第37話 司教貴族(弟)の毒牙

「ああっ……やはり君は美しいな、フィーネ」


 チウロ司教がじいっと見つめてきた。


 その熱のこもった瞳に気圧されないよう、私は体の状態に意識を向ける。


 心拍数は……落ち着いてきた。

 でも体は思うように動かない。

 疲労が回復するのはまだ時間が掛かる。


(なんとか、脱出しないと)


 チウロ司教は「帝国」と言っていた。聖女狩りなら狙いは私のはず。


 マイさんだけでも、無事に逃がす方法を考えないと。


 「綺麗な体で」と言っていたから、ゾウロ司教みたいに乱暴なことはしてこない、と思う。


 ……時間を稼げるかもしれない。


 今もチウロ司教と、二人の特徴のない男は黙って私のことを見ている。


(うっ……視線、気持ち悪い)


 胸元を隠している両腕に力が入る。

 少しめくれてしまったスカートにも視線が注がれている気がして、私は内股を閉じた。


 脱げかけの修練服を着直したいけど、麻紐が解けてしまいそうで一人で着るのが難しい。

 

 だめだ。

 まずはこの状況を打開する方法を見つけないと。


(マイさんにだけは、絶対手出しさせない)


 キッとチウロ司教を見据える。


「ああフィーネ、そんな目で見つめないでくれ。抑えられなくなる……」


 無表情だったチウロ司教がニヤリと口角を上げた。


 細身で背の高い体から、にゅうっと腕が伸びてくる。


「やッ……」


 右腕をぎゅっと掴まれ、信じられないほど強い力で引っ張り上げられる。

 そのままベッドに放り投げられ、背中が布団でバウンドする。

 突然のことに、一瞬呼吸が止まった。

 

 ゆっくりとチウロ司教がベッドに近づいてくる。


「こないでっ」


 本能的な危険を感じ、片手をかざす。やっぱり防護魔法は発動しない。


 チウロ司教の視線が私の胸元に注がれるのが分かった。片手を上げたせいで、隠していた素肌が露出する。


(いやだ、もう……見られたくない)


 ベッドの上を這うようにして逃げる。


 チウロ司教は顔に笑みを張り付けたままベッドに上がり、膝立ちのまま迫ってきた。


 シーツに足を取られながらも後ずさっていると、後頭部がコンと硬いものにぶつかった。背中にベッドボードの冷たい感触が伝わる。


「逃げるな」


 ベッドの壁際に追い詰められた私を見て、チウロ司教はおもむろに自身のローブを脱ぎだした。


 下着姿になったチウロ司教は、あばら骨が浮き出るくらいに痩せている。でも私の力では敵わないと確信するくらい、背が高くて筋肉質でもあった。


 月明りに、ひょろりと長いシルエットが浮かぶ。


 背中にゾワリとした恐怖が走り、私は体を守るように縮こまった。


「……そんなに怯えないでいい。君を傷つけるつもりはないし、いくつかの質問に答えてくれれば悪いようにはしない。私は君のことをもっと知りたいんだ、教えてくれないか?」


「な、にを……?」


 チウロ司教の丁寧な口調とは裏腹に、防護魔法が過去最大級の警報を鳴らしている。


 この人は危険だ。

 きっとあの敵の司令官さんか、それ以上に話が通じない。


 でも今は、この人の言葉に従うしかない。


「君はなぜ帝国に追われている?」


 なぜ……。

 敵の司令官さんもマイさんも、聖女狩りだと言っていた。


 きたる侵略の準備として聖女の力を排除しておくため。

 帝国内で不足する聖女の穴を埋めるため。


 そう言っていたけど、なんとなくそれ以外にも目的がある気がする。


「分かり……ません」


「そうか。ではマイと言ったか……隣の部屋で寝ている女は誰だ? 君とはどういう関係だ?」


 唐突に投げかけられた質問にドキリとする。


 この質問の意図は?

