無自覚無防備なTS聖女は今日も誰かを狂わせる

月見白

第1話 聖女のありふれた日常

 病院の集中治療室で、この体が息絶えようとしている。


 生まれつきの病で、十三年の人生をほとんどベッドの上で過ごした。

 外で思いきり遊んだり、友達と探検ごっこをしたりゲームしたり、クラスメイトと修学旅行に行ったり……そういう楽しみは一つも経験できなかった。


 大好きなファンタジー小説だって調子のいいときにしか読めない。 

 もしここが魔法の使える異世界だったら、回復魔法でこの病気も治せるのだろうか。

 先に旅立っていった患者さんたちを、治してあげられたのかな。



「……くん、ごめんね、治してあげ……くて……」


 耳の近くで、なじみの看護師のお姉さんの声が聞こえる。

 もう何も見えないけど、他にも家族とか知り合いとかが、来てくれてるのだろうか。


 最後くらいしっかり挨拶したかったけど。

 もう、声が出せないから……。


「……、ごめ……、め……ね……」


 看護師のお姉さん、まだ謝ってる。

 こうやっていつも誰かがそばにいてくれたから、寂しくはなかったよ。

 だから、お姉さんがあやまることはないんだ。

 いつもいてくれてありがとうって、お礼を言いたいくらいなのに。


 はぁ。

 仕方ないな。

 最後の挨拶に、取っておきたかったんだけど。


(ふぬぬ……!)


 力を振りしぼって右手を上げる。

 いつものようにお姉さんの頬をツンツンとつついて、ニヤッと口角を上げた。


 どんな時でも、いたずら心を忘れてはいけないのだ。

 声は出ないから、心の中で「ふふふ」と不敵な笑みを浮かべてみる。


「……! ……、……! ………」


 右手が暖かいものに包まれた感触。

 ぎゅうっとお姉さんが握ってくれたのが分かる。


 お姉さんは、どうかいつまでも元気で。



 ああ、死ぬって……こういう感じ、なん……だ――。


 ―――。


 ――。





 ――。


 ――あれ、ここは…どこだろう……。


 小さなカゴみたいな、ベッドの……なか?


