第28話 挑戦の始まり

 個人ランキングがリセットされた満月の翌日、紅炎鳳こうえんおおとり団は、高難易度ダンジョン『滅びた黄金遺跡』を前にしていた。


 手前の森との境目で馬車を降り、最後の身支度と情報の確認をする。

 冒険者たちの成績は、ほぼリアルタイムで更新される。


「今まで全然知らなかったが、すごいな」

と、バルザは感心している。


「相当強い敵を相手にしてる人もいるから、変動が激しいんだよ……」

 リドもアイフォを見ながら難しい顔をした。


「いや、こんなふうに文字やら数字やらがいっぱいカチャカチャ動くのはすごいなと思って」

「あ、仕組みの方? ふふ。そうだね、当たり前に使ってたけど、すごい魔法具だよね」


 アイフォに興味を持ってくれたことが嬉しくて、リドの緊張は和らいだ。


「長丁場なんだ、ゆっくりいこう」

と、キレーナ。


 ダンジョン内では魔力によってアイフォは使用不可能になるので、次に順位の確認をするのは夜の作戦会議までお預けとなり、六人は地下へと足を踏み入れた。


 そしてひとたび戦闘が始まれば、夕方までモンスター退治に集中していった。


 危うく時間の感覚もなくなるところだった。

 リドの合図で地上へ出ると、彼らは馬を繋いだダンジョンの境目まで戻って夕飯を取る。数日は野営の予定だ。


 アイフォを見ていたウォリーが不安そうな声を上げた。

「この人、トップ独走ですね……」


 傾けて見せられ、リドがそれを覗き込む。


「いつも個人成績が上位の人だ。経験値も半端ないし、今は『灼熱の赤い岩山』にいるのか……レベルの高いモンスターばかりのダンジョンだよ」


 集計初日だというのに、上昇していくベテラン冒険者達のポイントに気が急いてしまう。


「まだ始まったばかりさ。楽しくいこう」


 ペッパが陽気な歌を歌い出すと、ソットも続き、手拍子が草原に響き出す。


 それでもリドは、心の中で計算していた。


(この人が同じ場所で同レベルのモンスターをしばらく相手にするなら、私達は地下八階以上に潜らないと追いつけない……バルザは補助系の技を持ってないから純粋に討伐数だけで勝負しなくちゃならないし……)


 こっそりアイフォとにらめっこしていると、背中をポンと叩かれ、ハッとなった。集団の中にいるのに没頭してしまっていた。


(いけない!)


