振られたあとに優しくされても困ります

菜花

第1話 恋に恋する少女だった

 ミリー・バルリングは男爵家の次女だった。ただ貴族の令嬢とはいっても、父親の代で男爵になったばかり。貴族間では裕福な商家が金で爵位を買ったのだと陰口を叩かれることも少なくなかった。

 ミリーとしてはそれを恥じるつもりはない。大規模な飢饉で困窮する王家に少なくない額を援助したのだ。その見返りに爵位を貰うことの何が悪いというのだ。しかも王家のほうから「金は返せそうにないから身分を与えよう」 と言ってきたのに。

 ともあれ、ミリーの家はそんな事情で貴族の仲間入りを果たした。だがそうなると結婚相手が今までと同じように平民と、という訳にもいかない。

 バルリングの家には長女のジルケと次女のミリーと二人の姉妹しか子供がいない。ジルケのほうは聡明でやり手だったようで、男爵家の次男を早々につかまえ、バルリング家の婿とした。そして18で婚姻して男爵家の次期当主としてバリバリ働いている。長女が片付くと次は次女の番だが……。


 ミリーの両親はこの時代には珍しく子の自由意志を重んじる性格だった。家の存続のためにジルケには釣り合った相手と結婚させたが、次女のミリーくらいは好きな相手と結婚してほしいと思っていた。平民を選んで平民として生きることになろうとも、生きるのに困らないくらいの援助はするつもりだ。

 だがそんな両親の思惑に反して、ミリーは14という年齢らしく恋に恋する乙女だった。身分の高い男性との結婚に夢を見ていた。部屋にある本は身分低い令嬢が王子に見初められて……といったものばかり。

 両親はミリーのそんな様子を微笑ましく思っていたが、生まれながらに貴族令嬢だったジルケは危機感を覚えていた。

「もうミリーったら。貴族の序列の厳しさとか知らないのかしら。絵本みたいなことが本当に起こる訳ないのに。いつかとんでもないしくじりをやらかしそうね」


 ジルケの嫌な予感は的中することになる。



 ある時、広大な土地を所有するベルクヴァイン公爵家の当主がわざわざバルリング家に訪ねて来て援助を頼んで来た。領地内で大規模な水害が起きて作物の収穫量が激減したらしい。領民を助けるためなら下位の貴族、それも元平民に頭を下げることもいとわない当主に感心したバルリング当主は了承した。とはいえタダで援助という訳にはいかない。そんな甘いことをすればこの家は物乞い達に食い物にされるだろう。

 美術品とか土地とか技能を持った人間だとか、担保になりそうな物はないかと聞いてみるが、どうにもベルクヴァイン公爵家はそういう物にも運営にも疎いらしく、はかばかしい答えが返ってこない。これにはバルリング当主も困り、しばらくうんうん唸っていると、ベルクヴァイン当主がふと思いついたように言った。


「……そういえば、バルリング家には未婚の女性がいらっしゃるとか」

「ご存知でしたか。ええ。ミリーというのですが、15になったばかりで、次女なものですから婚姻は自由にさせようかと」

「それなら都合がいい。高位貴族というのは生まれた時から婚約者が決まっているもので、私の長男のアルフォンスもそうでしたが、昨年、その婚約者が病で亡くなりましてね」

「……つまり?」

「援助をしてくださるのなら、アルフォンスとミリー嬢の婚姻を認めましょう」



 ある日、ミリーは侍女に呼ばれて客間へ向かった。会わせたい客がいるらしい。高貴な方だから失礼のないように、と念を押された。

 客間に入ったミリーは驚愕した。絵本から抜け出してきたような金髪碧眼の美形が立っていたのだから。父親が間に立って紹介してくれる。

「ミリー、こちらはアルフォンス・ベルクヴァイン様。公爵家のご令息だ。アルフォンス様、これが当家の次女で、ミリーといいます」

「……初めまして。ミリー・バルリングと申します」

 ミリーは何故このような美しい人が我が家にいるのだろうと動揺していたが必死にそれを抑えて表に出さないようにし、貴族令嬢としてカーテシーをして挨拶をする。

「先日公爵様と契約をしてね。……ミリー、お前さえよければアルフォンス様と婚約を結ぶことになるが、どうだろうか」

 バルリング当主としてはミリーには「荷が重い」 と言ってほしかった。同じ貴族とはいえ公爵と男爵では差がありすぎる。ましてこちらは成り上がりで爵位を貰った者。婚約関係を結ぼうものなら「平民上がりが図々しい」 「公爵家令息を金で買った」 と陰口を叩かれるのは明白だ。長女のジルケがそういう機微に敏い人間だったのだから、次女のミリーもそういう敏い子であってほしいが……。

