ケモノガカリ~ファンタジー世界の嫌われ者~

山十 翔

智ノ遺産

第1節『吉との遭遇』

或、面倒な野兎【ジンテツ・サクラコ】




 “人外„――――人類とは異なる進化を辿りって生まれ出でた生命体の総称。


 例えるならば、幻想を求める妖精。

 例えるならば、情熱的な春風の獣。

 例えるならば、夢を見る孤独な魔竜。

 例えるならば、人類を超越せし人類。

 例えるならば、神意を尊ぶ天の遣い。


 それ等は人類とかけ離れた存在でありながら、人類となんら遜色のない生活を営む。

 時に可愛らしく。時に猛々しく。

 自由に大空を這い、気儘に大地を駆け、悠々と大海を漂う。世界の果てに至るまで、此処彼処ここかしこに棲息している。

 とある森、冬なのにも拘わらず純白のヒマティオン姿の人兎属ワーラビットが一人――――否、正確には一羽。

 耳が兎のもの以外は、肩までない髪と瞳が墨のように黒い人類ヒューマンと変わらないシルエットで、背が高く、右頬に濃い切傷の痕が付いていながらも、気にならない程に絶世の美女と見紛う麗貌の持ち主だ。

 左の腰には白鞘と花弁の鍔の刀の二振りを差し、首に数珠で繋がれた翡翠色の小さな鈴を下げていた。

 彼の名はジンテツ・サクラコ。ここミスリル大森林に暮らしていて、散歩をするか寝る以外にやることの無い暇な人兎である。

 そして彼は今、冬眠に出遅れてしまい凶暴化した巨岩のような羆に遭遇していた。

 野兎と羆。食物連鎖では歴然の差である捕食者と被捕食者の関係。加えて、羆の方は冬眠の時期に遅れたことで、飢えからくる衝動を抑えられず、血で濡れた口元に唾を滴らせている。

 即ち、最も危険な状態にある猛獣に出会ってしまったのだ。

 本来であれば、生存本能に従って死んだフリか悲鳴を上げて逃走を図ろうというものだが、このジンテツ・サクラコという野兎は一歩も引かないどころか微動だにしていない。

 恐怖を全く感じていないのだ。

 彼にして見れば、薬草採取で出歩いていたら偶々絡んできたチンピラも同然なのだ。ナイフをちらつかせて、自分の方が強いんだからひれ伏せと吠え散らかしている三下。

 身重の雌熊であれば多少は融通を利かせた対応をしてやるものの、こういう輩は単純に邪魔でしない。

 取り敢えず、右の足首を軽く振って髪を掻き上げては睨んで威嚇してやると、羆は咆哮を上げて全力疾走で向かってきた。ナイフのような鋭利な爪を立て、カミソリのような立派な牙を剥いて飛び掛かってくる。

 ジンテツはタイミングを見計らって右足を振り上げ、


「おんどりやァァァァァァァァァァァァ――――ッ!!!」


 羆の顔面――――特に鼻っ柱を叩き折るように――――を狙って天下の上段蹴りを喰らわせる。骨にヒビが入る感触を足の甲で感じながら、そのまま地面に叩きつけて一蹴確殺ワンキック・ノックアウト

 羆は泡を吹いて力無く伸びている。

 確認したら、木の実を置いて去る。腹の足しにはならんだろうが、少しは長く生きられるだろうと思って。

 所詮この世は弱肉強食。これ以上もこれ以下も無い。餌にしたければどうぞお好きにすればいい。但し、襲ってくるというのならば、『敵』と見なして徹底的に抵抗する。――――これが、ジンテツ・サクラコという野生動物の“流儀スタンス„である。

 例え、生命の恩人であろうと、生みの親であろうと、一国の姫であろうと、一切合切の例外・・は無し。



 ++++++++++

 


「ったく、落ち着きが無いったらありゃせんわ。めんどクセェ」


 冬のミスリル大森林は瑞々しいの一言だ。

 俺は暑いのも寒いのも平気だし、年中何かしら植物が生き生きとしているから食糧にも困らない。しかしながら、それは妙だ。

 最近、動物達の様子がおかしい。ここ一年で、北東辺りなんてめっきり数が少なくなった。昼下がりになっても、小鳥の囀りが一つも聞こえてこない。動物の気配がほとんどしないのは、寂しくて息が詰まりそうだ。

