第2話 反転

「バルリング家から婚約解消を求める手紙が来た。……そこまで嫌だったのか?」

 ベルクヴァイン公爵家では当主が息子のアルフォンスにそう尋ねていた。聞かれたアルフォンスは何を今更、と言わんばかりにそっけなく答える。

「そもそも、俺は何一つ了承していません」

「高位貴族が自分の意思で結婚できるとでも思っているのか? はあ……嘆かわしい。身分の差はともかく、バルリングの持つ技術は惜しかったのだが」

 そうグチグチと言う父親はアルフォンスは本気で嫌っていた。

 何故ならアルフォンスには恋い焦がれる女性がいたから。

 その女性の名はローデリカ。この国の第一王女である。小さい時に王家の主催する舞踏会で見かけた日からその美貌の虜になっていた。いつか彼女にプロポーズしようと思っていた。ところか父親は遠縁で裕福だからとかで勝手に婚約者を決めるし、その女が亡くなったから晴れて王女にアプローチ出来ると思っていたら、また勝手に婚約者を決められる。しかも金で爵位を買ったと有名なバルリング男爵の娘。幸いなのはこれが口約束の婚約だったことだ。

 こちらはその気が全く無い。それなら気を持たせるような行動をするのは逆に不誠実と考え、アルフォンスはミリーに徹底的に冷たく接した。

 それがようやく功を奏し、向こうから解消を求める手紙が来た。向こうから言ってきたのだから、こちらに非はない。少なくともアルフォンスはそう本気で思っていた。

 ミリーの野暮ったい雰囲気も、軽々しく愛を囁く軽薄さも大嫌いだった。これで高貴なローデリカ様に堂々と会いに行ける。そう考えたアルフォンスは翌日から早速実行に移した。ローデリカもアルフォンスも同じ学園に通っているのだ。


 手始めに美しい薔薇を一輪持って会いに行った。貴方のような薔薇です、と歯の浮くような台詞付きで。何せまともに話をするのはこれが初めてなのだ。浮かれてしまうのも仕方なかった。

 しかしローデリカは高貴で美しい令嬢ではあるが、残念ながら性格はよろしくなかった。兄である第一王子とは異母兄妹であり、正妃腹の兄と違い自身は第二妃の娘だが、自分の母親のほうが寵愛されているというプライドがあった。成長するにつれそのプライドは変な方向に育っていった。

 アルフォンスから薔薇を受け取ったローデリカはあからさまに嫌そうな顔をしたあと、アルフォンスの目の前で薔薇を茂みにポイと捨てた。

「わたくし、薔薇は嫌いなのよね。昔棘で怪我をしたことがありますの。貴方、そんなことも知らずに渡してきたの? 不愉快だわ」

 アルフォンスは一瞬ぽかんとしたが、目の前の女性はアルフォンスの想い人以前にこの国で三番目に偉い女性だ。慌てて謝罪した。

「す、すみません。以後気をつけます」

「そうしてくださる? わたくしは教室に戻ります。貴方とは確か一緒のクラスでしたわね。貴方、遅れて入って来なさいな。私と貴方が同じタイミングで戻って下賤の者達の噂になるのはごめんだわ」


 とことん上から目線の言葉だったが、アルフォンスは断る権利もないので承諾した。

 ローデリカが去って、アルフォンスは捨てられた薔薇を見る。

 王都でも評判の新種の薔薇で、一番に咲いた摘みたての花。ローデリカの赤い髪のような深紅の薔薇。ミリーと婚約関係だった頃に無理を言ってバルリングから貰い受けた花だった。それもこれもローデリカを喜ばせたいためだったのに……。


 アルフォンスは薔薇を拾い、ゴミ箱に捨てた。その虚しさといったらなかった。ローデリカがあんな人間だったなんて……。

 たった一回好きな人に冷たくされただけでこんなにもショックを受けるなんて思わなかった。

 そこで初めてミリーのことを思い出した。どんなに冷たい態度をとっても翌週の日曜日には変わらず好き好き言ってたあの子。どんだけメンタル強いんだよ。いや、俺が好きすぎるってだけなのか? ……そんな子に一度も優しい言葉をかけないで、今思えば悪いことしたかな。

