プリンセス・Fコード

ふてぶてしい猫

No.1ただの女子高生

 とある高校の休み時間。

 『あたまいい』という文字が大きくプリントされた黒色のパーカーを着る長い黒髪の女子高生、乙守姫乃おともりひめのは、賑やかなクラスの中、一人寂しく自分の席に座って数学のワークの問題を解いていた。


「えーと…Xの値を……」


 数学は難しい。

 とはいえ、丸い眉を寄せる私にとって、ワークの応用の問題より、何でこんなめんどくさいことを昔の学者は長い間考えて解いていたのか、という方が謎である。


「学者の人はやっぱり…考えが分からない……」


 でもまぁとりあえず、これ以上の数学への愚痴はやめておいて、なんで私が一人寂しく勉強しているのか、という謎について。

 私には、仲の良い友達がクラスに数人いる。でも、その仲の良い友達にも仲の良い友達がいる。

 ここで察しの良い人はもう気づくはず。

 結果から言うと、私の仲の良い友達は、私よりも別の仲の良い人とずっと一緒にいるということ。

 そんな悲しい理由があって、私は今一人寂しく勉強しているということになる。


「はぁ…あぁあ———」


 まるで数学の引き算のような人間関係に、大きなため息が出る。

 ため息と同時に全身の力も抜け、終いには、解きかけのワークの上に倒れ込むように突っ伏して寝る私。

 寝ると言っても寝たふり。

 これぞまさに、一人ぼっちという状況を凌ぐための最善策、その名も"寝たふり話しかけないでよオーラ作戦"。

 この技は、私が一人でいるときにいつでも使える技の一つ。寝たふりをすることで『私は友達と話すよりも今は眠いんだ』という意思を、間接的にクラスのみんなに示すことができる。

