色めくトライアングルは響かない
よなが
崩れた三角形
私たちは4と8だ。
だって、彼女こそが始まりであり終わりでもある12でないといけないから。
通っている高校の最寄駅から西側へ徒歩五分、大通りから外れて細い脇道に入った場所にある隠れ家めいたカフェ。
私たちが穏やかな時を刻むのは、その店で唯一の三人がけテーブル。ほとんど私たちの専用席と言ってもいい。
円形の木製アンティークテーブルはその中心から太い支柱を床へと伸ばし、X状に分かれている脚はあたかも地面を踏みしめる生き物のよう。
等間隔に置かれている椅子を点で結べば正三角形。骨董品の趣があるデザインで、腰を下ろす部分は革張りになっていて、背もたれは華奢な造りだ。
同じ中学校から同じ高校へと進学して二ヶ月足らず、月曜と木曜の放課後にこのカフェに三人いっしょで訪れるのが私たちの習慣となっている。週に二度の寄り道、仲良し三人組の集まり。
しかし梅雨入りを目前にした今日、曇天の木曜日に私たちは二人でカフェへと入った。
三人目、私たちにとってはむしろ一人目である彼女はどうしても外せない家の用事があるせいで、一足先に帰宅している。
今までにも三人揃わない日はあったけれど、その場合は二人だけで寄り道をすることはまずなかった。それが暗黙の了解となっていたのだ。
そうした事実をふまえてなお、私たちはその日、二人で入らないといけなかった。
学校から店へと向かう道中、いつもだったらあり得ない深い沈黙の中で私たち二人が考えていたことはきっと同じ。話し合う時が来たのだと互いに理解していた。
これまでの軌跡によってもたらされた、私たちのこれからを左右する、世の中にありふれた事象について。
「なんだか、ここに初めて来たのが遠い昔にように思える」
店の繁盛具合に不釣り合いな、やけに美味しいフルーツサンドを黙々と食べた後で、8に腰掛けているキョウコが呟いた。4に座っている私を見ずに発されたその言葉を拾うも拾わないも私しだい。
「レイナがいなかったら、一生入ることがなかったかも」
私はキョウコに倣って、彼女を見ることなしに、なんでもないふうにそう言った。
レイナの名前を出すことが話を進める上で最重要だとはわかっていた。その意味で私の反応は正解。
果たして、キョウコは「そうそう」と私に目線をよこして微笑んだ。その笑みは私の返事に対する好意ではなくレイナのことを頭に浮かべて自然に溢れたのだと察する。
私はティーカップに残った、この店の評判を落とし続ける不味い紅茶を喉に運びながら空席をちらりと見る。12の位置、レイナの席だ。キョウコはというと、露骨にその席を眺め始めた。その席にいつも座っている彼女の姿を思い描いているに違いない。
「いないと寂しい?」
カップを安物のソーサーにゆっくり置き直してから私はキョウコに尋ねる。
一切の感情を込めないように、ただ聞いてみただけなんだと偽って、知りたいことを知るために。
「ええ? つい1時間前までいっしょにいたんだよ。それに明日だって会えるし、なんだったら今夜、電話だってできる。でしょ?」
明瞭な答えになっていない。
私は曖昧に相槌を打つと「たしかに」とひとまず言ってみてから、もう回りくどいのはなしにしたほうがいいのではと考えを改めた。それは向こうも同じだったらしい。
「ねぇ、ハルミはどうなの。レイナのことをどう思っているの? 聞かせてほしいな」
にっこりと。このカフェの少ない従業員が身につけていない、サービス業に従事する人間にとって模範的な笑顔を貼りつけたキョウコが言う。
交差する視線。誤魔化しは効かない。
「――大好き。ここのフルーツサンドの百倍じゃ足りないぐらい」
冗談じみた表現のくせして、生真面目な声色になってしまった。かなり。まるで映画のワンシーンみたいな。けれど観客になることは許されない。
「そっか」
「うん」
「私も。レイナのことが…………好き」
キョウコの視線が泳いだのはほんの少しの間だけだった。そうしてから告げられた「好き」には重さがあり甘さがあり、だからこそ私には苦くのしかかってきた。
ぶつかり合っていた視線が、何か目に見えない力に引かれて、また空席へと移った。
レイナ。
私たち二人が想いを寄せる少女の名。
友達という関係では物足りない、友情以上のものを求めている存在。
私たち三人は中学二年生の時に初めて同じクラスになり、それから特別なきっかけなしに友達となり、親友となり、三人いっしょにいることが多くなって、やがてそれが当たり前となっていた。
「いつから?」
私はそんなことを問いかけてみる。
自分自身にも。
いつから私はレイナに恋をしているのだろう?
