片思いしてる大好きな彼がギルドを追放されたので男のフリして成り上がらせます！

第23話 リディアとバルザ

　リドは朝日に輝く天馬山の飛空挺発着場で、北へ向かう飛空挺を待っていた。

　巨大な船は魔力で飛行する。発着場は山の中腹の広い平地にあって、魔法陣がいくつも描かれていた。

　サランゼンスからそこまでの直通の大型馬車が出ていたことにも驚いたが、発着場が朝から混雑していることにも大いにびっくりさせられた。

　洒落た丸太小屋の切符売り場兼待合室があって、快適な室内から飛空挺が並ぶ壮観な風景を堪能できる。

　リドは、上品なご婦人と並んでベンチに腰を下ろしてスモールトークを楽しんでいた。

「飛空挺なんて、遠くの空を飛んでるところを見たくらいなんですよ」

「あらー、そうなの。快適よ。ちょっと値は張るけどね」

「ふふ。空を飛ぶなんて、いまから緊張しちゃいます」

　リドがそう言って笑うと、ご婦人も微笑んだ。

　使用人を連れていることや服装からも、上流階級の人間だというのは一目瞭然だ。ついさっき、人混みで呆然としているリドに、気さくに声をかけて助けてくれたのだ。

　ふと外を見ると、南の空から近づいてくるエメラルド色の飛空挺に目を奪われた。

「あれですかね、北行きは」

「ええそうよ。終着地点は王都なの。リドちゃんもいらっしゃいよ」

「うーん、ぎりぎりまで考えてもいいですか？」

「ごゆっくり」

　嫌味なく言って立ち上がると、ご婦人は使用人と共に一般待機列を素通りして専用の通用口へ消えていった。

（呪いを解いて、家に帰ろう……）

　リドも荷物を手に立ち上がった。

　船は轟音を響かせて着陸したが、音の割に風はない。甲板からスルスルと静かに板が伸びたかと思うと、それは手すりのついたスロープに姿を変えた。全く不思議な光景だった。

　乗客たちは外に出て二列に並び、チケットを乗組員に見せてゆっくりスロープを登っていく。

　船に乗るのも初めてだ。

　おしゃべり好きの素敵なご婦人と時間を潰せたおかげで、慣れ親しんだ街から遠く離れる寂しさも紛れていたが、視線が高くなるたび不安の波が押し寄せる。　

　そんな心境だったので、なんとなく後方が騒がしいとは思ったのだが、リドは特に気を払っていなかった。

「お客様！」

「チケットを！」

　騒ぎが大きくなっている気がする。

　いよいよリドも足を止めて、こっちに危害が及ぶようななにかじゃないことを確かめようとする。

　真後ろの人が、迷惑そうにリドを追い抜いた。

「リディア！」

　それは、確かに自分の名前だった。

　そして確かに、バルザの声だった。

「リディア！　行くな！」

　乗客の列が邪魔をして二人は互いに姿を確認できない。

「どこにいる？　リディア！」

　もはや懐かしい名前。

　答えていいのかわからなくて、リドは立ち尽くしていた。

　人の流れは止まらず、リドを残して徐々に船へ吸い込まれていく。

　スロープに取り残されて、ついに二人の視線が交わった。

「バルザ……」

「リディア！　行かないでくれ」

　彼がここまで寝ずに馬を走らせてきたのは明らかだった。疲れ果て、呼吸もおぼつかない。

　それでも必死に言った。

「俺が悪かった！」

と。

　それから大きく息を吐いて、思いつくままなのだろう。心に浮かぶまま、気持ちを伝えようと言葉を紡ぐ。

「俺は何も言わなかった。それじゃ伝わらないのに。俺は伝えようとしなかった。自分の思ったことを。言わないで、不機嫌な顔してお前に察してもらおうとした。甘えてたんだ。もっと自分から話さなきゃいけなかったのに。黙ってお前のせいにしてた。俺は自分のことばかりだ。わかり合おうとしなかった……俺はお前に二度も救われたのに！」

