第10話
旦那様のお屋敷……その中での生活は、初日と変わらず歓待されている。
五日ほどが経ち、それにも少しだけ慣れてきた。
と言っても、お部屋の中に居るだけだけど。
何もかもを侍女達にしてもらえるから、部屋を出る必要がない。
基本的にはヒルダとリリアが面倒を見てくれている。
他の侍女も出入りするけれど、二人が指示を出した時に来てくれる程度だった。
ただ、旦那様は日に一度……お顔というか仮面姿を見せてくれるだけで、すぐに仕事に戻ってしまう。
結婚生活とはこういうものかと安堵した部分と、何もしないのが不正解だったらどうしようという不安とで、心が揺れていた。
自主的に何かをするのが役目だとしたら、私はもう、不合格一歩手前なのではないだろうか。
あと、もうひとつは……。
ヒルダとリリアを見ていると、どうしてもリザのことを重ねてしまって、物憂げな気持ちになってしまうという……自分ではどうしようもない感傷に落ちてしまうことに、困っていた。
心配されるので、あまり悲しい顔はしたくない。
けれどやっぱり、日を重ねるほどにこの気持ちを押し殺せなくなってきている。
私のせいで……私に魔力が無かったせいで、リザはクビにされてしまった。
それが申し訳なくて、そしてそれでも、一目会いたいという気持ちが膨れ上がって抑えられない。
離れた所から貴雀会を立ち上げてまで私を支えてくれた彼女に、一度でいいから。
……旦那様にお願いしたら、探してくれるのではないかという甘えが湧き上がる。
でも、買われたに等しい身で、こんな生活までさせて頂いているのに、さらにお願い事なんて出来るはずがない。
そう思っていたけれど――。
結局、ヒルダにもリリアにもバレていて、旦那様が話に来るという事態になってしまった。
「本当に元気がないな。どうした。何かあれば何でも言うといい」
ヒルダとリリアも見守る中、私は旦那様にこう言われた。
「いえ……なんでもありません」
向かい合うソファにお互いが座り、面談のような診察のような、旦那様からの問いに言葉を濁すという時間が流れていた。
「何でもないという顔でもないだろう」
「……話して怒られるのは……嫌です」
両親になら、こんな言い方をしたところで怒鳴られて終わりだけど、旦那様ならばどうなのだろうと、甘えさせてくれるだろうかと期待を込めてしまった。
「まどろっこしいな」
だけど少し、イラつかせてしまったかもしれない。
「あの、怒らないでくださいね?」
「……杞憂だ。話せ」
「その……本当に?」
「俺はこうして話が進まん方が嫌いだ」
心底から面倒臭いという態度で、短く強く言い放たれた。
「すみません……」
やっぱり、リザを探して欲しいなどと時間もお金も掛かることを、図々しくもお願いするなど出来ない。
「いや、すまない……強く言い過ぎたな。とにかく話せ。勝手に思い詰めて最後に暴走したり、裏でコソコソとされる方が、よっぽど悪い結果になる」
(あ……)
これはきっと、ご両親の事を言っているのだ。
毒殺されそうになって、それを返り討ちにした――その一場面だけの話ではなかったのだろう。
「はい……。わかりました。それでは、私のお願いを申し上げます」
そうして私は、リザと貴雀会の話をした。
可能であれば――リザを探して、リザと貴雀会の四人を、私の侍女に雇い入れて欲しいのだと伝えた。
この人なら、それだけの力がある。
「――雇うのがダメでも、一目会いたいのです」
「浮かない顔で、ため息ばかりついていたという理由がそれか」
「すみません」
旦那様の表情は仮面で分からないけれど、声色は優しくなったように思う。
「ここの侍女どもが、何か嫌がらせをしたなどということは?」
「そんな! とんでもなく優しくしてくださっています!」
「そうか。だがアニエス。家臣にその言葉遣いは無用だ」
せっかく旦那様は優しい口調だったのに、また冷たいものに戻ってしまった。
「そんな……。私にとっては、皆かけがえのない方ばかりですから」
「役割を違える馬鹿が混じっていたらどうする」
「それは……」
「ふむ……どうせ、自信がないのだろう」
「……はい。でも、外では気をつけろということでしたら、気をつけます」
「そういえば貴族教育を受けられなかったのだったな。教師もつけてやろう」
「本当ですか? ありがとうございます」
――教師も、ということは、リザのことも探してもらえると考えても、いいのだろうか。
「今からとなると、かなり詰め込まれるだろうが覚悟はしておけ」
「はい。がんばります」
「……それで、リザと貴雀会だったか」
やっとリザの話に、戻ってくれた。
「……それなんだがな」
「え?」
急に、そしてその話で、雲行きの怪しい雰囲気を出さないでほしい。
「もしかして、そのリザという侍女は、雀の家紋、ステイマール家のリザか?」
五歳で離ればなれになったから、教えてもらっていても覚えていない。
けれど――。
「家名は覚えていませんが、雀といったら、そうなのかもしれません!」
私がそう言うと、旦那様は仮面の中でクックックと笑った。
「リリア。リザはこの二日ほど前に、体調が戻ったのだったな?」
「は、はい。お陰様で、侍女長は今日から復帰しております」
「だそうだ。アニエス。会いたいなら呼んでやろう」
話が、頭の中で繋がってくれない。
(リザ? 侍女長? 二日前までどこか悪かった……)
リザは、病気をして看病してもらっていた?