 私の返答次第でマイさんの処遇が変わる? 

 それとも人質としての価値を見定めるつもりなのか?


「出会って間もないのでよくは知りませんが、聖都への道案内をしてくれる、使者だそうです」


 できる限り淡々と答える。


 私とは関係が濃くないこと、教皇様に近い存在だということをアピールした。


 これで少しでも、人質にするのは面倒だと思ってくれれば。


「ふむ。では最後の質問だ。君はなぜ起きていた? 気づいていると思うが、食事にはそれと分からぬように薬が混ぜられていた。体には取り込んだはずなのになぜだ。正直に答えろ」


 嘘や沈黙は許さないという鋭い目で睨まれる。


「……毒や薬は、治癒魔法で分解できるように、しています」


「ほう、寝ている間――無意識下でもか?」


「はい」


「媚薬も、分解できるのか?」


「え?」


「媚薬もか?」


 王都を脱出してからの旅の道中、エラに大司教さまから盛られた媚薬の成分を教えてもらい、媚薬を無効化した。今は似た成分の媚薬にしか効かないけど、それでも少しは分解できるはずだ。


「……はい、ある程度は」


 答えた瞬間、チウロ司教の顔が歪んだように見えた。


「おお女神よ……! やはりフィーネはあなたが遣わした乙女だったのですね」


 チウロ司教が泣き笑いのような表情で祈っている。


 その光景に、私は答えを間違えたのだと分かった。

 防護魔法の警報音が頭の中でけたたましく鳴る。


 にゅっと、長い二本の腕が伸びてきて私の足を掴んだ。


「やっ……!」


 体をぐいっと引っ張られ、後頭部が枕に落ちて埋まる。


 次の瞬間にはもう、チウロ司教の体が天井を隠すように私の視界を覆っていた。


「はははは……やはり君は思ったとおり私の運命の相手なのだ。嬉しい……嬉しいぞフィーネ」


 骨ばった手が私の頬を撫でる。驚くほど冷たくて、全身が震える。


 早く、この人の下から逃げ出さないと


 でも、もう片方の冷たい手が私の肩を押さえ、身動きが取れない。


「その腕をどかせ」


 頬を撫でていた手が胸元へと這っていく。がっちりと胸を隠している私の腕が、ぐっと掴まれた。


(いやだ)


 腕に力を込める。


 絶対に体を好きにはさせない。

 この人には、明け渡さない。


「抵抗するか。……そういえば、マイもいい体をしていたな。君の代わりにあの女を慰み者にしてもいいんだが」


「なっ……」


「君はさっき、私が質問したときに彼女を守ろうと考えただろう。君が抵抗を続けるなら、マイを犯してなぶってやろうか?」


「やめてっ……!」


 嫌だ。

 マイさんが傷つくなんて絶対に嫌だ。


「では、胸を開け」



 ……私は、この世界では心身ともに健康で、平和に生き抜くと決めた。

 そのために私の――フィーネの体を大事に守る。

 だから好き勝手にはさせない。

 さっきみたいな……ゾウロ司教みたいな人に、はずかしめられるのは嫌だ。


 でも。

 大事な人の心と体が壊されるのは……もっと耐えられない。


(エラ、ごめんね……私)