何月何日だとはっきりわかればいいのに。そう望む一方で、そんなの無理だとも思う。
一目惚れではなかった。初めて会った時から、綺麗な子だとは感じたけれど、それは誰しもがレイナに抱く印象だ。表面的なもの。今ではその心の奥底、他の誰も知らないような柔らかくて脆く、そしてなにより甘美な部分にまで触れたいと恋い焦がれている。堪え難い熱をもって。
「さあ、いつからだろう。けどね、気がついたら……ただ見惚れて終わりじゃなくて、たとえば、キスしたくなっていたし、もっとすごいことだって想像しちゃってた」
キョウコの目がまた泳ぎ、やがて視線が沈む。頰が仄かに赤味を帯びていた。
こういう表情、クラスの男子が見たら、さぞかしときめくのだろうなと思った。同性の私でも可憐だと素直に感じる。さっきのいわゆる営業スマイルとはうってかわって素の彼女の恥じらいだ。
「ハルミは……違うの?」
私が何も言わずにいたせいで、キョウコが不安げな眼差しを向けてくる。
「うまくイメージできないや。恋人同士でするようなこと。ううん、たとえ恋人同士じゃなくたってできるけれど、とにかく私はまだレイナとそういうことをする自分がいまいちイメージできない。したいと思う、たぶん」
「たぶん、なんだ」
「うん。ブレーキがかかっているみたいな。だって、私たちは友達で、女の子同士で、それで…………まあ、それだけなんだけれど」
「ねぇ、ハルミ」
キョウコが腰を浮かせない程度に私の側へと身を乗り出し、密やかな声で話す。
「抜けがけは禁止だからね。レイナは優しいから、私たちのどちらかが真剣に告白したら、傷つかないように気遣った態度をとるはずだよ。もしかしたら試しに付き合ってみようかって言うかもしれない。しかもそのことを残りの一人にきちんと報告しちゃったりもして。そうなるって思わない?」
「思う。何度か男の子相手に使った『今は剣道に集中したいから』って断り文句はさすがに私たち相手には言わなさそう」
「だよね」
「でも、私たち二人が今ここで、レイナに勝手に告白しないと約束したって、それが根本的な解決に繋がるとは思えない」
「根本的な解決」
すっと離れて、オウム返しをしたキョウコの面持ちにはどこか冷めたところがあった。
「もしも。そう、もしもって何百回も考えているの。ハルミも考えてみて。レイナがある日突然、通りすがりのイケメン君に困っているところを助けられでもして、恋に落ちたらって」
「ドラマチックだね」
「レイナだもん。そのほうが似合う」
私は首肯く。そうかもしれない。多少なりとも劇的であるべきだと。
「それでね、そのことを私たちに相談してきたとき、応援してあげられるのかなって」
「難しいだろうね」
「難しい? ねぇ、それってつまり……できるかできないかで言えば、できるって意味だと受け取っていいの? どうしてそんなに平然と返してくるわけ」
キョウコが苛立つ。表情はともかく口調が刺々しくなる。そう珍しくもない。私たち三人の中では一番、感情の起伏がある子だ。
出会ったばかりの頃はすぐにイライラして、それを顔に出すことも多かった。
思えば、それが変わったのは、他でなくレイナに「せっかく可愛いのに、そんな難しい顔してばかりなのはもったいないわ」と言われたのがきっかけではなかったか。
きっとそうに違いない。もちろん、その時にレイナが口にした「難しい」と私が今言った「難しい」は全然違う。
「できるかどうかじゃなくて、したいと思ったから。レイナが本気で恋をしたなら応援してあげたい。私の側に我慢しないといけない気持ちがあって、それが簡単でなくても、それでもレイナのためなら私はそうする」