「ここに居るんですか! リザが?」
**
ヒルダがリザを呼びに行っている間、興奮気味の私をリリアがなだめてくれていた。
「さぁ、お茶を飲んで少し目を閉じましょう」
鼻に詰められたちり紙のせいで、お茶の香りは分からなかった。
「興奮して鼻血を出すなど、子供みたいなやつだな」
旦那様はにやりと笑いながらも、どこか呆れているように見える。
「……すびません」
『――アニエス様!』
「っ!」
扉の向こうから、私を呼ぶ声が聞こえた。
「アニエス様ぁ!」
扉をバンと開いたその人は、私の名を叫びながら取り乱したような様子で入って来た。
「リザです! アニエス様、よくぞご無事で――!」
ソファに座ったまま硬直してしまった私に、彼女は体当たりの勢いで飛びついた。
「リザ? リザなの?」
ぎゅうときつく抱きしめられて、顔が見えない。
けれど、その珍しい赤毛はリザのものだ。
「侍女長っ、侍女長っ。旦那様の前ですよ。それにアニエス様が苦しそうです」
リリアがあわあわとしながら、リザを窘めようとしている。
「ハッハッハ。構わん。久々の再会じゃないか。俺をダシに使ってまで助けたがっていたアニエスに、ようやく会えたのだからな」
「えっ?」
話が見えないようでいて、なんとなくその恐ろしい話の筋が見えてしまったような気がする。
「そ、それは内緒のはずでは、旦那様」
リザがバッと振り向き、旦那様に文句を言った。
「どうせ、なぜ私を選んだのかと問い詰められるだろう。俺は隠す気などないぞ」
やっぱり、そういう事だったのか。
でも、旦那様は本当に結婚までしてくれて……良かったのだろうか。
「そんなにはっきりと仰らなくても! 私のアニエス様の前だというのに」
「当の本人は、あまり驚いておらんようだが?」
「……いえ……驚いてますけど……。リザ? あなた、予想通りならなんてことしたの?」
鼻血用のチリ紙を「あらあら」とリザに取ってもらい……。
聞かされた事の顛末は、本当に恐ろしいものだった。
それに乗ってくれた旦那様には、感謝しかないのだけど。
――リザは私の家をクビになった後、旦那様が英雄と呼ばれるのではないかと噂されていた時に、この家に転がり込んだ。
選んだ理由は、実力のある辺境伯家である事と、私と年の近い旦那様が居た事の二つらしい。
侍女としての働きぶりで名を覚えてもらい、まずは当時まだ十一歳だった旦那様付きになった。
同時期に、それまでの間に実家の援助を受けて『貴雀会』という侍女の集いを立ち上げ、私の実家に『私を支えるための間者』を送り込んでくれていた。
あの四人のことだ。
それから、少年だった旦那様には少しずつ、各令嬢からの婚約申し込みが殺到する前に刷り込みを行っていった。
「今から婚約者を決めてしまったら、相性が合わなかった時に……一生後悔しますよ?」と。
何の相性だと聞かれる度に、もう少し大きくなれば、こっそり教えて差し上げますと焦らしながら。
観察眼に優れたリザは、それから数年経った頃に商売女を数人雇い入れた。
特に演技力のある三人を。
もちろん、そのお金は実家の援助を受けていたらしい。
そして、性に目覚めつつあった旦那様に、その女性達をあてがったのだという。
「従順かつ羞恥心を忘れず、素直な娘を演じ続ける事」
そう厳命して。
その策は見事に嵌り、旦那様は婚約者を選ぶことはなかった。
貴族令嬢ともあれば、ほとんどの者は気位が高い。
その淑女達が、商売女のように最初から男を喜ばせられるわけがないから。
「一生の相手なのだから、相性は本当に大切ですよ」
そう聞かされ続けていたら、おいそれと婚約するわけがない。
しかも、私の噂話も刷り込んでいたのだから、本当に恐ろしい。
「ヒルミダ家の令嬢アニエス様は、とても可憐で素直な娘だと噂されている」
他にも従順だの一途だの、何度も何度も刷り込み続けた。
リザは、私をヒルミダ家から救い出せるのは、この辺境伯家のゼラトア様しか居ないと考えての事だった。
――正直、やり過ぎを通り越していて、その計画に引いている部分もあるけれど。
そのくらいにリザは、ずっとずっと私のことを考え続けてくれていたのだ。
さらには、魔力無しと判定された私の魔力のことも色々と調べてくれていたらしい。
その調査の結果は、『貴族同士で生まれた子に魔力が無いなど、ありえない』というものだった。
だからリザは、判定は何かの間違いで、きっと私にも魔力があると断定したのだという。
そう信じたリザの、人生をかけての策だった。
私にも魔力があるというリザの話を信じて、旦那様は乗ってくれたから。
だから、もしも魔力無しの役立たずだった場合、殺されても文句は言えない。
――という話を、リザと旦那様の二人から聞かされた。
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