復讐の赤い花

 俺の人生は狂わされた。

 たった一人の少女によって。


 小学四年生の頃、それが転校してきた少女と初めて会った時。初めて教室に入ってくる時には黒服の男達に四方を囲まれていて、教室全体が混乱に陥れた猛者だ。大財閥の一人娘、らしい。

 そして、慌てふためく同級生と、若手の女教師が生徒と黒服とどちらを止めるべきか悩んで動けなくなっている中。


 目が、合った。

 腰まで伸ばした黒髪で整った顔立ちに、何処までも感情を感じさせない表情と雰囲気を持った少女の昏く淀んだ目と。

 得体の知れない感覚に寒気が走る。それでも目を逸らすことは出来なかった。そして、少女は無表情のまま僕の方を指差し、ぽつりと零した。


 ──アレが欲しい、と。


 小さな呟きは、喧騒の中でもはっきりと聞こえた。転校の挨拶も何も無く少女は黒服たちと共に教室を去っていき、後には静寂だけが残った。


 それから先は、ただ闇の中。

 何も失態を犯していないはずの父が突然リストラされた。母の務めていたスーパーが食中毒騒ぎで閉店した。いつの間にか、知らない誰かの借金を背負わされていた。父は必死に職探しをしていたが、日々憔悴していき、酒に入り浸るようになり、時折母と僕に暴力を振るうようになった。

 数ヶ月もしないある日、母は小さな書き置きと共にいなくなっていた。

 それでも僕はいつも通りに学校へ行った。少女がじっと僕を見ていた。僕は気付かない振りをしていた。

 家に帰ると、妙に首の長くなった父が天井からぶら下がっていた。その目は何処も見ておらず、ただ青白くなった舌を突き出して、糞尿を垂れ流しているだけだった。


「やっとね」


 呆然と玄関先に立つ僕の後ろから、色のない声が聞こえた。振り向くと件の少女と、その更に背後にはサングラスを掛けた二人の黒服の男が立っていた。


「行きましょ」


 僕は少女に手を引かれた。頭の中が何も整理できないまま、僕は車に載せられた。父親はあのままなのだろうかと、ただ頭にぼんやりと思い浮かんだのはそれだけだった。


 そして、僕は玩具になった。



「あっはは……! 今日のは面白かった!」


 それから数年が経ち、俺は高校生になった。ただ玩具として扱われる日々。

 俺は疲れ果てて床にぐったりと横に伏している。耳元に息遣いと頬を舐められる感触。犬。さっきまで、俺を犯していた存在。それを突っぱねる気力すら、もう残ってはいなかった。


 少女は歳を重ねてより美しさを増していた。すらりとしたモデルのような体躯に、薄い唇、そして切れ長の瞳は鋭く怜悧な印象を与える。実際、学校では物静かな才女として高嶺の花のように扱われている。

 しかし、目の前の彼女は違う。黒いワンピース姿で豪華な椅子に座って、まるで幼子のように手を叩いて笑っている。


 犬だけではない。今まで散々客を取らされた。老若男女関係なく。若い女もいたが、それ以上に頭の禿げた小太りのオッサンばかりが相手だった。もう勃ちもしない老人すらいた。僕は心の中で泣きながら、それを表には出さず嬌声を上げた。

 それをアイツは嗤っていた。愉しそうに。時には今のように腹を抱えて。涎を垂らして覆い被さる女を、脂汗を流して必死に腰を振るオッサンを、何とか果てさせようと必死に口を動かす姿を、ただひたすらに鑑賞して、嗤い続けた。

 それだけ手酷い扱いをしておいて、二人きりになると最後は俺の頭を撫でる。触れるだけの軽い口付けをする。嘲笑以外の何かが浮かぶ。


「お前は私のモノだ。私以外を見るな。私以外を想うな。お前の全ては私のモノ。私の全てもお前にあげるわ」


 何を言っているのか、意味が分からなかった。あれだけの恥辱を与えておいて、不特定多数と交わらせておいて、どの口がそれを言うのか。けれどもう、俺に何かを考えるほどの気力は残っていない。


 勿論、それだけではない。定期的に、俺の行為中の写真が校内に張り出される。多少なりともモザイクはかかっていても、俺を見たことがあれば容易に分かる。同じ高校で、少女は素知らぬ振りをしている。剥がしても無駄なことは分かっているから、何もせずにするしかない。


「ね、ねえ、こここれで足りるかな? ここここれでいいの? こ、こここれで買える?」


 ある日、同級生に屋上に呼び出されたかと思えば、震える声で、震える手で、数枚の1万円札を握りしめていた。虚ろな目をしていた。同じようなことは何度もあった。金額の問題ではない。屋上の入口で、少女が愉悦の笑みを浮かべている。俺は絶望しながら、笑顔で応える。そして、その夜に抱く。その子もまた、常連の一人になった。


 少女は、嗤う。

 俺も、笑う。心では泣き叫びながら。

 この地獄がいつまで続くのかと。

 少女と、それに関わる全てと、己自身を呪いながら。



「ねぇ! 止めてよ! 止めてってば!!」


 椅子に縛られた少女が必死の形相で叫ぶ。

 ざまあみろ。

 端正な顔立ちが、いつも愉悦に満ちたその表情が、初めて絶望に歪んでいる。涙すら流している。

 ざまあみろ。


 ぼとりと、切り落とした耳が床に落ちた。頬を流れる暖かな感触。手に持ったナイフで続けて頬の肉を抉る。痛覚など、とうの昔に焼き切れている。手首を切る。ただ血が浮き出るだけ。ナイフを手首の血管に強く押し当て、思い切り引く。ぶつり、という感触とともに一気に血が溢れ出す。それを、ただ見せつけてやる。


「お願い……止めて……」


 漸く、絶望の表情が見られた。

 やっと、復讐ができる。

 痛みは無い。ただ、血では無い何かが頬を伝った。血まみれの手でなぞると、それはどうやら涙のようだった。

 何故。分からない。


「あっ……!」


 絶望に目を見開く少女の前で、力一杯に目に向けてナイフを突き刺す。眼球を突き抜けて、その先にまで到達するのを感じた。ナイフの生えた顔面で、思い切り笑顔を浮かべてやる。

 ざまあみろ。


 そして、意識が白く、遠のいていく。涙は、止まっていないようだった。何故泣いているのか、自分でも分からない。


 最後に少女がどんな表情をしているのか、真っ黒な視界では何も見えないのが、酷く残念だった。


__________________________

すみません、男ヤンデレを書いたつもりがこうなってしまいました。反省はしています。

いずれサルベージして、中編くらいでちゃんと書きたいです。



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