第27話 酒と女と男と復讐

 暗い店内。

 蝋燭の灯りだけで手元が照らされている。

 見える範囲はウィスキーのボトルと手元のグラスだけ。

 スポットライトの中にいるようで、この光景がルージュ・エメリーは好きだった。


 バーテンダーのグラスを拭く音。


 傾けたグラスの中で氷が笑う音。


 自分の喉が鳴る音。


 酔いの進みに合わせてそれらが渾然となる。


 そのまま眠りに堕ちる。


 邪魔さえなければ。


「画面映えしてましたよー! さすがルージュ・エメリーですね」


 席をひとつ開けた所に座っている男が軽薄な声でルージュを誉めそやす。


「うるさい」


 その声にルージュはスポットライトの下から引き摺り下ろされる。


「いやー、サリー・プライドが出てくるのは予想外でしたが、同時に大会の価値も上がります。これはチャンス! ここで優勝すればルージュ・エメリーは一気にトップアイドルに昇りつめますよ」


 なおも続けるこの男はルージュをスカウトをした組織の男で、以来ルージュのマネージャーのような立ち位置におさまっている。

 不機嫌には慣れっこな男はなおもルージュを褒めそやす。


「うるさい」


 普段ならそこまで気にならないが、今日はダメだった。

 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。

 ルージュの頭の中には嵐のような言葉がひたすら渦巻いていた。

 以前のルージュなら一度目のうるさいからそのまま暴れていただろう。


 今は違う。


 嵐のような感情は全て内にためている。

 解き放つのは今じゃない。


「無事出場できましたし。闇討ちを重ねた甲斐がありましたねえ」


 わざとらしく声を顰める。


「……うるさい」


 それが余計に癪に障る。


「クフフ。並み居る有力候補者を打ち破る姿は壮観でしたよ。ルージュさんの一点突破があんな形で進化するとは思いませんでしたねえ。望外の僥倖でしたが。クフフ……」


 何が楽しいのか。

 ルージュにはわからなかった。


「っさいって言ってんの!」


 つい耐えきれずにバーカウンターにウィスキーグラスを叩きつける。


「ああ、失礼しました。ルージュさんと話しているとついつい口が滑らかになってしまって! もうこの口を縫い付けましょうかね?」


 出会って以来。

 口癖のように言うこの言葉。

 あの時のバーとは比べるまでもなく高級なバーのカウンター前に今は座っている。

 トワイライトの看板だった時よりも高級店に行く頻度は上がった。


 全部。


 組織の息がかかった店だが。

 裏には落ちない。

 むしろ裏を利用して表で昇りつめる。

 そう思っていた頃などもう思い出せないほど遠い。

 契約後に知った事だがルージュ・エメリーがアイドルバトルに出場するには奇跡が起こらないと無理であった。

 しかし奇跡は起こらないから奇跡。

 出場できなければルージュは裏に落ちる。

 ではどうするか? ルージュが悩むそんな中。

 男が提案してきた方法は実に裏組織らしい方法だった。

 他人を蹴落とす。

 言い方を綺麗にしているが要は暗殺、闇討ちである。


 はじめはルージュも抵抗した。


 しかしルージュがサインした書類は契約書の最後の一枚で、隠されたそれ以前のページにぎっしりと不利な条件が書き込まれていた。

 事務所の意向に背く事。

 それは同時に裏側の底辺に落ちる事を意味していた。

 従うしかなかった。

 他に方法もない。


 はじめて人を刺した感触はいまだに夢に見る。


 夢の中で人を刺す自分を俯瞰で見ている。

 もう心は動かない。

 それでも繰り返し夢に見る。

 事故に見せかけたり、証拠を隠滅したり、組織は手を変え品を変え、ターゲットを指定してきた。

 たまに混ざるアイドルバトルとは無関係そうな人間の事も考えないようにした。


「ルージュの一点爆破であんたの口を使えなくするってのがルージュの理想よ」


 出会った時と同じように空になったウィスキーボトルを男に向ける。

 あの時は割って先端を尖らせていたが今はその必要はない。


「クフフ。怖いですねえ。組織のトップ暗殺者である貴女にはそれが実現できる」


 暗殺を繰り返す内に一点突破というアイドルウェポンから派生して様々な戦闘スキルが生まれた。

 自分が生き残るために生み出されたスキルは、同時に人を殺す事に特化したスキルであった。


「冗談じゃないわよ」


 いつの間にか男が持っているグラスには小さな穴があきそこから酒がこぼれていた。


「ンッフッフフ。怖い怖い。こんなに怖いのに板の上でには立派なアイドルだ。尊敬しますよ」


 そう言った後、小さな穴からこぼれる酒が口に注がれるようにグラスを持ち上げる。

 せっかく逃してあげた高級酒が下卑た口に注がれるのをいかにも哀れだとルージュは見つめた。


「あんたらはそう思ってないだろうけどね。ルージュはアイドルなのよ」


 ウィスキーのボトルをカウンターに置く。


「ちゃんとわかってますとも。どうあろうとも貴女はアイドルだ」


 ちっともわかっていない軽薄な声に虫唾がはしる。

 ルージュはステージに立てなくなった時の悔しさをいまだに忘れられない。

 人を殺した記憶よりもルージュを苛む。

 それを奪ったセシリア・ローズに復讐するために今のルージュは生きている。

 復讐は果たして、ステージの上に返り咲く。


「そのためならなんだってやるのよ」


 ひとりごちて氷の入っていないグラスにウィスキーを注ぐ。


 それをただ傾ける。


 男ももう何も言わなくなっていた。




 ただ酒と夜はふけていく。

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