***



 わずかな間。


 チウロ司教が至近距離で見つめる中、フィーネは初めて自分から胸を開いた。

 その顔は横を向き、悔しさで紅潮している。


 ゆっくりとどかされていくフィーネの白い細腕。

 その中から、脱げかけの修練服から露出した白い谷間が現れる。


 仰向けに寝ているはずなのにふくらみはしっかり形を保っていて、チウロ司教に震えるような情欲を呼び起こさせた。


「は……はは、フィーネ、やっと素直になってくれたんだな。こんなに嬉しいことはない。大丈夫、二人で感じ合おう」


 チウロ司教は先ほど脱ぎ捨てたローブから、媚薬の小瓶を取り出した。


 蓋を開け、くいっと飲み込む。


「ぐぅっ、はぁ……我ながらさすがの効き目だ。私でなければ卒倒するだろうな」


 チウロ司教は小瓶をもう一つ取り出すとフタを開け、今度はフィーネの口元に押し付けた。


 固く閉じる彼女の唇の中になんとか媚薬を流し込もうとする。

 しかしそのほとんどは口端から漏れてシーツを濡らした。


「けほっ、けほ……っ」


 小さく咳き込みながら、わずかに口内に残っていた液体を吐き出す。


「ああフィーネ、もったいない。一本無駄にしてしまったじゃないか。マイを拷問して一生の傷を負わせてやろうか?」


「だめ……っ!」


「ならば抵抗するな。全部飲み込め。いいな」


 チウロ司教は二本目の小瓶をフィーネに押し付けた。

 今度はすんなり唇が開く。


 媚薬をゆっくり彼女の口内へ流し込んでいく。少しこぼれてしまうが、それくらいはいい。


 フィーネはチウロ司教に顎を押さえられ、コクリと飲み込んだ。

 その瞬間、体がカッと熱くなり、ジンジンとした痺れが下腹部から広がっていくのを感じた。


(これ、媚薬……!?)


 即座に体を巡っていく媚薬を分解しようと、魔力を集中させる。


(……分解、しきれない)


 フルパワーの治癒魔法でも、次から次に熱が沸き上がり、徐々に分解が追いつかなくなっていく。


 チウロ司教は、フィーネの喉が媚薬のほとんどを飲み込んだのを確認すると四本目の媚薬を飲み干した。


「ぐ……うお、ぉぉ……」


 強烈な獣欲が湧き上がる。

 

 フィーネはどうかと様子を見てみると、肩で息をしながら、目を閉じて何かと必死に戦っているようだった。


「フィーネ……なんてそそる女だ」


 もう一度彼女の頬に手を伸ばし、軽く触れてみる。


「ん゛んっ……」


 くぐもった声を出したフィーネは、その指から逃げるように体をよじり、部屋の扉のほうを向いた。


「ははは……素晴らしい。私の媚薬に抗っているなんて。最高だよフィーネ……やはり君は壊れない」


 チウロ司教の手が、頬から下へと這わされていく。


「んぅッ――」


 震えが止まらない様子を満足げに見つめたチウロ司教は、彼女に顔を近づけた。


「媚薬がよく効いているな。触れられるだけでも疼いて仕方がないのではないか?」


 フィーネの体内では、いまだに治癒魔法と媚薬が戦っていた。しかしチウロ司教が彼女に触れるたびに戦いは中断され、甘い痺れが襲ってくる。


「さあフィーネ。一緒に気持ちよくなろう」


 チウロ司教は、横向きに寝るフィーネの後ろに同じように寝転ぶと、背中にピタッと張り付いた。


「やッ、いやっ……」


「はぁ……温かいな」


 彼女の火照った肌が気持ちいい。

 それだけで、生まれて始めて達してしまいそうなほどの快感に襲われる。


 それはフィーネも似たような感覚だった。

 頭の中が真っ白になりそうな刺激と痺れが全身を駆け巡る。


(……嫌だ。

 もう、耐えられない。

 ここから……逃げなきゃ。

 私……)