 そうすれば、たとえ一人であったとしても、変には思われない―――はず。


「でも…ヒマだぁ……」


 だが、そんな最善策をとったとしても寂しいし暇なのは変わらない。

 孤独に浸りすぎるのも私の身体にはむしろ毒になり得る可能性がある。だから、たまに誰かと話さないと、私はいずれ人間不信になって死んでしまうかもしれない。


「今日も…私の居場所なんて…ないんだなぁ……」


 そもそも"私の話"と馬が合う人がなかなかいないのが一番の原因だと思う。



 私は『バンド』に憧れている。



 きっかけは、私がまだ知識が浅くて幼くて小さかった小学生のとき。

 今と変わらず勉強ばかりしていた私のことを、お父さんがどう思ったのか


『お父さんとバンドを見に行こう』


 と、家から少し離れた『ライブハウス』に連れて行ってくれたのが始まりだった。

 ライブハウスというのは、立ち見できるバンドやアイドルのための小さなコンサートホールのようなもので、『ハコ』と呼ばれることもある。

 もちろん、その時の私はバンドやライブハウスがどんなものかなんて全く知らない。

 だから、そこに着いた時の私はこれ以上ないぐらいブルブル震えて怯えていた。

 入り口を抜け、薄暗い廊下を歩く時もずっとお父さんの後ろに隠れていて


『まるで人慣れしてない子猫みたいだったよ』


 って、お父さんに後で笑われた。


 そんな気弱な私だったが、いざライブが始まった途端、私の心は180度変わった。


 その時の記憶は今も鮮明に覚えている。

 溢れんばかりに大音量で流れるギター、ベース、ドラム、シンセの音にだんだんと体が導かれ、やっとの思いで顔を出す私。

 クラス平均より背の小さかった私は、大人よりも視線が低く、そのおかげで立ち並ぶ大人たちの間からライブを見ることができた。

 そして、隙間から見えた景色には、私が生まれて初めて本気でカッコいいと思える存在が、そこに立っていた。


「カッコいい…!」


 それは、ステージの上で笑顔で楽しそうに歌う、"女性ボーカル"の姿だった。


 紫色の宝石のようなピアスを耳に付け、かきあげた前髪がサラッと揺れ、大きなドクロが描かれた黒いパーカーにかなり大きめのダメージ加工がされたダメージジーンズ。

 そして、ライトに照らされたキラキラと輝いて眩しい深紫色のギターが何よりも特徴的だった。

 その女性ボーカルは、たとえ髪がボサボサに乱れたとしても、息が続かなくなっていたとしても、なんでも楽しそうに笑顔で歌う姿に私は一瞬で虜になっていた。


『続けて盛り上げていくぞ——っ!!』



 "弱くて周りの目を気にしてる私"なんかとは、全然違かったから。



 その時から私はモロに影響を受け、その影響は小学生中学生、そして高校生の春まで続き、将来の夢には大きく"ボーカリスト"と刻まれていた。

 気の合う仲間と一緒に楽しく音楽を奏で、私が憧れるあの女性ボーカルのように笑顔で歌う。


 だが、そんな青春を感じるような素晴らしい夢とは違い、現実は甘くない。


「みんな勉強とか部活ばっかり……バンドやりたい人なんていないよぉ〜……」


 机の下で足をバタつかせ、誰にも聞こえないように腕の中で小さく叫ぶ。

 私の夢とは裏腹に、高校生になったからといって私の毎日の生活にはバンド要素なんてものは何一つなかった。

 小学校や中学校の時にはいなかったとしても、高校に進学したからといって都合よくバンドしたい、なんて思う人が簡単に現れるわけがない。

 ましてや、ここは普通の高校で、『軽音部』なんていうおしゃれな部活は存在しない。

 かと言って、私が友達に

「一緒にバンドやろうよ!」

 なんて誘おうとすれば、友達には苦笑いをされながら断られ、しばらくの間はネタにされて、それがクラスに広まり、挙げ句の果てには見放され———いつかは"本当の独り"になってしまうかもしれない。


「それだけは絶対に避けなきゃ…あぁ…考えたくない考えたくない考えたくない……」


 小学生の頃からまだ夢を見続けている私を誰か褒めてほしい。

 じゃなきゃ、ほんとに夢のままどこかに消えてしまう。


「でも……やっぱり…夢は夢のままの方が……楽なのかな……」


 キーンコーンカーンコーン……


 本当は言いたくないことを小さく呟いた途端、休み時間の終わりを告げるチャイムが教室の中に鳴り響いた。



◇◇◇



「今日も…行こっかな……」


 時間が経ち、気づけばもう放課後の時間。

 部活に入ってない私は、放課後になれば誰よりも自由だった。

 カバンの中に今日使った教科書とかノートを綺麗にしまい、いざ帰る準備OK。

 言うまでもないと思ったけど、帰る時も私は独りだけ。

 みんなちゃんと部活に入っているから、私だけが教室の中にぽつんと取り残されるなんてほぼ毎日のことである。

 一応、


「き、帰宅部なんだ〜」


 って言って誤魔化しておけば、なんとかなるかもしれない。でも、決して胸を張って言えることではないのは確か。

 そんなどうでもいいことに悩みながら、カバンの小さなチャックを開け、中からイヤホンを取り出す。

 そして、イヤホンをスマホに取り付けた後、パーカーのポケットに入れる。

 これが私の帰宅スタイル。パーカーにスカート、ポケットから伸びるイヤホンコード。

 これで、私はどこにでもいそうな帰宅中の女子高生へと変身することができる。


「よし…帰ろ…」


 私の口から出た言葉は、あまりにも寂しかった。

 