 そう思ったバルリング当主だが、ミリーの幼稚さを甘く見ていた。


「お受けします。アルフォンス様、どうぞよろしくお願いいたします!」


 父の期待を裏切ってミリーは食い気味に了承した。ミリーはアルフォンスのあまりの美しさに一目惚れしていたのだ。

 そんな浮かれるミリーとは裏腹に、アルフォンスは言葉にしないもののその視線は雄弁だった。『元平民が調子に乗って』 と冷めきった目線を向けているのにミリーは気づいていたが、そんなことよりあのように綺麗な方と婚約者になったのだと浮かれていた。


 アルフォンスが帰ってから「よく考えたのか」 と両親はミリーに聞いたが、ミリーは目にハートマークが浮かんでいそうな顔で生返事ばかり。

 幼い少女にあの容姿は毒だったか、と両親は今更ながらに思ってしまう。

 念のため、「アルフォンス様は異性に冷たいという評判がある。亡くなった婚約者もそのことに気に病んでおられたとか」 と伝えるも「私はそんなの気にしないわ。よく言うじゃない、氷のような心を溶かすのはヒロインの役目って」 と言ってのける。

 完全に浮かれている。これには両親よりも長女のジルケがまずいことになったと思った。

 ジルケとミリーは仲がそれほど良くはない。嫡子としてビシバシ育てられたジルケには、次女としてのほほんと育てられたミリーは呑気を通り越して愚かに見えた。だから自分がしっかりしなくてはと厳しく接している。


「ミリー。付き合うのは勝手だけれど、貴族の婚姻は家への影響が大きいの。だから次期当主として口出しさせてもらうわ。いい? 交際するにあたって私の出す条件を呑みなさい」

「条件、ですか?」

「そうよ。一年。一年経ってもアルフォンス様の態度が軟化しなかったのなら別れなさい。生粋の上流階級であるあの方が、男爵に過ぎない私達を好きになるなんて思えないわ」


 それを聞いてミリーは姉が婚姻する訳でもないのに何様だろう、と思った。だがこの家で姉の権限は大きい。分かりましたと言って了承した。

 姉はオーバーだ。妹の慶事を素直に喜ばないのも意地が悪い。何かにつけて冷たいジルケのことがミリーは苦手だった。


 だが半年後、ジルケの言ったことが正しかったのだとミリーは知ることになる。




 アルフォンスは17歳。貴族学園の二年生だ。ミリーも16になったら学園に入学することが決まっているが、それは来年の話。

 その事実にミリーは落ち込んだ。自分があと一年早く生まれていればアルフォンスといつも一緒にいられたのに。15のミリーには学園に行く手段がない。だからアルフォンスに会えるのは学園が休みの日曜日のみ。アルフォンスと一秒でも長く居たいミリーは父親を急かしてアルフォンスが毎週会いに来るように仕向けた。


 そもそもアルフォンスの意思を無視した婚約だった。なので当然というべきなのだろう。ミリーと会うアルフォンスはいつも必要最低限の会話だけして帰っていく。ガゼボで優雅に見えるお茶会をしている二人だが、実際はミリーが一方的に話しかけているだけ。

「お茶の好みはございますか? どんなものでも父に言って用意させますわ」

「……」

「私、来年学園に行くのが楽しみですの。学園ってどんなところなんですか?」

「……特に語るようなことはない」

「アルフォンス様、本日も綺麗ですわね。会う度に好きになってしまいます」

「……そう」

「アルフォンス様、お慕いしております」

「……」


 お花畑のミリーでも三回会う頃には好かれていないのだと自覚した。けれどミリーは夢見る乙女だった。

 誰だって好意的な人には親しみを持つはず。好きになってもらえるまで何度だって好きだって言うんだから。

 そうして半年ほど、ガゼボでミリーがアルフォンスに好き好きと言っている光景が見られた。その間、アルフォンスの態度が軟化することはなかった。


 そんなミリーの一方通行ぶりを母親は侍女から聞いてしっていた。だからなのだろう。話してもろくな返事がかえってこないガゼボにいるよりは、とミリーに有名な劇団のチケットを二枚渡した。観劇の間は喋る必要が無いから空しくならないだろうという配慮だった。

 だがそんな母親の気遣いをよそに、ミリーは初めての外でのデート! と大喜びだった。

 アルフォンスにそのチケットを見せて次の日曜日に行こうと誘うが、彼はあからさまに嫌そうな顔をした。ミリーは頭は悪いが決して人の感情に鈍い人間ではない。

 自分といるところを他の人に見られたくないのでは? と察してしまった。ガゼボにいても侍女が来る度に不愉快そうな顔をするのだから余計にそう思う。

 一瞬、嫌ならやめましょうかと言おうとしてぐっとその言葉を呑む。

 好きな人と観劇することの何が悪いのだろう。

 この婚約は親同士で話が進み、自分が決定打を押したけれど、最終的にはあちらの当主も納得済みの関係だ。自分は何一つやましいことはしていない。どうして自分が遠慮する必要があるのか。

