"プリンセス・Fコード"

ふてぶてしい猫

No.1夢見る女子高生

 とある高校の休み時間。

 『あたまいい』という文字が大きくプリントされた黒色のパーカーを着る長い黒髪の女子高生、乙守姫乃おともりひめのは、賑やかなクラスの中、一人寂しく自分の席に座って数学のワークの問題を解いていた。


「えーと…Xの値を……」


 数学は難しい。

 とはいえ、特徴が丸い眉ぐらいしかない私にとってワークの応用の問題なんてものはどうでもいい。

 私が気になるのは、何でこんなめんどくさいことを昔の学者は長い間考えて解いていたのか、ということである。


「学者の人はやっぱり…考えが分からない……」


 とりあえず、これ以上の数学への愚痴はやめておいて、なんで私が開幕から一人寂しく勉強しているのか、という謎について。

 私には、仲の良い友達がクラスに数人いる。でも、その子にも仲の良い友達がいる。

 ここで察しの良い人はもう気づくはず。

 結果から言うと、私の仲の良い友達は、私よりも別の仲の良い人とずっと一緒にいるということ。

 そんな悲しい理由があって、私は今一人寂しく勉強しているということになる。


「ひとりぼっちなんて…やること勉強ぐらいしかないよぉ……はぁ〜……」


 まるで数学の引き算のような人間関係に、私の口から大きなため息が出る。

 ため息と同時に全身の力も抜け、終いには、解きかけのワークの上に倒れ込むように突っ伏して寝る私。

 これぞまさに、ひとりぼっちという状況を凌ぐためだけの最善策、その名も"寝たふり話しかけないでよオーラ作戦"。

 この技は、私が一人でいるときにいつでも使える技の一つ。寝たふりをすることで『私はみんなと話すよりも今は眠いんだ』という意思を、間接的にクラスのみんなに示すことができる。

 そうすれば、たとえ一人であったとしても、変には思われない。

 でも、欠点があるとすれば、私のことを見てくれる人がいない限り、その効果は発揮されないということ。


「あぁ…私はなんでこんなに寂しい生き物なんだろうか……」


 私の身体には、"孤独耐性・弱"という変なステータスが存在する。

 孤独になったとしても、ある程度の間ならメンタルを削らないでいられるというもの。

 だが、そのある程度を過ぎると、私の身体は『孤独』という名の毒に侵されてしまい、今の私のように、頭の中にネガティブな感情だけになっちゃうのだ。

 