 あれ、手が動く。

 でもずいぶんと小さいような。



 ああ、なるほど。

 どうやら赤ちゃんに生まれ変わってしまったようだ。


 よく病院でも輪廻転生とか、生まれ変わったら……みたいな話をしていたから、びっくりするほど状況を受け入れられる。


 手も足もちっこいけど、ちゃんと動かせる。


「んぁ……ん……んんっ、ふぐっ……んんゃぁ~」


 よしよし声もちゃんと出る。

 多分、健康な赤ちゃんだ。


 ……なんて、幸運なんだろう。


 神様がくれた第二の人生。

 今度は、ちゃんと生き抜こう。 



***



 そうしてこの世界に転生して、十三年以上の月日が過ぎた。

 お陰様で日々楽しく元気に暮らしている。


 姿見に映る、ネグリジェ姿・・・・・・の自分に目をこらす。

 毎朝の健康チェックだ。


「よし、今日も異常なし」


 前世の自分より、一オクターブは高い声が響く。


 肩まで伸びた茶色い髪はサラサラで、色艶に問題なし。毛先まで栄養が行きわたっている。


 くっきり二重の青い瞳も、充血や黄ずみはなし。相変わらずまばたきをするとパチパチと音がしそうな長い睫毛まつげも健在だ。


 ぷっくりした唇はひび割れなくカサカサもしていない。むしろ潤っている。顔もむくみやシミはなし。しっかり左右対称だ。


 うん、今日もいたって健康体。


 転生して問題があったとすれば、この体がだったことくらいか。


 でも、私にとっては些細な問題だ。

 命あるだけで儲けもの。一度死んだことを思えば、この奇跡に感謝こそすれ、性別が変わった程度で不満に思ったらバチが当たってしまう。


 毎日元気でご飯が美味しい。

 それだけで、幸せなんだ。


 もう一度鏡の中の自分を見つめる。


 肌は異常なほど白いけど、血行は良いので問題ないだろう。運動すれば汗もたくさん出る。むしろ汗っかきだ。


 うん、問題ない。

 発育だって問題ない。

 年相応に出るところも出てきていると……思うから。


「また大きくなった、のかな」


 胸のふくらみにそっと触れてみる。

 鏡の中の、頬を赤く染めた少女と目が合う。


「うっ……」


 十三年以上、一緒に成長してきた体だ。お風呂だって毎日入っている。だから見慣れているはずなのに……朝だけは、恥ずかしくなることがある。

 こうして、前世の夢を見てしまった時はとくに。


「シャキっとしなきゃ」


 りんごのように赤くなった頬をペシペシとたたく。


 何も恥ずかしいことじゃない。これは健康に成長している証拠で、むしろ喜ばしいことなんだ。


 そう言い聞かせながら日課の健康チェックを済ませ、私は部屋の隅で静かにたたずむ女性に声を掛けた。


「じゃあ行こうか、エラ」


 護衛騎士のエラがにこりと微笑む。

 切れ長の目、褐色の肌、ショートの黒髪は艷やかで、いつ見ても美人さんだ。


「はい、フィーネ様」


 フィーネ・ドゥ・エルドア侯爵令嬢。

 それが転生先での私の名前だ。


 ここは外国ではない。というか、おそらく地球でもない。

 中世ヨーロッパを彷彿とさせるこの異世界で、私は実り豊かなエルドア領領主の一人娘として育った。いわゆる、貴族というやつだ。


 前世では一般人だったせいか、いまだにこの生活に馴染めないところもある。


 私は厚手の白いローブを羽織ると、「ふぅ」と小さくため息をついた。

 春先だというのに、かなり暑い格好をしないといけないのだ。これも貴族のたしなみなのだとか。


 エラが近づいてきて、ローブのフードを目深に被らされた。


「エラ、あつい……」


「フィーネ様は貴族令嬢です。無闇にお姿をさらさぬよう」


 エラが私の肩に手を置いて、微笑んだ。

 ちょうど目の前に、彼女の豊満なお胸がデーンとある。


 正直目のやり場に困る。

 私は顔を逸らして返事をした。


「……分かってるよ、エラ」


 私とエラは、寝室を出た。





 背筋を伸ばして廊下を歩く。


 このお屋敷で働く侍従さんたちが、すれ違いざまに頭を垂れる。昔は男の人もいたのだけど、今はほとんどが女の人になった。


 昔はいちいち壁際に寄って、私が通り過ぎるまでお辞儀をしていたものだ。すごく気まずいので、数年かけてようやく止めてもらった。


 貴族の生活は窮屈だけど、まあ仕方ないかと受け入れてもいる。

 でも、どうしたって苦手なこともある。


 ……社交だ。


「フィーネ嬢! 待ちくたびれた! 本日も同行させてもらうぞ!」


 一階エントランスへの階段に差し掛かると、階下から大きな声が響いた。

 この王国の第一王子さまだ。


 赤い髪にハツラツとした顔。

 筋骨隆々で背の高い体。

 まさに体育会系の先輩といった感じだ。

 長い赤髪を後ろで縛り、こちらを……私を凝視している。


「王子殿下、おはようございます。お、遅れて申し訳ございません」

 

 私は一生懸命作り笑いをして、貴族令嬢として恥ずかしくないお辞儀をする。

 前世では平凡な日本人……それもほぼ病室から出たことのない自分に、貴族としての社交は荷が重すぎる。しかも相手はこの国の次期国王だ。


「……相変わらず、朝の澄んだ空気すら甘く変えてしまうほどの美しさだな」


 第一王子が何事かをつぶやく。

 貴族はこうして遠回りの表現をするので、いまいち何を言ってるのか理解できないし、どう返したらいいのかも分からない。「朝は気持ちいいね」みたいな意味だろうか?