 そこまで考えて慌てて首を振った。

 きっとローデリカ姫は機嫌が良くなかったんだ。もう一度話しかければ違うはず。


 そう思って春のダンスパーティーで誘いにかけたが、ローデリカは冷ややかな目で見てこういった。

「領地の経営難で男爵ごときの世話になる公爵家なんて恥ですわ。わたくしも安く見られたものね。貴方の相手をするくらいなら死んだほうがマシというものです」

 ローデリカはそう言ってアルフォンスの誘いを断ったが、隣国の王子とのダンスは受けて何度も楽しんでいた。隣国王子と踊るローデリカの目は大変熱っぽいもので、誰もが彼女は彼を愛しているのだろうと悟った。

 王族相手では勝ち目はない。ましてローデリカの好意は全くないのだから最初から可能性は無かった。

 呆然と二人のダンスを見つめるアルフォンスの肩を、悪友のワルトが叩いた。


「アルフォンス……元気出せよ。ローデリカ姫だけが女じゃないだろ」

「……ローデリカ姫ほど高貴で美しい方はそうそういないだろ。適当なこと言うな」

「お前そんな理由でローデリカ姫のこと好きだったの? 中身なんてまるで見ちゃいないんだな。そりゃ姫だって嫌がるんじゃないか」

「……うるさい!」

「なにはともあれ、ああまで言われたんだから諦めろよ。姫様にああまで言われて好きで居続けるのもつらいだろ?」

「……」


 悔しいが、ワルトの言う通りだった。一片の希望もないこの状況で姫を好きで居続けるメリットなどないし、むしろ公衆の面前で馬鹿にしてくれたお陰で感情が反転して苦手意識さえ持ちつつある。 


 こっちが嫌いなら嫌いでいいが、それなら王女としてもっと鷹揚な態度を取ってくれても良かったんじゃないか。自分より下の人間には人権がないとでもいうのだろうか。一切優しい態度を見せなかった王女と婚姻する相手も気の毒だ。モラハラ妻になるだけでは?

 そんなことを考えていたアルフォンスだが、それはまんま過去に自分がミリーにしていた態度ではないか? と思い至り、顔から火を噴く勢いで恥ずかしくなる。顔が真っ赤になったのをワルトに気遣われ「疲れたのか? テラスで夜風に当たったらどうだ?」 と勧められたのでその通りにした。



 テラスで涼しい風を浴びている間、アルフォンスは瞼の裏にやけにミリーがちらつくのを感じていた。

 思えばミリーはいつでも優しかった。それに比べてローデリカはどうだろう。身分や容姿は至高の女性だが、自分を一切認めてくれない人間なんて一緒にいて疲れるだけだ。好き好き言ってくるのを軽薄に思っていたが、常に見下してくる人間と比べればそれがいかに有り難いことか。

 もうローデリカみたいなタイプはこりごりだ。身分は下でもいい、そうほうが気後れしない。感情を素直に伝えてくる女性がいい。出来れば好意的な感情オンリーで。特別美人でなくてもいい。大抵他の男も狙っているから、負けた時に惨めになる。平均くらいでいいから自分だけを慕って、実家も裕福だったら最高だ。つまるところ……。