「今日も…私の居場所なんて…ないんだ……」


 こんな感じに。

 でも、私が孤独になる理由は何となく分かる。



 私が、『バンド』に憧れているから。



◇◇◇



 きっかけは、私がまだ知識が浅くて幼くて小さかった小学生のとき。


『パパとバンドを見に行こう』


 今よりも勉強ばかりしていた私に、お父さんから言われた言葉が始まりだった。


 もちろん、その時の私は幼く、"バンド"がどんなものかなんて全く知らない。

 戸惑いながらも、誘いに断れない私は、お父さんに家から少し離れた"ライブハウス"に連れてかれた。

 ライブハウスというのは、立ち見できるバンドやアイドルのための小さなコンサートホールのようなもので、"ハコ"と呼ばれることもある。

 でも、そこに着いた時の私はこれ以上ないぐらいブルブル震えて怯えていた。

 知らない建物に薄暗い店内、知らない大人。子どもにとって怯える要素しかなかった。


『人慣れしてない子猫みたいだったよ』


 って、お父さんに後で嫌と言うほど笑われた。


 そんな幼い子猫の私だったけど、いざライブが始まった途端、私の見ていた世界が大きく変わった。


 その時の記憶は今も鮮明に覚えている。

 溢れんばかりに大音量で流れるギター、ベース、ドラム、シンセの音。

 その時の私にとって初めて聴く音楽のジャンルに、私の胸の興奮は治らなかった。

 クラス平均より背の小さかった私は、大人よりも視線が低く、そのおかげで立ち並ぶ大人たちの隙間通ってステージを覗くことができた。

 私の見えた景色には、私が生まれて初めて本気でカッコいいと思える存在が立っていた。


 ステージの上で笑顔で楽しそうに歌う、"女性ボーカル"の姿だった。


 紫色の宝石のようなピアスを耳に付け、かきあげた前髪がサラッと揺れる。大きな惑星が描かれた黒いTシャツにかなりのダメージ加工が施されたジーンズ。

 そして、何よりもライトに照らされたキラキラと輝いて眩しい深紫色のギターが印象的だった。

 たとえ髪がボサボサに乱れたとしても、息が続かなくなっていたとしても、なんでも楽しそうに笑顔で歌う姿に私は一瞬で虜になっていた。


『続けて盛り上げていくぞ——っ!!』



 まるで、童話に出てくるプリンセスを見たときと同じような感覚だった。

 自由に歌い、好きなように生きている。

 私の夢みたいだった。



◇◇◇



 こうして、私はモロに影響を受け、今もこうしてバンドを組むことに憧れている。

 気の合う仲間と一緒に楽しく音楽を奏でる。

 そして、私もあんな風に歌うことが一番の夢。


 だが、そんな青春を感じるような素晴らしい妄想とは違い、現実は酷く辛い


「みんな勉強とか部活ばっかり……バンドやりたい人なんていないよぉ……」


 机の下で足をバタつかせ、誰にも聞こえないように腕の中で小さく叫ぶ。

 そう、私の夢とは違い、バンドとは無縁な生活だった。

 高校に進学したからには流石に音楽に触れる機会が多くなるって思っていたのに、この高校には、音楽の授業がないどころかバンドに興味を持った人すらいない。

 ましてや、ここは普通の公立高校で『軽音部』なんていうおしゃれな部活は存在しない。


「一緒にバンドやろうよ!」


 今の友達にこう言ったら、どんな反応されるか。

 きっと苦笑いされながら断られ、しばらくの間は話のネタにされ、それがクラスから学年、学校全体に広まって、やがて変なヤツ認定されて終わり。


「あぁ…!それだけは絶対に避けなきゃ…考えたくない考えたくない考えたくない……」


 髪がくしゃっとなるほど私は頭を押さえる。

 誰か一人でいいから、小学生の頃からまだ夢を見続けている私を褒めてほしい。


『その夢良いね』


 これだけで良い。

 じゃなきゃ、ほんとに夢のまま消えちゃうのだけは嫌だ。


「でも……やっぱり…夢は夢のままの方が……楽なのかな……」



 本当はこんなこと、言いたくない。



◇◇◇



「あれ…もうみんな…いないや…」


 帰りのホームルームが終わり、放課後。

 机にカバンを置いて黒板を眺めていたら、私だけ教室の中にポツンと取り残されていた。


「でも、もう慣れたこと…私なんてエビフライの尻尾みたいなものだし…」


 みんなちゃんと部活に入っているから、私だけが教室に取り残されるなんてほぼ毎日のこと。

 机の中とロッカーの中を確認し、忘れ物がなければ帰る準備OK。

 言うまでもないと思ったが、帰る時も私は孤独。

 カバンの横にある小さなチャックを開け、中からぐちゃぐちゃに絡まったイヤホンを取り出す。


「うぇ…まただ…」


 そして、何とかイヤホンを解いた後、スマホに取り付けてからパーカーのポケットに入れる。

 これが私のいつもの帰宅スタイル。パーカーにスカート、ポケットから伸びるイヤホンコード。