 フィーネは薄目を開け、その視線の先にある扉へと手を伸ばした。


 小柄な美少女が、震える細腕を伸ばしている。


 それはあまりに背徳的で、煽情的な光景だった。


 見た者を狂わせるほどに。



「……チウロ司教、俺はもう限界だ。我慢ができない」


 二人の特徴のない男。そのうちの一人が息を荒げ、自らの股間を押さえていた。


 オレンダイとの戦いでわざと負傷し、エルドア陣営に潜り込み、フィーネの治療を受けた工作員だ。

 ――「痛かったですよね。もう大丈夫です。私が治しますから」。

 そう微笑んで傷を治してくれた彼女に心を奪われ、以来フィーネに懸想し続けた男。


 チウロ司教はフィーネに熱中し過ぎるあまり、この男の存在をすっかり忘れていた。


 工作員の男はフィーネのあまりに蟲惑的な姿に理性を失いかけている。

 もう一人の男のほうも息を荒げて彼女を凝視していた。


「仕方ない。私の後でフィーネを抱かせてやる。だが今は外に出ていろ。……隣の女を抱いても構わない、行け」


 工作員の男が、もう一人の男に引っ張られるようにして部屋を出ていく。


「……っ、待って、マイさんに手を出さないで……!」


 フィーネは弾かれたようにチウロ司教の拘束を解き、去っていく男たちに手を伸ばした。


 しかしすぐに長い腕か伸びてきて、ベッドから降りることもできずに再び拘束されてしまう。


 仰向けにした彼女を閉じ込めるように、チウロ司教は四つん這いになった。


「逃がすわけがないだろう、フィーネ」


「はなしが、ちがうっ……」


 鼻先が触れ合うほどの距離で見つめてくる鋭い瞳を、フィーネは強い意思を込めて見つめ返した。


 その吸い込まれそうな青い瞳に、チウロ司教はしばし息をのむ。


 男に組み敷かれた絶体絶命な状況にあってなお、彼女は希望を捨てていない。今も状況を打開しようと思考を巡らせているようだ。


 それも、強力な媚薬を直接飲まされているにも関わらず。

 チウロ司教ですら、今にも理性を手放しそうなほどの効き目なのに。


 フィーネの治癒魔法は、想像を絶する。


(……なんて女なんだ)


 チウロ司教の胸に感動の熱が広がっていく。それは尊敬にも似た気持ちだった。


 信じられないことに、フィーネの瞳には悪意や敵意といったものが一切見て取れない。無理やりに酷いことをされているというのに。


(これが、聖女か)


 このとき、チウロ司教は生まれて初めて本気で恋に堕ちた。


「フィーネ、やはり君しかいない。帝国に売り渡すなどもってのほかだ。君は私のそばで永遠に――」


 しかし、その言葉は続かなかった。





 フィーネがうっすらと目を開けると、チウロ司教は硬直していた。


 よく見ると小刻みに痙攣している。


 次の瞬間、チウロ司教は弾かれたように顔を扉のほうに向けると、何事かを発しようとした。


 しかし今度はその大きな体をビクンと跳ねさせると、ガタガタと震えながら徐々に頭を垂れ、ついには動かなくなった。



***



 チウロ司教が、動かなくなった。


 一体なにが、起こって……。


「フィーネ様!」


 マイ、さんの……声?


 よかった。

 無事、だったんだ。


 扉のほうを見れば、修練服姿のマイさんがいた。


 勢いよく走り寄ってくると、ぎゅっと私の体を抱き締める。


 すごく、温かい。


 マイさんは私を抱き寄せながら、チウロ司教の体をトンと押した。


 チウロ司教が苦しげな声を上げ、ベッドの横にずり落ちていく。


「フィーネ様、怪我はない!?」


 マイさんがペタペタと私を触りながら、治癒魔法を掛けてくれる。


「マイ……さんは、無事、ですか……?」


「無事だよ、向こうの男たちも無力化したから。今はとにかくここから逃げよう。立て……そうもないね、おぶってあげる」


 マイさんはベッドのシーツを剥がすと、私にくるくると巻きつけてくれた。


「ごめん、今はこれで我慢してね。さ、行こう」





 マイさんの背中に揺られながら、森を進む。


 その綺麗な横顔が、すごく引きつって見えた。


 きっと、私のために……。


「マイさん、助けに行けなくて、ごめんなさい」


「フィーネ様は何も悪くない。今は忘れて、もう眠ろう?」


 マイさんからふわっと花のような香りがしたかと思うと、私は一瞬で眠りに落ちた。

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