 いつもと違うってだけで、軽くストレスが掛かりやがる。どうせなら、俺も冬眠してやり過ごしたいよ。

 取り敢えず、今日の分の薬草が取れたから森の奥に行く。ミスリル大森林を管理している、言うなれば縄張りの主みたいな奴がいる。

 森精ドライアドっていう格式高い人外らしいのだが、今は病床に臥している。俺は薬になる野草を採って回っては、適当に調合して治療している。

 今日は効きのいいやつが手に入った。近頃、咳が酷くなってたから、これで少しは回復してくれればいいんだけど。

 方角にして南。数々の結界を張り巡らして部分的に迷いの森にして、自身の身を隠している。力が弱まっているのか、はたまた特別に許可されているのか、俺はただ真っ直ぐ歩いているだけで一際太く、何本もの幹が組み合ったようは大樹のもとに辿り着く。

 森精ドライアドはここで生きている。つーか、大樹そのものか。


「よ、カルス」


 幹が解れて枯葉色の萎びた長い髪の女が現れる。葉っぱと蔓で出来たドレスを着ているのだが、生気が無くて緑が濁っている。


「ジンテツですか? ご苦労様です」

「なんか、また声枯れてない? 肌も老けちゃって」


 カルスの頬に軽く触れると皮膚の感触が固かった。初めて会ったときはもっと潤いがあったのに、随分弱ったな。


「調子、悪いの?」

「そうですね。最近、森が慌ただしいですから、どうにも空気の流れが所々滞っているようで」

「それで病状が悪化してるって? 冗談はよせ」


 髪も少し刺激を与えれば崩れそうだ。滑らかな手触り、好きだったのにな。――――ざけやがって······。

 取り敢えず、薬の調合に取り掛かる。

 近くの泉から水を掬い取ったら、全力全快で石を打ち合わせて積んだ枝葉に着火。息を絶え絶えにしてまでも灯した火に、鉄の盃を乗せて水を入れる。

 薬草を刻んで、搾って、まぶして、注いで。あとは湯煎した盃に溶けにくいものからぶちこむ。

 必要なのは薬草そのものというよりは、葉や根っこから取れる出汁がポイントだ。誤って材料をそのまま入れたりしたら、カルス共々毒霧によって天に召される。

 匙でかき混ぜつつ、材料を全て入れたら十分程度ボーッとする。そしたらまたかき混ぜて、色が緑から鮮やかな赤に変色すれば器に移して、俺ブレンドの『よく効く薬茶』の完成である。


「一人で飲めそ?」

「ごめんなさい。指を動かすのも辛くなってきました」

「そうかい。しゃーないな。熱いから気ぃつけろよ」

「お手数お掛けします」


 カルスに薬茶を飲ませる。喉の通りは悪くない。

 薬には睡眠作用があるから、カルスが寝るのを確認するまではここにとどまる。少しすると、うとうととし出した。

 薬が効き始めているな。取り敢えず、順調と。


「ジンテツ、私が眠っている間、外を出歩いているようですけど、控えてくださいね。森が一層騒がしくなってきました。あなたも、他の動物達のように身を潜めた方がいいですよ」

「それただの冬眠やろ。できたらやってるってーの。つーか、カルスが弱ったら森全体が萎えてまうんやろ? そやったら、あんたを回復させる方が何倍もマシだし。得でしょうが。気張れ。じゃないと棲み場所が無くなる」


 カルスは弱く溜め息を吐いた。


「まったく、あなたには励まされてばかりですね」

「病人は黙って寝てろい」

「はいはい」


 目蓋を閉じて、カルスは幹の中に戻って寝静まるのを見届ける。俺の目の前には、物静かな大樹が一本あるだけとなった。


「さて、俺も帰って寝るか」


 道具を片付けて、欠伸をかきながら帰路につく。

 道中ではよく冒険者を見かける。森の外にある『街』ってところから来る武装した集団だ。

 その辺の野獣とは比べ物にならない程に、知能も武器も文化的な発達を遂げた外界の猛者。カルスもあれには近づかないでと何度も釘を押された。

 言われなくても、自分から面倒事に突っ込もうなんて思っちゃいない。何せ相手は、『魔術』だとか『呪術』なんていう奇々怪々な妙技を収得している。

 目障りで歯痒いが、マシでめんどクセェことは避けたい。

 一年前だったか、数十頭ってそれなりの規模のハウンドの群れが森を横断してきたときは驚いた。さらにそれをたった三人の冒険者が狩り尽くしたというし、職の名に偽り無しの生存能力を持っているのだから、尚関り合いになりたくない。

