第16話 雪の降りしきる山


 山を登り始めてしばし、降りしきる雪が激しさを増す。

 視界が白く染まり始めて、シャーロットたちははぐれないように互いに声を掛けながら進んだ。


「皆様、もうここまでにしましょう。十分に力を尽くしてもらいました。これ以上は……」


 しばらく雪と格闘しながら斜面を登っていると、村長が絞り出すように言った。


「ええ、これ以上は危険です。エゼル様、シャーロット様。我々は主人であるあなたがたを危険に晒すわけにはいかない。お戻りを」


 オーウェンが強い口調で言う。その横ではメリッサが、油断ない目で主人を見ている。いざとなれば力ずくでも取り押さえるつもりなのだろう。


「でも、でも……!」


 諦めきれず、シャーロットは唇を噛んだ。寒気にひび割れた薄皮が破れて、血がにじむ。


「シャーロット。無念の気持ちは分かる。けれど僕たちまで遭難するような事態になれば、皆に迷惑をかけてしまうんだ」


 エゼルも悔しそうだ。


 ――ふと。


 ごうごうと音を立てて吹き荒れる雪風の中に、違う音が混じった。

 シャーロットははっとして顔を上げる。


「今、何か聞こえたわ」


 彼女の言葉に、他の面々も耳を澄ました。


 ――お父さん、お母さん、お兄ちゃん……。


 確かに聞こえる。子供の高い声が泣きながら助けを求めている。

 声は山肌に反響して乱れていたが、そう遠くない位置から響いていた。


「……行きましょう!」







 山の崖下にティララはいた。崖の途中にへばりつくように木が生えていて、彼女はその枝に引っかかるような格好で泣いている。

 木の枝には、冬にふさわしくない鮮やかな緑の葉。不思議なまでに瑞々しい葉。ティララはそれを握りしめて、離すまいとしている。


「ティララ!」


 村長が叫ぶと、幼子は彼らに気づいた。


「おじいちゃん!」


「今、助けてやるからな。動くなよ」


 村長が崖を降りようとするが、足元の雪がずるりと崩れた。オーウェンが慌てて引き上げる。


「かなり足場が脆い。なるべく体重が軽い者が行ったほうがいいだろう」


 アゼルが言って、シャーロットがうなずいた。


「それじゃあ私ね。一番背丈が小さくて、痩せているもの」


「奥様、無茶です」


「いいえ、私が一番ちょうどいいの」


 メリッサは女性としては上背があり、護衛という職業柄、かなり体を鍛えている。重量という意味ではシャーロットが最適だった。

 皆で協力して、シャーロットの胴体にロープを結わえる。ロープの端は残った者たちがしっかりと持った。


 シャーロットは慎重に崖に近づいた。村長ならば崩れた雪の足場も、彼女の体重であれば支えてくれた。

 凍って滑る崖を少しずつ降りて行く。

 時間はかかったが、彼女はついにティララの元へたどり着いた。


「ティララ! 怪我はない?」


「大丈夫。でも、怖かったよお」


 泣きじゃくっていたティララの頬は、涙の跡が凍ってしまっている。シャーロットは頬にそっと手を当ててから、小さい体を抱きしめた。


「こんなに無茶をして、皆心配したのよ」


「ごめんなさい……。でも、でも、ユニコーン様の薬草を見つけたの!」


 ティララの手には輝くような緑の葉がある。この冬の寒さの中で、ひときわ輝くようなグリーンだった。本当に何かの効能がある薬草なのかもしれない。


「じゃあそれをしっかり持って。ロープで引き上げてもらいますからね」


「うん」


 シャーロットは自分の胴に巻き付いているロープの端を引っ張り、ティララの体に結びつけた。それから崖上のエゼルたちに合図をして、少しずつ引き上げてもらう。

 降りるのも大変だったが、引き上げるのも簡単ではなかった。エゼルたちの足元は雪で、足に力を込めるとすぐに沈んでしまう。

 それでもシャーロットとティララの体は少しずつ崖を上がっていく。

 あと少し。

 一番前でロープを引いていたエゼルが、2人に向かって手を伸ばす。


 しかし、その手が届く直前に。


 ――山が震えた。

 何事かと驚くシャーロットの目に映ったのは、山の頂、その斜面がずるりと滑り落ちるかのような光景。

 最初は目の錯覚かと思った。

 けれど微細な震えはすぐに山を飲み込む轟音となって、雪崩となって、彼らに襲いかかった。


 圧倒的な質量の雪塊が、津波のように山肌を滑ってくる。とても逃げられる速度ではない。


「くそっ……! オーウェン、メリッサ、防護魔法だ! 何とか耐え凌げ!」


 エゼルが叫んだ。シャーロットとティララを抱え上げて、体内魔力を燃やす。


「無理です! 耐えられるわけがない!」


 メリッサが悲鳴を上げている。オーウェンが彼女の肩を掴んだ。


「無理だとしても、やるしかない!」


 いくつもの声で呪文の詠唱が響く。

 シャーロットの魔力は、決して強い方ではない。この中では一番弱いだろう。魔法の勉強も怠けてばかりで、熟練しているとはとても言えない。

 けれど彼女も必死で呪文を唱えた。ティララを強く抱きしめながら、シャーロットは魔力を高める。


 雪崩の到達の直前、彼らの魔法が発動した。

 けれど自然の脅威の前で、その護りはあまりにも脆弱だった。

 雪崩の勢いを受け止めたのは、ほんの数秒。

 魔力の防壁にヒビが入る。あっという間に広がって、破れる。

 彼らは雪に飲み込まれ、そのまま崖下へ――


 ――嫌だ!!


 シャーロットは叫んだ。ほとんど無意識で。

 死にたくない。やっと幸せになったばかりなのに、終わりにしたくない!

 では、ティララを探しに来たのが間違いだったのか? ……それも違う。


「私は死にたくない。それ以上に、誰にも死んで欲しくない! 皆で幸せに暮らすの。皆で協力しながら大地と語らいながら、作物を作って。私を受け入れてくれた人たちと一緒に!

 誰一人見捨てるのも、切り捨てるのも、もうしない。絶対に! だから守って――ユニコーン!!」


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