「二度……？」

　リドは一歩ずつ、次々とスロープを登る人を避けながら下っていった。

　バルザが泣いている。

　そんな姿は初めて見た。

「俺は、『ありがとう』なんて、言われたことなかったんだ。誰かを助けることができるなんて思いもしなかった」

　彼が何を言っているのか、リドにもわかった。リディアとバルザが相対して言葉を交わした、最初で最後の森の出来事だ。

「私も覚えてるよ。大好きな人に助けてもらって、嬉しくて、恥ずかしかった……」

　本当はあのとき、リディアはバルザを追いかけて森に入って迷子になったのだ。老人を見つけたのは偶然だったが、いい思い出にしていた。

「俺が一番、俺自身を蔑（さげす）んでたんだ。俺は、自分が嫌いだった。どうせ何にもなれないと思ってた。どうせ失敗するって。グレンの影に隠れて、不貞腐れてたんだ。仲間なんかできるわけないと思ってた。お前が隣にいるのだって、嬉しいのに、信じられなくて」

　膝をついたバルザに、リドはそっと近づいた。精霊たちと話すときのように、優しく、静かに。　

「ごめん……」

　謝るバルザの声は、少年のようだった。

　リドはバルザを抱きしめた。彼はうずくまって、震えていた。

「ありがとう。私も謝らなくちゃ。あなたを助けたいと言いながら、あなたがどうしたいか聞かなかった。ごめん。私、自分勝手だった」

　バルザは首を振って否定すると、顔を上げてリドを……、リディアを、真っ直ぐ見つめた。

「お前は俺の篝火だ。どうか、一緒にいてくれ。俺の真っ暗な道を照らしてほしい……」

「うん……」

　二人は座り込んだまま、また強く抱き合った。

　すると、遠くから拍手が聞こえてきた。

　驚いて首を巡らすと、一等室の窓に、さっきのおしゃべり好きのご婦人が、感動の涙を流しながら手を叩いているのが見えた。

　つられて乗客たちが歓声を上げ、二人を祝福する。乗務員たちも仕方ないという様子で帽子を振ってくる。

「あ、違うんです、あのこれは」

　リドが両手を振って止めようとするが、事態は悪化するばかりだった。どこからともなく花束まで投げられた。

「行こう。俺が悪かった」

　決まりの悪そうなバルザに手を取られ、リドは花束を抱えてスロープを降りた。

　男性カップルの幸せ劇を見守った飛空挺は、二人を置いてスロープを飲み込むと、垂直に飛び上がり、ゆっくり北上していった。

　発着場から少しだけ下山した場所で、二人は草地の岩に腰を下ろしていた。

　エメラルド色の船体が遠くなっていく。

「ちょっと乗ってみたかったなぁ」

「お気楽だな……」

　バルザは鼻声を恥ずかしがって、咳払いをした。

「俺を助けようとしてくれたのはわかったけど、なんでそんな回りくどいことしたんだよ」

　〝そんな〟というのは、性別を変えたことだろう。

　リドは唇を尖らせた。

「だって……」と言ったが、続かない。「なんでだろう……」

　確かに〝女性が苦手〟と思っていたからではある。だが、実際はそれだけではない。魔術師タイトスが言ったように、とにかく会いに行けばよかったのだ。

　思い浮かんだ理由はあるが、それを口にするのはとても恥ずかしかった。

「なんか思いついてる顔だろ、それ」

　バルザに指摘され、大きなため息をつく。

「自分に自信がなかったの」

　その言葉に、バルザは驚いていた。

「リディアのまま会って、覚えられてなくて、うまくいかなかったら、もうおしまいだって思ったの」

　リドの目も、涙に揺れた。

「……別人になれば、私じゃなければ、できるような気がしたの」

　息を吸って、吐いて。空を見上げてやり過ごす。

　冷たい風が心地よく、二人の頬を冷やしていった。

「私たち、似たもの同士かもね」と、リドが明るく言うので、

「そんなとこ似ても……」と、バルザも笑ってしまった。

「双子から聞いた。呪いを解く方法はわかってるんだろ？　俺も手伝うから、言ってみろ」

「えーと……」と、良い言い方を考える。「とある人の魂を悪魔に売らなきゃいけないの」

「おい馬鹿な呪いをかけられたもんだな」

　バルザの答えにリドはケラケラと笑った。バルザも笑ったが、次の瞬間「あ」と声を上げた。

「それじゃ、一緒に乗ればよかったのか……」

　二人はすっかり見えなくなった飛空艇の行く手を見遣った。

　それがおかしくて、ひとしきり笑い合うと、一度サランゼンスに戻って仕切り直そうということになった。

　リドは「バルザに本当のことは伝えないでおこう」と思っていた。

　この際、一生男でも構わないような気がしたのだ。