 何より好きな人と観劇してみたい。一流の演者が魅せる華やかな世界。そんな世界を好きな人と味わえたらどれほど楽しいだろう。

 行きましょう、ね? と押し切るような形でアルフォンスと行くことになったが、結果的にその観劇が二人の仲を決定的なものにした。



 観劇当日。沈黙の重い馬車を下りて会場を移動する。貴族ご用達の会場は人が多く、紳士が淑女をエスコートする風景で溢れていた。

 それを見てミリーは自分もあんな風にエスコートされたいと思うのを止められなかった。殿方の腕に女性の腕が絡み、身を寄せて通路を歩く。ロマンス小説から抜け出てきたような光景に思えた。周りは皆しているし、自分も……とミリーはアルフォンスに手を伸ばした。

 だがその手はビシリと叩き落とされた。

「……何か?」

「あ、その、手を取るべきなのかと思って……」

「誤解をされるような真似はやめてください。そもそも淑女が自分から異性に身を寄せるなどはしたないですよ」

「そう、ですよね。ごめんなさい……」


 そうミリーは謝ったものの、動揺を隠しきれなかった

 誤解? 誤解って何のこと? 親公認の婚約者同士なのに?

 はしたない? 周りと同じようなエスコートが欲しいって、婚約関係がある状態で望むのってそんなにはしたないことなの?

 それとも……私に触れられるのも嫌なのだろうか。そこまで嫌われているのだろうか。

 いつかは好きになってもらえる。いつかは認めてもらえる。そう信じていたけれど、もしかして私、姉の言うように考え無し……?


 王族も見たという評判の劇の内容は、何も頭に入ってこなかった。



 観劇が終わって帰る途中、アルフォンスの知り合いらしき男が話しかけてきた。こちらは一人らしい。

「お? アルじゃないか。お前も今日来ていたのか」

「ワルト……三日ぶりだな。ああ、婚約者の付き添いでね」

「ああその子が例の……。ふーん、なかなか可愛いじゃん。ちゃんとエスコートしてやれよ」

 ワルトと呼ばれた男はミリーをちらりと見ると、朗らかな笑顔で二人の仲を応援していると取れるようなことを言って去っていった。


 アルフォンス様本人は不服な婚約らしいけれど、友人には妥当な婚約に見えているのだろうかとミリーはホッとする。これで他の人間からも身の程知らずに見えていたら流石に居たたまれない。それにしても……。

 アルフォンスは友人には「アル」 と呼ばれているのか。いいなあ。

 ミリーは思う。自分もアル、と呼んでみたいと。一方的な関係だと分かっているし、そのことでどうして自分に同じだけの感情を向けてくれないのかとアルフォンスを責めるようなことはしないけれど、せめて呼び方だけは恋人みたいに呼んでみたい。ロマンス小説で主人公の二人がお互いだけの呼び名で呼び合うシーンに強く憧れていたから。減るようなものじゃないし、いいよね?


「あの、では戻りましょうか……アル」

 若干照れながらそう言ったミリーだが、返ってきたのは氷のような視線と乱暴な口調で発せられた言葉だった。

「……二度とそう呼ぶな、貴族もどきが。不愉快だ」


 帰りの馬車の中、茫然自失で落ち込むミリーを前にアルフォンスも流石に言い過ぎたと思ったのか、延々と言い訳染みたことをミリーに語りかけていた。


「そもそも俺は普段からこの婚約に乗り気ではないと態度で示しています」


「なのにしつこくされたら誰だって嫌になると思いませんか?」


「悪いというなら貴方の頭の悪さが悪い。そうでしょう」


 好きな相手に触ろうとしただけで手を叩き落とされる。

 愛称で呼んだら気持ち悪がられる。

 挙句の果てに帰りの馬車でずっとお前のせいだと言い募られる。

 ミリーの記憶はストレスで飛んだ。


 その日、どうやって帰ってきたかミリーは覚えていない。ただ侍女があとから言ったことには、帰宅するなりベッドに突っ伏して泣いていたとのこと。

 何があったのかとオロオロする両親に代わって全てを察していた姉のジルケがミリーを諭した。


「だから言ったじゃないの。次期公爵様が男爵の娘を好きになるはずがないって」

「……」

「むしろここまでよく付き合ってくれたと思うわ。頭がピンク色に染まっていたあんたの我儘に」

「……」

「もう家にも呼ばないようにしなさい。彼には迷惑だったんだって分かったでしょ? いいわね?」


 ミリーは何も言わなかったが、姉はその沈黙を了承したと受け取り、家令に今後アルフォンスを呼ぶことはないと伝えに行った。

 翌日、ミリーは両親に婚約の解消を願い出た。ミリーが熱望して至ったこの関係は半年で打ち切りになったのだ。

 両親は「口約束だから大丈夫。ミリーの評判に傷がつくことはない」 と慰めてくれた。

 その事実にホッとしたが、だからといってじゃあ次はもっとまともな相手と恋愛しますね、という気分にはとてもなれない。

 好かれるように努力はしたが一切通じず最後まで見下されたままだったという事実はミリーの心を深く抉った。

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