第7話 ふたりのギルド

 冒険者登録用窓口の進みは遅く、たっぷり三十分は立ちっぱなしだった。モンスターを倒すより大変な作業だ。


「次の人ぉ」


 かわいそうに窓口係の年配女性も疲れ切っている。


「ここに、記入して」


 魔法具の記入用紙とペンを差し出され、リディアは微笑んだ。


「出戻りです。ありがとうございます」


 説明はいりませんという合図を送ると係員は無言でうなづいた。やり直したくて戻ってくる冒険者もよくいる。


『リド、出身サランゼンス、精霊師』


「おや……」


 窓口の女性が出身地を見て眉を上げた。別段咎められることはないが、訳あって素性を隠す人はこの街の生まれと書くのがお決まりなのだ。


 記入した文字は冒険者ギルド本部の中央で光り輝くクリスタルに記録され、リディアに渡された『アドベンチュラ・インフォ・カード』に同期される。クリスタルは常にアイフォと連携して情報を更新している。


 表面に『リド』と浮かぶ美しいクリスタルの板に指を滑らせる。


「間違いがなければ終了よ」

「はい、大丈夫です。ありがとうございました」


 女性は微笑んで送り出してくれた。次は隣のギルド登録窓口だ。


「何か食べてくればよかった……」


 リディアはリュックから小さな干し芋を取り出して口に放り込んだ。飲食禁止ではないが、あまり喜ばれる行為ではないのでこっそりと。


 新しいアイフォは二年前にリディアが受け取ったものと色が違っていた。大きさも、若干大きくなったようだ。


「見やすいかも……」


 アイフォを持っていると勝手に戦歴を記録してくれる。リドの記録はまだ白紙だ。バルザも、さっきの戦い方では戦績がつかない。


「次の方!」


 ギルド登録窓口にいる係員の中年男性は、苛立っているようだった。彼も食事に行くタイミングを逃したのだろう。


「ここにアイフォ置いて、ギルド名書いたら、登録金五百エム」

「値上がりしたんですね」


 リディアは記入しながら言った。


「稼げるようになってから来てもらわないとね。あんたは大丈夫か」

「もちろん」


 同じ名前のギルドがあると弾かれるが、リディアは抜かりなく、先に被りがないか調べている。


紅炎鳳団こうえんおおとりだん、代表者リド』


「はい、お疲れさん。あとはアイフォで」

「ありがとうございました。あ、これどうぞ」


 リディアは胸ポケットから取り出した葉っぱの包みを窓口に置いて、微笑んで手を振り立ち去った。順番待ちの人々の殺気を感じたのだ。


 いぶかしんで係員が確認すると、中には愛らしいドライフルーツ。 差し入れのおかげで、彼がそこからの仕事を乗り切れたのは言うまでもないが、彼は「紅炎鳳団のリドを覚えておこう」とまで思ってくれた。


 晴れ渡った青空の下へ出たリディアは、この長い待ち時間でやっと追いついた不安に襲われていた。


(どうしよう、本当にギルド作っちゃった……私、バルザとうまくやっていけるかな……)


 しかも男として、だ。




 夕闇が迫るサランゼンスの街は、そこかしこでランプの灯りが揺れ、幻想的な雰囲気を漂わせていた。


 いつものリディアだったら、その煌めきに目を奪われて、時を忘れて見入ったことだろう。


 だが、いまバルザの待つ安宿へ向かうその足取りは、重かった。自分のやろうとしていることの難しさに、やっと気がついたのだ。


(私が間違ってたのかな……バカなことしちゃった……)

と。しかし、そんな沈んだ気持ちや、これからどうしたらいいかという現実的な問題意識は、まったく長くもたなかった。


 それがリディアという少女だった。


 部屋のドアを開けたら、ベッドに腰を下ろしてくつろいでいるバルザの姿。


 それだけで、彼女は沸騰したように頭に血が昇って、すべての神経が彼に集中してしまう。


「よお、本当に時間かかったな。待ちくたびれたぞ」


 ニヤリと笑った彼は、甲冑も脱いでシャツの紐も緩めているし、ブーツも投げ出している。


(やだ、すごい破壊力……熱出そう。こんなリラックスした状態って、恋人の距離じゃん。もうイケるやつじゃん!)


 リディアはチョロかった。

 とても、チョロかった。


「何ぼーっとしてんだよ。疲れたのか?」


 バルザが怪訝そうな顔でうかがってくるので、リディアは顔の前で手をひらひらさせて答えた。

 

「ううん。ぜんぜん大丈夫。ちゃんと登録してきたよ!」


 そして次の瞬間、ハッとなる。


(いやこの仕草は女子!)