 注意されると思って慌てて顔を上げる。

 と、バルザの真剣な眼差しとぶつかった。


「俺がトップ獲るって言ったんだ。信用しろよ」


 その瞬間、胸の奥で星が弾けた。


 初めてバルザを見かけたときと同じ。

 彼が、キラキラして見える。


「うそ! めちゃくちゃかっこいい! すっごい信用してる! 今月ダメでも別にチャンスなんかいっぱいあるからいいやって思ってたけど忘れる! 好き!」


 感激したリドが両手を胸に早口でまくしたてると、バルザも驚いたがウォリーなんてパンを取り落としている。

 それくらいの声量だった。


「ほんとに勘弁してくれ……」


 困り果てたバルザががっくりと項垂れ、年長組の三人は若者の恋路に苦笑いした。


 だが、ウォリーは本気で真っ赤になっている。

「ぼ、僕、困ります……教義では同性同士の愛は災いを呼ぶって」


「中身は女の子だからいいんじゃないか?」

と、ソットが笑い飛ばすと、ウォリーは「そんなぁ」と情けない声をあげた。


「私、女の子だもん。バルザを愛してるのはリディアだから大丈夫」

「俺は別にリドのままでも」

「だめです!」


 バルザの大胆な発言に、ウォリーが言葉を被せる。

 すると、バルザは面倒くさそうに言い放った。


「神様なんか知らねーよ、人間のことにいちいち口出させるな」

「嗚呼、野蛮だ」と、ウォリーは頭を抱える。

「俺たちの故郷、魔術師の里では男とか女とか関係なかったぞ」

と、ソット。


「どっちでもない人が、一番強い魔術を使えるんだ!」

と、ペッパも余計なことを言う。


 ついにウォリーは拳を握って決心した。


「わかりました、もういいです! 教義に疑念を抱いた時点で僕はすでに破門も同然……新しい知見を切り開いてみせます!」


「おおー」と、五人から拍手が起こった。




 夜もふけた頃、馬車の幌を柔らかな黄色い光が内側から照らしていた。

 みんな寝静まった中、荷台に寝転んだリドがアイフォを眺めている。


「寝れないのか?」

と、隣で眠っていたはずのバルザが寝返りを打った。


「うん。ごめん、眩しかった?」

「今日は満月だ。そんな小さな明かり気にならない」


 それぞれが自分の寝床を定める中、自然な成り行きで二人は馬車に並んで横になっていた。

 腹ばいになって肘をつき、床に置いたアイフォを操作していたリドの肩に、身を起こしたバルザの肩が少し触れる。


「この字は……、三毛猫会って書いてあるな」

「へへ、バレた。ちょっと見てたの」

「どうしてる?」


 読めないながら、バルザも一緒に画面を覗き込んだ。

 肩が、ぎゅっとなる。


「ランカー戦に滑り込んで、今は西の『海賊の港跡』にいるよ」


 リドはアイフォを彼へ寄せながら、バルザの方を見ないで続けた。


「追い出されたのに、悔しくないの?」

「ああ。俺の力不足だったんだから仕方ない」

「私は悔しい。バルザがいなくて困ればいいって思ってた。っていうか今でも思ってるよ。困れ! って」


 バルザは肩を揺らして笑った。


「見返したいと思ったことはないけど……」

と、言葉に迷ってから、言った。

「グレン《あいつ》がいなくてもやっていけるってわかったのは、嬉しい」

「どういうこと?」


 リドには皆目見当がつかなかった。

 でも、自分の知らないバルザの胸の内を聞かせてもらえるのは、単純に喜びだった。


 バルザは床に背を戻して、仰向けに、幌を見上げて話し始めた。


「あいつがいなきゃ、俺は世界と上手に付き合えないと思ってた。話すのが苦手で読み書きもできなきゃ、黙ってるしかないって。でも、新しいギルドを作ってみたら、戦闘も人間関係も、訓練しかないってわかった。経験して失敗して、やり直して成長する、だろ?」


 横目で微笑まれて、リドも「そうだね」と笑みを返した。


 バルザの顔は、ぐっと大人びて見えた。それでまた、リドの心に寂しさが忍び寄る。


「……じゃあ、私がいなくても大丈夫?」


 唐突な質問に、バルザが上体を捻る。なんだか不快そうでもあった。


「なんでそんなこと言うんだ? いなくなるのか?」

「元に戻ったら、リドはいなくなっちゃうじゃない……リディアは全然違う人かも」

「そんなこと……見た目が変わるだけだろ?」


 リドが泣き出しそうに見えて、バルザは自分の感情を留めて、なるべく優しく話そうと努めた。それが、ここしばらくで彼が体得した人付き合いの方法だった。

 しかしリドの心配は、もっと根が深かった。


「そうなのかな……私、男の子になってから、こんなに行動的だったっけ? こんなに積極的だったけ? って、自分で驚くことが多くて。精霊師としての腕も上がってる気がするの。強くなった気がする」


 バルザは言葉を失ったようだった。自分にはわからない。リディアだった頃のリドを思い出そうとする。村にいたときの、彼女の様子。


「遠慮しなくなっただけじゃないのか?」

「遠慮?」

と、リドは意味がわからないというように言葉をただ繰り返してきた。


「周りの大人から『叫ぶな』とか『走るな』とか、『お前の意見は聞いてない』とか言われて、『できそうだな』って思ったことも、『やらない方がいいかも』って、遠慮してきたんじやないか?」


「うう、なんで知ってるの……」


「あの村じゃ、女はみんなそうやって育てられるからな。言いつけを聞かない奴もいるけど、お前はみんなの望む『可愛い女の子』ってやつをやってたんだろ」


 バルザはそれを、自分のことのように話していた。


『どうせ墓守』

『自分なんか』


 それは何よりも強い、自分で自分にかけた、呪いだった。

 これを解くために必要なものは、なんだろう。

 月間ナンバーワンじゃないことだけは確かだ。


「そういえば、バルザと一緒に冒険者になったポーラは、男みたいだって、みんなに陰口言われてた」

と、リドが言い出したので、バルザも彼女を思った。

「ポーラは親に反抗してただけで、村を出たらすっかり……かわいこぶってたけどな……グレン狙いで……」

「えー、そうだったんだ……かっこよかったのになぁ……」

「好きだった?」


 直球に聞かれて、リドは驚いて慌てた。


「な、ないよ。ちょっとかっこいいな、とは思ってたけど、バルザ一筋だもん」


 最後の素直なひとことに、今度はバルザが驚いて照れる。


「とにかく、どんな姿になっても、どんな役割になっても、お前はお前だ。無理しないで自然にしてろよ。体が戻っても」

「うん。……でも可愛いって思われたくって大人しくなっちゃうかも」

「正直だな……」


 バルザは呆れた。

 いつも、リドの正直さには呆れる。

 しかし羨ましいとも思った。


 失敗しても前向きで、困難に立ち向かう勇気があって、人々を繋ぎ、人に好かれ、人を好きになる……


 それは彼女の、〝自分の心への正直さ〟や〝他の人に対する素直さ〟が根本的に作用しているんじゃないかと、バルザは直感的に感じ取った。


 呪いを解く鍵を見た気がした。


 幌の外では焚き火が小さく燃えている。バルザの耳に、薪が爆ぜる音が聞こえた。


「大人しくしなくても、いまのところ、なにしてても……かわいいけどな」


 恥ずかしさで口角が上がってしまう。

 言われたリドも顔を真っ赤にして、それでも最後の一歩で理性が邪魔をする。


「今はまだ男ですけど!」

「はいはいはいはい」

「男のままがいいの? 男の方がいいの?」

「しらねーよ、わかんねーよ、女に戻ってから聞いてくれよ」


 せっかく褒めたつもりが詰め寄られ、バルザは素早く毛布に潜って背を向けた。


(これで女に戻って「なんか違う」とか言われたらどうしよう……)


 不安でいっぱいでも疲れた体は睡眠を欲している。リドは、バルザの背中に背中を寄せて、暖を取って眠ることにした。


 この正直すぎるところは考えものだな、と思いながら。


 

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