「はい、いい朝ですね」


 とりあえずニッコリ笑っておく。困ったときは愛想笑いだ。


「ぐっ……まったく、その天使のような無垢さも相変わらずだ」


 第一王子が胸を押さえて苦しそうな顔をする。……体調が悪いのかな。


「王子殿下、今日は孤児院に行くつもりですが、本当に同行されますか? 少し休まれては——」


「無論だフィーネ嬢! じ、次期国王として領主貴族の暮らしぶりを知っておく必要があるからな。馬車を用意してあるからさっそく向かおう!」


 ものすごい勢いで、まくし立ててくる。


「あ、はい……」


 やっぱり社交は苦手だ。





 馬車の中。

 向かいに座る第一王子は外の景色を眺めたり、こちらを見たりと、落ち着きのない様子だった。


 私の隣に座るエラが、「殿下にそそうのないように」とアイコンタクトを送ってくる。


 エラ情報によると、第一王子は今年で二十三歳になる。

 なのに、いまだに婚約もせずフラフラと領地を巡っては、各地に愛人をこしらえているらしい。


 その道中、立ち寄ったここエルドアにかれこれ三日以上は滞在している。どうやら貴族である私が孤児院や診療所を訪問していることに、興味を抱いてくれたらしい。


「ハァァ……」


 第一王子の大きなため息に、肩がビクリと震えてしまう。

ただ黙って座っているだけで何かそそうをしてしまっただろうか。


 と、よく見れば第一王子は大量の汗をかいていた。さっきの苦しそうな様子といい、心配だ。


「あの、殿下……どこか体の調子でも悪いですか?」


 エラが「余計なことは言わんでいい」という目で私を見てくる。しかし心配なものは心配だ。不調な人を前にして放っておくことなど私にはできない。


 第一王子は私のほうを見て、ふっと笑った。


「いや……君は今日もその格好なのだなと思って」


(私の、格好?)


 エラは、貴族だからこそむやみに顔を見せてはいけないと言っていたけど……さすがに王子の前なのにフードで顔半分を隠すというのは、無礼すぎたということか?


「あの、ではフードを外しますね」


「い、いや、いいんだ!」


「あ、では、ローブを」


「そのままでいい、理性が保たんっ!」


「ひっ」

 

 急に至近距離で大声を出されたので、ヘンな声が出てしまった。


 そのままでいいと言われたけど、結局この格好は駄目なのか駄目じゃないのか。そんなことも私には分からない。


(やっぱり、私はコミュ症なんだろうな……)


 思えば前世ではずっと病院のベッドで過ごしたから、まともな友達なんていなかった。

 わずかな退院期間に学校に行っても、仲良くなる前にまた入院した。

 話す相手は看護師のお姉さんと家族くらい。

 後は同じ病棟の患者さんくらいだったけど、みんな仲良くなる前に旅立っていった。


 つまり、私はまともな人間関係を築いたことがないのだ。


「フィーネ嬢、大きな声を出してすまない。だが私の気持ちも分かってくれ」


 第一王子が苦しそうな顔をする。

 うん、さっぱり分からない……。


 今世では、小さい頃はこっそり平民の男の子たちと森で遊んだりもしていたけど、言葉はほとんどいらなかった。


 十一歳の頃にお義兄さまが屋敷やって来てからは、外遊びも禁じられた。以来、屋敷の侍女や、こうしてたまに訪問する孤児院や診療所だけが人との触れ合いの場だ。


 そういうわけで私の天性のコミュ症は改善されないまま、今に至る。


 回りくどい言葉を使う貴族の会話なんてチンプンカンプンだ。

 とりあえずここは謝っておこう。


「……失礼いたしました」


「いや、いいんだ。私は君の顔をもっと見たいが、考えてみれば平民どもに見せるのはもったいないからな。うん、そのままでいい」


「そういう……ものですか」


「ああ。それにフィーネ、そんなにかしこまらなくていいと言っただろう。前にも伝えたが、君は妹のような存在だ。俺のことは兄だと思って接してくれていいんだぞ」


 そうなのだ。

 第一王子は、私が致命的なコミュニケーション不全と見るや「君のことは妹としてしか思っていないから気軽に接してくれていい」と、ありがたい提案をしてくれたのだ。


 以来、私がついフランクな口調で話してしまうと「それでいいのだ!」と喜んでくれる。

 なんとも太っ腹な王子様だ。


 私は感謝の気持ちを込めて、第一王子に微笑んだ。


「お気遣いいただき、ありがとうございます」


「うぐっ……あ、ああ、気にするな」


 第一王子がまたも苦しそうに胸を押さえた。

 やっぱり体調が良くないんだ……!


 思わず伸ばしかけた手を、横からエラに掴まれる。


「エラ?」


「フィーネ様、だめです」


 私にだけ聞こえる声でエラがつぶやいた。





――あとがき――

R18版をノクターンノベルズに投稿中です!

タイトル:「無自覚無防備なTS転生聖女の純潔は今日も誰かを狂わせる」

https://novel18.syosetu.com/n1913ik/

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