 振っていた手を慌てて腰に当てて「ははは」と誤魔化すが、バルザの顔はいまだ険しい。


(女だとバレることはないだろうけど、これじゃ変なやつだと思われちゃうよ……)


 冷や汗をかくリディアをよそに、バルザは軽い口調で「飯は?」と聞いてきた。「これだけ時間がかかったのだから、登録の後にご飯を食べてきたんじゃないのか?」という疑いだったようだ。


 ほっと胸を撫で下ろすと同時に、欲が顔を覗かせる。

(これは、は、初デートフラグ……?)


「それがまだなんだよねー。ど、どこか食べに行く?」

「俺はもう済ませた。ちょっと寝るから、勝手にしてくれ」

「ああ、うん。わかった」


 ニヤけるのを必死で抑えながら提案したのに、乙女心は秒で玉砕だ。


 そっか。

 もう寝ちゃうのか。

 勝手にしろって言われちゃったよ。


 そんなふうにがっくりしていたのだが、今度はベッドに横になるバルザの背中を見て、再びの沸騰。


 ここは安宿。所持金が底をついている二人は、ベッドが二つで目一杯の、小さな部屋に押し込められている。今夜、二人で。この部屋に。二人きり。


(ヤバいヤバいヤバい……私、イビキかかないかな。寝言言ったらどうしよう……朝だって寝癖とか目ヤニとかついてるの見られたら恥ずかしすぎる! 後に寝て、先に起きないと!)


 思考が頭の中をぐるぐる駆け巡る。

 リディアはまるで夢遊病のように宿を出て、前の通りに並んだ屋台のひとつに吸い込まれ、何か食事を口に運んだはずなのだが、何を食べたのかも、味もわからない。


 彼女は不安と緊張でいっぱいだった。


(男の人と二人きりなんて初めてだし、ましてその相手がバルザだなんて……むしろ眠れないかも……)


 はたから見れば長身の中性的な美男子が、右往左往している。薄桃色の髪を揺らして、俯いたと思ったら急に何か思いついたように顔を上げてみたりと落ち着かない。


 すれ違う女性たちがチラチラと盗み見てはクスクスと笑いながらも〝彼〟の挙動を愛おしそうに眺めている。


 だが、今のリディアにはその視線を察する余裕はない。


 いつまでも外にいるわけにもいかない。

 しかたなく宿に戻ったが、部屋に入る勇気が出ずに、今度は廊下で行ったり来たり。ドアノブを握っては離すを繰り返す。


 他の宿泊客に冷たい視線を投げられて、やっと決心した。このままでは不審者扱いされて従業員を呼ばれかねない。


 恐る恐るドアを開けると、部屋は薄暗くなっていた。

 バルザのいびきが狭い室内に響いている。二日も飲み続けていれば無理もないことだ。


 ガチガチに緊張していたのも杞憂だったとホッとしたのも束の間、暗闇に目が慣れてくるや、リディアは思わず見入ってしまった。

 粗末な毛布が一枚しかないベッドなのに、眠るバルザはそれさえ剥いでいて、お腹が丸見えだったのだ。


「うひゃあ、ふ、腹筋っ」


 不意に漏れた声に、リディアは自分で驚いた。


(誰の声かと思ったら、私だ……。バルザ、女性にジロジロ見られるのだって嫌だろうに、男性に腹筋見られてたなんて、知ったら怒るかも……)


 反省して、寝てしまおうと隣のベッドに潜り込む。


 いびきが収まると、聞こえてくるのは微かな彼の寝息。


(こっちの方が気になる……)


 小さな音だからこそ耳が研ぎ澄まされて、吸って……吐いて……、規則正しい、すぐそこで眠る、憧れの彼の、息使い……


 そして窓から薄明かりが差し込んでくる。

 結局リディアは一睡もできなかった。


 睡眠は諦めて、もう身支度してしまおうと、むくりと起き上がる。

 気持ちよさそうにまだ眠っている、バルザの寝顔。


「馬鹿だったな……タイトスさんの言うとおり、女のままで来ればよかった。そしたら、好きって言えたのに……」


 リディアはリドの体で、バルザのベッドのわきに跪いた。


「ううん。そんなの、私のわがままよね。今はあなたのために全部捧げたい。大好きよバルザ。必ずテッペン取らせてあげるからね」


 リディアは決意を新たに立ち上がった。


(完璧な男の子になって、完璧なサイドキックになってみせる! 絶対バルザが一番なんだから!)


 もはや彼女はリディアではなく、リドだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る