 アルフォンスは無性にミリーに会いたい気分になった。会ってまた自分に愛を囁いてくれれば、今の自分のボロボロな自己肯定感も戻る気がした。

 ……いや、婚約解消しておいてそれはないだろう。

 でもミリーだったら今の自分を救ってくれそうな気がする。ああ、またミリーの笑った顔が見たい。凄く見たい。

 ……今日はどうしてこんなにミリーのことばかり考えるのだろう? まさか……。


 王女程ではなくともプライドの高いアルフォンスにはそれを認めるのは苦痛をともなった。

 だが数日もすると彼の中で折り合いがついた。


 自分はミリーが好きだ。


 認めたら認めたでやはり葛藤がともなったが、それでもアルフォンスはミリーと共に生きたいのだという結論になった。


 しかし壁が立ちふさがる。

 今更どの面下げて「もう一度婚約しよう」 なんて言えるだろうか。

 父親からは散々嫌味を言われたから頼りたくない。かといって単独でバルリングに訴えても「当主を通さないなんて信用ならん」 で一蹴されそうだし……。

 学園のベンチで一人悩むアルフォンスに声をかける人間がいた。


「こんな所でどうしたのよアルフォンス?」


 母の姉が産んだ娘で、いとこにあたるセンテだった。アルフォンスと同じ金色の髪と碧い目。黙っていれば双子に見えるかもしれない。アルフォンスは三カ月早く生まれたというだけで姉ぶるこのいとこに苦手意識があったが、今はむしろそれが頼もしい。


「センテ、協力してもらえないか」

「あら、アルフォンスが頼み事なんて珍しい。一体なに?」

「実は……」


 アルフォンスは都合の悪いところは上手くぼやかしてことの次第を伝えた。


 口約束ではあるが婚約していた男爵令嬢がいた。

 不幸な行き違いで半年で解消となった。

 そうなってから彼女に良さに気づいた。

 出来れば復縁したいが、決まり悪いし向こうの気持ちも考えると迂闊に動けない。

 その女性は来年入学してくる。

 よりを戻すためにセンテの力を借りたい。


 それを聞いたセンテは喜んだ。


「あのプライドの高いアルフォンスが復縁を考えるなんて! 自分が認めた女性以外は全員ゴミにしか見えないのかと思ってたわ!」


 センテは悪気なくそう言う。というか悪いことを言ってるのだとは微塵も思っていない。言われたアルフォンスとしては吃驚した。自分じゃなくて第三者のことを言っているのだとしたら笑いながら酷い人間もいたもんだねと言っただろうに。


「俺、そんな酷い男に見えてた……?」

「何言ってるのよ。ローデリカ姫が好きって聞いた時点であんたの女性の趣味の悪さとプライドの高さは分かってたわよ。あの姫様、男性受けはいいけど女性受け最悪の人なの貴方は気づきもしなかったわね。その男性受けだって一度も話したことのない人限定で良かったけど……。忠告しようにも熱をあげてる状態じゃ何を言っても無駄だったろうし。振られた時はそりゃそうでしょうとしか思えなかったわ」


 恋に恋していたのは自分だったのか、とアルフォンスは何も言えなくなる。


「そんな貴方を変えただなんて余程の人ね。分かったわ。全力で復縁に協力しようじゃない!」


 胸を張るセンテは頼もしく思えた。同じ女性が作戦を立てるなら間違いはあるまいとアルフォンスは信じていた。

 だがセンテも侯爵令嬢であり、平民を同じ人間とは思っていないところはアルフォンスと共通していた。そこが後々の問題となる。


 センテはミリーが間もなく新入生としてやってくると知り、裏工作してその年の生徒会会長をアルフォンスにするように仕向けた。

 そしてミリーを書記として推すように一年の担任にも伝えた。学園内は一応身分の関係ない土地となっているのだが、そこはセンテが「ミリー・バルリングのご実家は大変裕福でいらっしゃいます。生徒会も何かと入用ですし……」 と匂わせることで同意させた。大飢饉で国全体が貧しかった時期のことはまだ記憶に新しい。そういう子が一人いたほうが何かと助かるだろう、一クラスに一人、ピアノが弾ける子が必ずいるようなものだと教員は納得した。

 そして自分は副会長としてアルフォンスを陰に日向にサポートする。

 残りのメンバーだが、これもセンテの話術で教員達はそうするように誘導された。


「生徒会は身分や容姿で選ばれるものではないということを証明しなくては」


 要するに身分が低かったり容姿に恵まれなかったりする人間を入れろという圧力である。一部疑問を呈した教員もいたが、大多数の教員は固定観念にとらわれない素晴らしい考えであり、身分差のない学園らしいと誉めそやした。

 

 センテとしては、周りを全員アルフォンスより劣った人間で固まれば必然的にアルフォンスがそのぶん魅力的に見えるだろう。婚約解消に至るくらいにはいざこざがあったようだし、これくらいしないと復縁は難しいだろうと思ってのことだ。