 大抵は薬草を採りに来たり、獣の首を獲りに来たりしている。カルスは自然の摂理として看過しているが、こっちとしては大迷惑この上無い障害だ。

 生きにくいったらありゃせんわ。

 俺の住み処は北東部にある。少し開けたお花畑には、季節を無視して彩り豊かな花が咲き誇っていて、中央にはねじまがった木に飲まれた一戸の小屋が建っている。

 これが俺の巣穴マイホームだ。中には元々あった本と、カルスから貰った本が大半を占め、あとは小さな物置棚とベッドだけ。

 狭いが一人で棲む分には窮屈ではない。しかも一年中ここに居て、本来の主が戻る気配が無いから、本も棚もベッドも完全に俺のものだ。

 俺には記憶が無い。一年前より以前の記憶が、すっぽりと抜け落ちてしまっているのだ。

 頬の傷、首に下げた鈴、二振りの得物。どれも俺にはさっぱりだ。

 一番古い記憶は、森の中に一人寝転がっていたこと。辛うじて覚えていた言葉は、『さくらこじんてつ』って単語だけ。なんとなくだが、それが俺の名前なんだろうと思う。

 何も覚えていないから、取り敢えず惚けていたところをカルスに拾われて今に至る。

 根なし草だった俺に、雨風を凌げる程度の住み処、棲むには困らない程度の知識と娯楽を与えてくれた木の精霊には恩義しかない。だから、カルスの病はなんとしてでも治してやりたい。

 そもそも、制限されるのが我慢できない性分らしく、やるなするなと言われると、反抗心がよく働く。それで何度、カルスに逆さ吊りにされたことか。そんなほとんど口煩い親同然の存在があのザマじゃ、気が気でならない。とにかく無性に気に入らねぇ。

 記憶を戻そうなどと考えたことはない。気にならないと言えば嘘になるが、俺は今の生活が気に入っている。静かで穏やかで、小鳥や小動物、あと小妖精ピクシーという妖精の小人みたいな奴らがはしゃいでいる声を聞くと心が和む。

 勝手に生まれて、勝手に活きて、勝手に死んで、勝手に朽ちる。これ以上にわかりやすい条理はあらへんよなぁ。

 所詮は、どう暇を潰して最期を迎えるかってことなんだ。記憶が有ろうと無かろうと、その辺の成り行きってやつになんら変わりはない。

 そやったら、俺は俺の儘に暮らすだけ。深く考える必要も、拘る意味も抱えるだけ邪魔でしかない。

 たまに喧嘩沙汰が起きたり、カルスに雑用を任されたりするが、十分すぎる良環境だ。


「さっき見た冒険者共、やけに目が血走っていたな」


 ああいうのが来るようになった所為で、森はいつもただならない空気に襲われている。偶然通りかかった行商達の話を盗み聞きしたところ、“黒霧の怪物„っていう化け物が原因らしい。

 一年前から騒がれている存在で、名前の通り黒い霧を放って現れることから正体が不明なんだとか。

 それを捕獲、または討伐しに冒険者達が躍起になっているってことだ。

 黒霧の怪物のことはカルスも悩ましく思っているみたいだった。特に大きな被害を与えてはいないものの、野良魔物クリーチャーと呼ばれるならず者を狩っては凄惨な死体へと変える苛烈で獰猛なケダモノ。

 ただ凶暴なだけなら目にかける程でもない。だが、その怪物には明らかにおかしい部分があるのだ。

 なんでも、魔力を微塵も感じないらしい。

 魔力とは動物は勿論、植物や石、空気など森羅万象を巡っている絶対的な力の流れのことだ。

 本によっては『神の恵み』だとか、『理の奔流』とも記されていたっけな。要するに、この世に存在する全てのものに魔力が宿っている。

 死体でも微々ながら発しているというのに、そもそもそれが微塵も感じないというのは、なにも口にせずに百年を過ごしているも同然の異常なんだとか。

 俺にしたらどうにも想像できないが······。

 天井に向けて手を翳して、力を込めてみる。――――ま、何も起こらないんだけどさ。


「もしも、俺に魔術とか使えたら、もっとカルスを楽にできたんやろか······」


 ま、無い物ねだりしたところでめんどクセェ気分になるだけだし。別に羨ましいわけでも困っているわけでも無し。とっとと捨て置け。

 とにもかくにも、ただでさえカルスが病弱で気に掛かっているのに、危険な怪物だとか冒険者が険しいとか一々意識を向けていられない。俺の平穏を邪魔する敵は、何であろうと苅り尽くしてやる。それだけだ。