 これで、私はどこにでもいそうな女子高生へと変身することができるのだ。


「よし…帰ろ…」


 なんと寂しい言葉だろうか。


「はぁ…いずれ誰かに一緒に帰ろって言えるぐらい、大人になってたらいいなぁ……」


 教室を出て振り返ってみるが、やっぱり教室の中には誰もいない。

 耳が違和感を感じるぐらい静かな教室を横目に、私は廊下へと歩き出した。


「カラオケ…今日は混んでないと良いけど…」


 放課後になると、私はよくカラオケに行く。

 別にバンドをやる人がいないからと言って、ボーカリストの夢を諦めたわけじゃない。

 もしかしたら、カラオケに音楽プロデューサーがいてスカウトされるかもしれないし。


「なんて、あるわけないよねー……」


 でも、頑張らないと歌は上手くならないし、たとえ一人でも出来ることはとことんやるしかない。

 今日歌う曲をスマホで調べながら、女子トイレの前を通り過ぎようとしたそのときだった。


「ふーんふふーん、わぁっ!?」

「え、うが…っ!?」


 急に女子トイレの扉が開いたのだ。

 スマホに夢中だった私は気づくのに遅れ、鼻歌を歌いながら出てきた女子生徒と正面衝突してしまった。

 しかも、体幹が0に等しい私は、ぶつかった勢いのままふらふらとよろけて壁にぶつかり、ドサッと床に尻もちをついた。


「ぐはっ…!こ、腰が…!」

「ごめんっ!大丈夫だった!?怪我はない!?」


 痛む腰をさする私を心配する、なんともキラキラして明るい声が私の耳に聞こえてきた。


「(やばいやばい…ぶつかっちゃった…!しかも、多分…話したことない人に…!謝らないと…はやく謝らないと…!)」


 だが、そんな声に気づかない私は、ただひたすらに焦っていた。

 ぶつかったのは私の責任であり、尚且つ話したこともないのに迷惑をかけてしまってすみませんでした。こう言えば良い。

 そう閃いた私は、口を開ける


「せ、責任はぶつかったのであり…尚且つ迷惑したこともないのに…話しかけてしまってすみませんでしたっ…!!」


 だが、混乱に耐えきれなかった私は、相手の顔を見ることなく吐き捨てるように謝罪の言葉を言い残し、その場から走って逃げてしまった。


「えっ!?ちょっ!?どういうことーっ!?」


 私の後ろから声が聞こえたが、それよりも私は逃げることで頭がいっぱいだった。

 そして、私は今までの体育で出したことのない速さで廊下を走り、廊下の曲がり角に差し掛かったところで咄嗟にロッカーの裏に隠れた。


「はぁ…はぁ…!私…絶対変な人だと思われた……てか、何言ってたんだ…私…」


 額に手を当て、自分に対して失望していた。

 さっきぶつかった人の顔をちゃんと見ることはできなかったが、教室の蛍光灯よりも明るい声からして、私が一度も話したことない人であることなのは間違いない。


「謝ってくれたのに……申し訳ないなぁ……」


 たとえ知らない人でも、目と目を合わせて『ごめんなさい』の一言も言えない私はまだ弱い子どものままだ。

 こんな私が、ライブの先頭に立つなんてできない。そもそも歌って良いわけがない。


「はぁ…バカ、アホ、マヌケだよ…私」


 自分の弱虫さに呆れ、大きなため息が出る。

 罪悪感に心をやられながらも、私はぶつかったときに外れてしまったイヤホンをまた耳に付ける。

 そして、ポケットの中にあるスマホの画面を見ずになんとなく手探りで触る。

 最近のスマホはとっても便利。設定さえしておけば、画面を見ずとも簡単に音楽を再生することができる。

 毎日続けて同じことを繰り返していれば、勝手に手が慣れてしまうものだ。


「あ、あれ…?音が小さい…?」


 だが、ここで問題発生。

 いつもならよく聞こえる高性能のイヤホンなのだが、なぜか今は微かな音しか聞こえない。


「もしかして…さっきの衝撃で壊れたとか…?」


 嫌な予感がする。


「え、どうしよ…最近買ったばっかりなのに……」


 だが、壊れたからといってまた新しいイヤホンを買っていたら、私が貯めている貯金が底を尽きてしまう。

 

「はぁ…でも、仕方ない…今のは事故だし……気づくのが遅れた私が悪いんだから……」

 

 そう自分に言い聞かせ、最大まで音量を上げてから玄関へ向かい、靴を取って履き替えて早足で学校を出た。




 でも、私はここで大きな間違いをしていた。


「今爆音って、さっきの子だよね。面白そうだから、着いていこっ!」

「なに今の音……うるさ……」

「あははっ!今なんか面白い子いた気がする〜!」


 それは、私のとてつもなく恥ずかしい醜態を晒すことでもあり、私のこんな生活をひっくり返すような出来事の始まりだからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る