「……ハルミはいつもそう。人として正しいのはこうだ、ってのを突きつけてくる。でもね、今回は間違っている。というか、そんなの恋じゃない」
「じゃあ、なに」
あの子のそばにいるだけで感じる幸福、あの澄んだ瞳が自分に向けられていない時に覚える胸の痛み、一人でいる時でもあの綺麗な声が頭の中でリフレインしては身悶えする日々。すべてが特別だ。あの子の隣で、あの子の香りにずっと包まれていたい。たとえ触れられずとも……。
これが恋でないのならなんだ。
「知らない。でも、私だったら応援なんてできそうにない。そう、できないの。だから怖い。もしもレイナが恋に落ちたら。自分がどんな行動に出るのかわからない」
「レイナを悲しませないで」
「いい子ちゃんぶらないで」
間髪入れずに返してくる。こんなふうにキョウコに敵意を剥き出しにして睨みつけられたのはいつが最後だったか。高校生になってからは初めてだと思う。
「いい子ぶるつもりはないよ。レイナにとって親友の一人であるキョウコが、自分自身や誰かを傷つけることがあれば、あの子は悲しむ。私はそれが嫌なだけ」
「親友の一人、か」
私から視線を逸らすと、ティーカップの縁を指でなぞって呟くキョウコだった。
ふと目にした壁時計の針が午後六時ちょうどを示している。いつもの解散の時間。
ここに来るのが月曜と木曜なのは、レイナが所属している剣道部が休みだからだ。厳密には朝練のみの曜日。
付け加えておくと私が入っている天文同好会は週に一度あるかないかの集まりで、キョウコは帰宅部。運動が苦手な私たち二人がレイナから剣道部に誘われたことはない。残念ながらと言うべきか、マネージャーのような立場での部員募集はしていなかった。
「ありがとね」
ぼそっと。キョウコがそう言ったのは六時三分が過ぎてからだ。
「何が」
「なんとなく。感謝したいわけじゃないけど。話せてよかったなって。正直、私一人で抱える続けるのはつらかったから。これでハルミが恋敵じゃなかったらもっといいのに」
結局、恋だと認めてくれたのだろうか。それとも言葉の綾か。いずれにしても私はキョウコを憎めそうにない。少しばかり短気だけれど根が優く、寂しがり屋でもあって、やや意地っ張りなところもあるのはこれまでで充分に知っているから。
「誤解を恐れずに言うと」
私はまずそんな予防線を張る。キョウコをそう何度も苛立たせたくなくて。
「見ず知らずの男の子にとられるぐらいなら、キョウコがいい。キョウコだったらレイナを大切にしてくれるって信じられる」
「ねぇ、それって遠回しに告白してみろって言っている?」
「曲解しないで」
「ちなみにね、私はハルミでも許せない。いや……ハルミだからこそ許さないから」
「そうなんだ」
「よく覚えておいて」
「わかった」
概ね予想どおりのやりとりだった。
私は溜息を一つついてから「そろそろ帰ろう」と言って立ち上がる。そして、席を立とうとしないキョウコを無視して会計へと向かった。外へと出ようとしたところで、後ろから小声で「ちょっと。待ってよ、ハルミ」と駆け寄ってくるキョウコに忘れ物がないかを確かめる。
二人して、丸いテーブル、そして三つの空席を振り返って見た。
私たちの聖域。
願わくばいつまでもそうあってほしい。
ほしかったのだ。
キョウコと二人きりでの放課後から数日が経った、梅雨入り直後に私たちの三角形は崩れた。私たちが愛したレイナの死をもって。
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