 迎えた九月の入学式。誰もが華やかな表情をする中で、ミリーは喜びよりは不安な気持ちが大きいのか浮かない顔だった。

 なにせ半年前手酷く振られたアルフォンスが在籍しているのだ。まあ学園も広いからそう会わないだろうが……。

 未練があるから不安なのかと言われたらそうではない。逆だ。

 全く未練がなくなり、もう二度と視界にも入れたくないから色々面倒なのだ。

 半年前、アルフォンスからけちょんけちょんに言われた直後はそれはもう落ち込んだ。三日は自室から出なかったし、ひと月は一日一食しか胃が受け付けず、骨が浮いて見えるほど痩せた。


 好きな人にああまで言われるなんて。

 あんな素敵な人にあそこまで言われる自分が悪くないはずがない。

 ……でも、どんなところが好きで素敵だと思ってたんだっけ……?


 ミリーは考えた。まず容姿。容姿はこの世で最も綺麗と言ってもいいのではないだろうか。少なくとも自分の観測範囲内では。

 あとは所作。お茶を飲む仕草とか、普通に歩いているだけでも背筋がピシッとしてて優雅なところとか。育ちが良いんだなって思えるようなあの所作は尊敬していたし見習いたいと思っていた。

 それと性格……は……。


 そこまで考えてミリーは冷静になった。

 アルフォンス様から一度も優しい言葉をかけてもらったことがない。

 話かけてもずっと無視されていた。身分差からしてそういうものなのだろうと気にも留めなかったけれど……。

 一応は婚約者であるのに触られるのも嫌で、愛称で呼ばれるのも気持ち悪くて、自分のことを貴族もどきだと言っていた。

 ……性格に良い所、一つもないのでは?

 じゃあ自分は一体どこを好きになったの? 本当に顔だけ?


 されたことは酷いとは思うが、自分だって容姿で人を判断して中身を見ようともしていなかった。そう思うと段々ミリーの中で割り切れてくる。


 平民の成り上がりが嫌なアルフォンス様と、相手の顔だけしか見ていなかった私。うん。上手くいく訳ないな……。今回のことは高い勉強代を払ったのだと思おう。


 ひと月泣き暮らした後、両親に励まされてミリーは日常生活に戻っていった。しばらくはガゼボが視界に入るたびに胸が痛んだが、それも慣れていった。そして慣れる頃には、そもそもあそこまでつらく当たられる必要あった? と思い直すようになっていった。

 ジルケは「ミリーには魅力もないしその押し付けがましい性格が嫌になったのだろう」 と反省を促すようなことしか言わないが、両親は「いくら金の絡んだ口約束の婚約でも酷すぎる。お前が不満があるというならいつでも力になるからな」 と言ってくれた。

 耳障りの良い言葉しか聞いていないと言われたらそうだが、両親の言葉にミリーはだいぶ救われた。

 同時に優しい両親を怒らせるようなアルフォンスがちょっと嫌いになった。何でああいう人が好きだったんだろう。もはやその事実は黒歴史だ。叶うならこの先二度と会わないでいたかった。

 そう思っていたのに……。


「では生徒会書記はミリー・バルリングさんで」


 入学式の壇上ではあのアルフォンスがいて「生徒会長の挨拶です」 とか言われていた。それを聞いて絶対生徒会には入らないようにしないとと思っていたのに、あれよあれよと何故か役員になっていた。

 出来れば入りたくないと教師に訴えるも、「この学園の生徒会をやっていたとなれば評判は上々、功績が認められれば王に謁見する事も出来るのですよ。卒業にも有利になりますし」 とメリットをまくし立てられて押し切られた。

 貴族学園の卒業は難しい。先生にもよるが、卒業課題によっては三年留年することも珍しくない。毎年退学者も少なくないのだとか。

 それゆえに無事卒業出来たならそれだけで立派な貴族扱いとなる。名声と名誉が一度に手に入る。

 ミリーは悩んだが、自分は姉に比べて決して優秀ではないしと思い、書記になることで受けるメリットを取った。


 そして放課後、生徒会室に足を踏み入れる。


  


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