「はぁ…いずれ誰かに一緒に帰ろって言えるぐらい、大人になってたらいいなぁ……」


 教室を出て振り返ってみるが、やっぱり教室の中には誰もいない。

 耳が違和感を感じるぐらい静かな教室を横目に、私は廊下を歩き出した。


「"カラオケ"…混んでないと良いなぁ…」


 放課後になってからずっと迷っていたのは、学校から少し歩いたところにあるカラオケに行くかどうか、という些細な問題だった。

 私放課後になると、よく一人で歌の練習をしに行くことがある。

 別にバンドをやる人がいないからと言って、ボーカリストの夢を諦めたわけじゃない。

 だけど、その分人一倍頑張らないと歌が上手くならないし、たとえ一人でも、出来ることはとことんやるしかない。

 そんなことを思いながら、女子トイレの前を通り過ぎようとしたそのときだった。


「ふーんふふーん、わぁっ!?」

「え、うが…っ!?」


 急に女子トイレの扉が開き、ぼーっとして下を向いていた私は気づくのに遅れ、鼻歌を歌いながら出てきた女子生徒とぶつかってしまった。

 体幹が0に等しい私は、ぶつかった勢いのままふらふらとよろけて壁にぶつかり、ドサッと床に尻もちをついてしまった。


「いてて……」

「ごめんっ!大丈夫だった!?怪我はない!?」


 腰をさする私を心配するキラキラの明るい声が聞こえてきた。


「えっと……(やばいやばい…ぶつかっちゃった…!しかも、多分…話したことない人に…!謝らないと…はやく謝らないと…!)」


 だが、そんな声に気づかない私は、ただひたすらに焦っていた。

 なんとか体を起こし謝ろうとしたのだが、


「だ、大丈夫です…!私こそ不注意でした…!えと、す、すみませんでしたっ!!」


 混乱した私は、相手の顔を見ることなく吐き捨てるように謝罪の言葉を言い残し、その場から走って逃げてしまった。

 今まで私が体育で出したことのない速さで廊下を走り、廊下の曲がり角に差し掛かったところで咄嗟に隠れ、ゆっくり深呼吸する———が、私の心臓は落ち着くことなんかできなかった。


「はぁ…はぁ…!私…絶対変な人だと思われた……」


 額に手を当て、ただただ自分に対して失望していた。

 さっきぶつかった人の顔をちゃんと見ることはできなかったが、あの蛍光灯よりも明るい声からして、私が一度も話したことない人であることなのは間違いない。


「謝ってくれたのに……申し訳ないなぁ……」


 たとえ知らない人でも、目と目を合わせて「ごめんなさい」の一言も言えない私はまだ弱い子どものままだ。

 こんな私が、ライブの先頭に立つなんてできない。そもそも歌って良いわけがない。

 自分の弱虫さに呆れ、大きなため息が出る。

 なんとか気持ちを落ち着かせた私は、罪悪感にやられながらもぶつかった衝撃で外れてしまったイヤホンをまた耳に付ける。

 そして、ポケットに入れていたスマホの画面を見ずになんとなくスマホの真ん中辺りを触る。

 最近のスマホはとっても便利。設定さえしておけば、画面を見ずとも簡単に音楽を再生できる。

 毎日続けて同じことを繰り返していれば、勝手に慣れてしまうものだ。


「あ、あれ…?音が小さい…?」


 だが、ここで問題発生。

 いつもならよく聞こえる高性能のイヤホンなのだが、なぜか今は微かな音しか聞こえない。

 証拠として朝の登校中はちゃんと聞こえていた。


「もしかして…さっきの衝撃で壊れたとか…?」


 嫌な予感がする。


「え、どうしよ…最近買ったばっかりなのに……」


 だが、壊れたからといってまた新しいイヤホンを買っていたら、私が貯めている貯金が底を尽きてしまう。

 

「はぁ…でも、仕方ない…今のは事故だし……気づくのが遅れた私が悪いんだから……」

 

 そう自分に言い聞かせ、なるべく聞こえるぐらいまで音を上げてから玄関へ向かい、靴を取って履き替えて早足で学校を出た。




 だけど、ここで私は一つ大きな間違いをしていた。


「今玄関から爆音で音楽が聞こえてきたような…?ちょっと気になるからついて行こ」

「なに今の音……うるさ……」

「あははっ!今なんか面白い子いた気がする〜!」


 それは、私のとてつもなく恥ずかしい醜態を晒すことでもあり、私のこんな生活をひっくり返すような出来事の始まりでもあった。

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