」
◇
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