 ベッドに背を預けて寝ようとしたら、ふと先程に見た冒険者の一団を思い出す。


「そう言えば、一人だけ女がいたな」


 周囲に雄々しい戦士や魔術師がいる中で、一際目立っていた清潔感のある鍍金装備をしていた妖精属フェアリーの少女。年齢は十代半ばってところか。

 丸みのある目には若葉のような透き通った翡翠の瞳。俺が首に下げているこの“音の出ない翡翠色の鈴„と同じ色の眼。綺麗だったな。

 長くツンと尖った耳、クセの強いの黒髪に下した背からはマントのようにカゲロウの翅がひらひらと棚引いていて、それだけでも目が引かれた。

 首元には瞳と同じ色の石が填められた金具で止めた緋色のジャボを掛け、栗色のギャンベゾンの上に輪を成した真珠の描かれた軽い金属製の胸当て、腕と腿から下にも同質の装備で身を固めていた。

 身体つきは俺より少し肉付いているが、背丈は俺の胸辺りに頭が来るくらいだ。顔は幼さを残しながらも整っていて、妙に印象に残る。

 あれが『姫騎士』って奴か。小説によく似た特徴のキャラクターが出てくるから、なんとなく立ち位置っていうのか、設定的に見ればあの一団むれ――パーティだっけな?――の統率者あたまなんだろうな。

 絢爛さが無いからマジで姫かどうかは知らへんけど――――。


「精々、励めよな······」


 次に出会したときには死体になっていないことを祈って眠りにつく。

 死なれていたら気分が悪いし、そうなると後始末しにぞろぞろと他の冒険者が押し寄せてくる。それは落ち着かない。



 ++++++++++



 ジンテツが去った後、カルスは思い悩んでいた。

 彼女はミスリル大森林を基に生まれたため、それと直結している。

 森の意志はカルスの意志であり、森が感じていることは直接にカルスへと伝わる。何をしようと、森の中で起こることであれば全てを見通せる。

 ジンテツが大人しく小屋に帰ったのを遠巻きに見送って、安堵の溜め息をつく。同時に罪悪感が胸に沸く。

 彼はどこからともなく、突然森の奥地に現れた。まるで水面に雫が落ちるような、脳天をつつかれたような、筆舌に尽くしがたい異常事態。

 どうして発見が遅れたのか、早々に答えは出た。

 “有り得ない„が、それが一番“有り得る„という事実に自身の生きてきたこれまでの全てを疑った。


 ――――ジンテツ・サクラコには、魔力が微塵も宿っていない――――


 最初は警戒した。

 長い時を生きてきて、規格外の魔力を持つ存在に会ったことはあっても、その全くの対極だなんて想像すらしたことがなかった。小細工はおろか、二振りの刀剣以外に妙な道具は見当たらなかった。

 装備も調べたが、異様な気配を放っていたものの、魔力を祓うような効果は見受けられなかった。

 さらに驚いたことに、ジンテツは自然の中に溶け込んだカルスを意図も容易く見抜いたのだ。

 魔力を持っていないのなら、当然、魔力に纏わるものには鈍感な筈なのに。そうでなくとも、精霊であるカルスが樹木に身を潜めれば、どれだけ敏感な感性を持っていても見つけるのは不可能。それ故に、カルスは野兎に尋常でない恐怖を覚えた。

 そんな胸中に、ジンテツは無邪気にこう訊ねてきた。


「これ、なんていうんだ?」


 ジンテツが指差していたのは、一輪のスノードロップだった。目を丸くして、まじまじと見つめていた。

 恐る恐る教えてやると、「そうか‥‥‥いいな‥‥‥」と感慨深そうに言って、日が傾くまでその場に腹這いになって眺め続けた。まるで、池の魚を見ている子供のように。

 次第に恐怖が薄れて、気付けば笑みがこぼれていた。

 魔力を持たない。たったそれだけのことでも、世界の理から大きく外れている。

 創造主たる神の恵みを与えられなかった異端者――――この烙印は、一生を投じても拭い落とすことはできないだろう。その者が一切の穢れを知らぬ善良だろうと、底知れぬどす黒い邪悪であろうと、関係無く、無慈悲に。

 だから隠すことにしたのだ。

 きっと、森から一歩でも外に出てしまえば、ジンテツは多くのものから忌み嫌われてしまうだろうから。

 その一方でこうも思う。ジンテツは非常にやんちゃだが、とても好奇心が旺盛で器用な兎だ。このような辺鄙なところで燻っていていい存在ではない。

 その気になれば、誰しもの助けになれるというのに、自分という存在が過保護や病に倒れたことが重なって、その機会に巡り合うのを妨げている。

 守りたいが、縛っていたくない。そんな正反対の苦悩が堪らなく辛い。


「いつか、そう。今ではないいつかの先で、あのに幸ある出逢いがありますように······」


 もう何度目になるかわからない祈りを胸に、カルスは虚ろな瞳を静かに閉じる。





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