第44話


 勢いよく扉が開かれ、皇帝直属の近衛兵たちが流れ込んできた。一番奥には皇帝・颯龍と、なぜか明豪の姿もある。近衛兵たちを分け入って居室に飛び込んできた颯龍。彼は倒れている雨龍、項垂れている春依を見て目を大きく丸めた。


「これは……一体どういうことだ……雨龍は……」


 雨龍がもう死んでしまっているのは明らかだった。しかし、颯龍は目の前で起きていることを信じたくないのか、声は震えている。説明をしようと皓宇が立ち上がろうとするが、先に春依がゆらりと立ち上がった。


「私です、父上……私が雨龍を殺したも同然です」

「どういうことだ、春依!」


 春依はすべての罪を洗いざらい皇帝に打ち明け始めた。邪王の印章を盗み出したことも、5年前からこの国を脅かしていた心臓のない死体の事件についても。颯龍は信じられない、と言わんばかりに口元を覆い隠す。皓宇は、朱亜が砕いた邪王の印章の欠片をかき集めた。


「陛下。こちらが邪王の印章だったものです……彼女が破壊しました」

「彼女って……そこにいるのは、妖獣を倒す術を知っていた者か! どうして!」

「朱亜こそ、天龍様の預言していた救世主だからです。天龍様の剣でこれを破壊し、我々をお救いくださったのです」


 周囲がざわめく。朱亜はとっさに背筋を伸ばしていた。明豪はすっと集団を抜けて、自慢気な顔をしながら朱亜のそばに近づき、一歩前に出るよう背中を押した。彼女が預言に遺されていた救世主であると証明できるものは何もないが、きっとその凛々しいたたずまい、溢れる神々しさを見れば皆に伝わるだろう、と明豪は考える。


 颯龍は深く息を吐いた。跡継ぎである雨龍を失ったこと、娘である公主が一連の事件の首謀者であったこと、それらは天龍国を大きく揺るがすことになるだろう。どう後始末を付けるべきか、どう身を守るかということを考えてしまう。


「……まずは春依を捕らえよ」


 命じる声に覇気はなかった。弱弱しい声に近衛兵たちは戸惑いながら、春依を拘束していく。彼女はうなだれ、そっと息を吸った。


「叔父上、二度も襲い、申し訳ございません」

「……先ほどの襲撃も春依だったか」

「えぇ、私が直接……あと、救世主様」


 朱亜は自分を指さし、首を傾げる。邪王を蘇らせた彼女に【救世主様】なんて呼ばれるのは、何だか違和感がある。


「……一度は殺してしまって、本当にごめんなさい。証拠はもうございませんが……」


 春依は朱亜の死体があったあたりに視線を向けた。震える手を握り合わせる。


「この手はずっと、あなたを殺めたときの感触を覚えているのでしょうね、私が死ぬまで……」


 近衛兵に連れていかれる春依。皇帝がホッと息を吐きだしたとき、また違う官吏が東宮殿に飛び込んできた。


「陛下! 大変でございます!」


 もう聞きたくない言葉だろう。颯龍は耳を塞ぎたかった。しかし立場上そうもいかない。


「な、何があった。申してみろ」

「沈家の若者が、万家の生き残りの娘を連れて……孟氏や沈氏の罪について告発したいことがある、と」

「告発!?」


 颯龍の声がひっくり返る。朱亜と皓宇は顔を見合わせた。魅音と劉秀だ! 何が起きたのか詳細は分からないけれど、行方が分からなくなっていた魅音が見つかって、朱亜はほっと胸を撫でおろす。


「どういうことだ!」

「詳しくは分かりませんが……どうやら、5年前に起きた盗難事件の真犯人は沈家の者だと……」


 予想だにしていなかった話に、颯龍はめまいを起こす。皓宇は颯龍の背中に手を添えて、彼の体を支える。動揺しているのか呼吸が浅く何度もせわしなく繰り返している。そこに再び、また違う官吏が飛び込んできた。


「陛下! ここにおられましたか!」

「今度はなんだ!」

「御子様がお生まれになりました!」


 颯龍の呼吸が止まる。そして今度こそ、力が抜けてしまいへにゃりと床に座り込んでしまった。官吏は構わず報告を続ける。


「皇子様とのことです。香玲様、皇子様ともご健康であそばされる、とのことです」

「そうか……そうか……良かった」


 心からの安堵の声が漏れる。颯龍の心境は複雑だろう。しかし、今は新たな皇子の誕生を喜んでもいいはずだ。再び立ち上がろうとする颯龍に、皓宇は手を貸す。


「おめでとうございます、陛下」

「あぁ、ありがとう。……お前からも話を聞く必要があるな、皓宇。そちらの救世主様も。あとで呼ぶから、王宮内で控えていてほしい」

「承知いたしました」


 颯龍は覚束ない足取りで東宮殿を出ていった。出産を終えた香玲の元へ行くのだろうか? それとも、告発しに来た劉秀と魅音から話を聞くのだろうか? どちらにせよ、今晩は眠ることができなさそうだ。朱亜は大きく伸びをする。


 近衛兵たちは雨龍の遺体を恐る恐る運び出していた。朱亜は首を傾げる。その近くにあったはずの自分の死体はどこへ行ってしまったのだろう? 考えても、なぜ消えたのか分からない。


「朱亜、行こう」


 朱亜が顔を上げると、皓宇と明豪がこちらを向いていた。皓宇は朱亜に手を差し伸べる。朱亜は急いで砕け散った剣と首飾りの残骸をかき集めて、また裾を裂いてそれに包む。そして、皓宇が差し伸べる手を取った。


 手をつなぎながら王宮に向かうと、ぐったりとしている劉秀と魅音に出くわした。魅音は手をつないでいる二人に気付いて、大きく息を吐く。


「こんな大変な時に、皇子様ともあろうかたが何をしているんだか。それに朱亜、なによその恰好。せっかくの上等な着物を着ているのにあちこちボロボロで。それに、髪だってこんなに長くはなかったでしょう? 付け毛?」

「あとで話すよ、長くなりそうだから。それより、2人はどうなったの」


 魅音はがっくりと項垂れている劉秀に目を向けた。これから彼の家族が裁かれるのだ、その心中は穏やかではないだろう。


「こっちもいろいろあったのよ、皇帝陛下ともこれから面会する予定。話せば長くなるわ」

「それなら、皆様、先にお食事はいかがですか?」

「きゃあっ!」


 にょきっと顔を見せる明豪に驚く魅音。明豪は空いていた部屋に四人を連れ込み、女官に食事を持ってくるよう伝えてくる、と言って出て行ってしまった。


「びっくりしたぁ……うさん臭い占い師でしょ? あいつと一体何があったの?」

「あー……後でね。さきにご飯でも食べよう、もうお腹ペコペコだよ」


 今日だけで、朱亜にはいろんなことがあった。話しても信じてもらえるかな? と思えるくらいの出来事。夜は長そうだ、ゆっくりと話してもいいかもしれない。


 こうして、天龍国を脅かしていた騒動はゆっくりと幕を降ろし始めたのだった。

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