旧)第22話 君をはじめから知っていた

 冒険者の街サレンゼンスの夜は煌々と明るく、バルザの生まれ育ったマルダ村とは大違いだった。


 この街に身を置いて四年。ここでは誰もが自分のことに夢中で、バルザは自分が死体運びと墓穴掘りをする〝人間以下の存在〟だという現実を忘れることができた。


 だが今は違う。寄り添ってくれた人々を自ら追いやってしまった。バルザは、自分は墓守よりも酷い生き物だと感じていた。


 その時、冷たくなった夜風を防ぐために閉められていたウワバミ亭のドアが、ベルを鳴らした。


「あ、いたいた。バルザ!」


 聞こえた声に息を呑んだ。

 グレンだ。


「ははは、やっぱりここか。聞いたよ。号外も出るほど大活躍だったって?」


 彼はまるで昨日まで一緒だったような親しさで歩み寄ってきた。


「いつもどおりだよ。大したことはしてない……」


 どんな顔をして会えばいいのかバルザは戸惑い、緊張して無愛想に答えた。


「そんなことないよ。あのダンジョンはかなりの難易度なのに、お前の討伐数は急上昇してたじゃないか。それに、なかなかギルドには入ってくれないって噂のベテラン槍術士、キレーナと組んだんだろ?」


 そんなこと初めて知ったが、反応するのが面倒で相槌だけ打った。確かに彼女はただならぬ存在感を放っていた。


 そのとき急に、キレーナともっと話したいと、もっと一緒に戦いたいと、心の奥からざわめきが上がってきた。


 森へ行けば会えるはずだ。いや、この時間ならもうどこかの宿かもしれない。双子も一緒だ。彼らとも、もっと話してみたかった。


 彼らと深く関わることに、何を怯えていたのだろう。バルザは今すぐにでも走っていきたい気持ちがした。


「いい経験になっただろ、バルザ」


 にっこりとグレンに笑いかけられ、ぞわりと腹を何かが駆け上がった。


「ああ……」


 今までなら優秀なグレンへの嫉妬だろうと飲み込んできた感覚だ。だが今は、はっきりわかる。これは嫌悪だ。


 彼はいつでもバルザを生徒のように扱う。出来の悪い子を押し付けられた優等生が、困り果てているのだろう。


 昔は兄のように慕っていた。面倒を見てくれて、助けてくれていると信じていた。自分がグレンをいつでも大切に思っているのと同じくらいに、彼も自分のことを思ってくれていると信じていた。


 だが、二人の思いは同じではなかった。彼は対等な友人だとは思ってくれない。自分も、彼と肩を並べられるとは思えない。いまは、まだ。


 ここから巣立たなければと、強く思った。


 彼の元にいてはいけない。


 それなのに、爽やかな笑顔を湛えたままグレンは正反対の提案をした。


「もしよかったら、戻ってくれないか」

「それ、他の奴らと相談済みか?」


「いや、ちょっとした思いつきだよ。でも、ちょっと俺たちも、年末のランカー戦に参戦できるか危ういんだ」

「俺は興味ない」


 早く諦めて帰ってほしいと思い、バルザはキッパリと断った。


「またそれだよ……」


 グレンはがっくりと俯いたが、なにか思い出して囁いた。


「なあ、昔のこと覚えてるか? 俺たちとリックとポーラで、よく冒険者ごっこしたろ? あの頃、楽しかったよな……。みんなで『いつか本物の冒険者になって常勝上位ランカーになりたい』って、俺たちの夢だっただろ?」

「お前らのだよ。俺は……救援隊になりたかった」

「え? そんなの無理だろ」


 グレンにとっては、その返答は至極当然で、まさかバルザを傷つけるなんて思いもよらなかった。


 二人は、決定的に住む世界が違い、見えている景色が違うのだ。


 バルザはついに気がついた。自分は、グレンの放つ真っ当さや、正しさにあてられて、ひどく卑屈になっていたのだ。


 もう取り返しのつかない人生だと思っていた。どんなに頑張っても、何者にもなれないと思い込んでいた。


「試してもないのにな……」


 バルザの呟きに、グレンが「え?」と眉をひそめる。


「俺は……誰かを助ける生き方をしたかったんだ」


 バルザは視線を遠くに投げた。


 幼い頃のリーダーはリックだった。彼はいつも元気いっぱいにみんなを連れて、冒険者になりきって毎日森を散策していた。木の棒で小さなモンスターを倒すこともあった。


「森で、迷子のばーさんを助けたことあっただろ?」

「……ああ。よく覚えてるな」


 その老人は自分の名前さえあやふやになっているのに、森に木の実を取りに行くことだけは忘れられず、ときどき村人が探しに行かなければならなかった。


 バルザたちが森を冒険していて偶然その老人を発見した時、彼女に付き添っていたのは小さな女の子だった。少女は深い森で前後不覚の老人と二人きり、泣くこともなく、懸命に村への道を探していた。


「あの時ばーさん、俺に怒鳴りやがって、耄碌もうろくしてんのに『墓守は汚い』って」バルザは笑ってしまった。「どっちがだよって思ったけど、言わなかった」

「当たり前だろ」

と、グレンは呆れたようだ。


「そのとき女の子が、妹より小さい子が、俺に『ありがとう』って言ってくれたんだよ。俺のこと、知らなかったんだろうな。すげー嬉しそうに、目にいっぱい涙溜めて……怖かったのに、頑張ったんだなって思ったら……」


 バルザは、思い出して泣きそうになった。


 無垢な少女の感謝の言葉が、どれほど嬉しかったか。生まれて初めて人として扱われた気がしたのだ。


 安直だが、それで十歳のバルザは『国家救援隊』に憧れるようになった。


「その子って……確か、リディアって名前じゃなかったか?」


 グレンが急に声を落とすので、彼女に何かあったのかと思いバルザは動揺した。


「ああ、リディアだ。長い薄桃色の髪の」

「どこから話したらいいのか……」グレンは手のひらで目を覆って天を仰いだ。「解決済みだから最後まで聞いてほしいんだが、リディアが行方不明だってご両親から相談を受けたんだ」


「な……」と、言いかけたバルザをグレンが手で制す。

「結論から言って、お前のギルドマスター、リドがリディアだ」


 暴論にバルザは片眉を上げた。


「まず彼女の家に行って、部屋で手がかりを探そうとしたら、部屋中……お前のポスターだらけだった」

「は?」

「母親は『どこ行ったのかしら』なんて言ってたけど。一目瞭然って感じだったよ。いなくなったのは、お前がギルドを辞めた日だったし」


 その言葉を言うのにグレンは、ほんの少し罪悪感を感じているようだった。


「まあ、それより魔術師タイトスの洞窟に向かうのを見たって人がいて」

「あのジジイまだいるのか……」


「会いに行ったら、明言はしなかったが、姿の変わる魔法をかけたのはわかった。それにリドが最初にギルド登録した時のステータスと、更新が止まったままのリディアのステータスが完全に一致した。似ることはあっても完全一致なんてありえない。同一人物と見るのが妥当だよ」


 グレンは乾いた喉を葡萄酒で潤してから続けた。


「なんで強化とかじゃなくて、男になったのかはわからないけど。俺のギルドに来る気があるなら二人とも歓迎するから……」


 グレンの話が終わるより早く、バルザは椅子を蹴って走り出していた。


 双子が知っているはずだと直感していた。


 リディアに、会って謝らなくては。



 

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