第42話


 目の前にいるのは、皓宇は愛したこの国を、皓宇自身に汚させた邪王。皓宇の儚い祈りをくだらないと馬鹿にする、邪悪の権化。決して許してはいけない、と朱亜は睨みつける。邪王は朱亜の様子を見て鼻で笑った。


「絶対に許さない! 皓宇を操り、あの美しかった天龍国をこんなに苦しい国に変えたお前だけは……!」

「我を蘇らせればどうなるか、この男も知っていたのであろう?」


 そう指摘され、朱亜は言葉を詰まらせる。


「……お前を救うためならこの国なんてどうなってもいい」


 邪王は面白がって皓宇の声音を真似した。剣を構える朱亜の腕が躊躇った。心はほとんど乗っ取られているけれど、その姿は皓宇そのものなのだ。彼をこの剣で殺める覚悟なんてまだできていない。その朱亜の弱さを邪王はすぐに見抜き、皓宇の声のまま彼女に話しかける。


「お前はこの男が愛しいのであろう? そうだ、良いことを思いついた」


 邪王は玉座を下り、ゆっくりと朱亜に近づいてくる。朱亜は怯え、腕が震え始める。目を閉じ剣を振るって邪王を跳ねのけようとするけれど、切先すら届かなかった。


「この男と共にいたいのだろう? 我がお前に永遠の命を与え、この男のなりをしている我と添わせてやってもいい。もちろん、条件があるがな。その忌々しい剣と翡翠を破壊しろ、そうすればお前の望みを……」

「ウチの、望み……」


 朱亜は顔を上げ、剣を構えなおした。邪王の提案を皓宇は望むだろうか? 朱亜は自分が知っている皓宇のことを思い出す。


 未来から来たという自分の話をすぐに信じてくれた素直さ。


 慎重で心配性なところもあったけれど、朱亜を一人の人間として尊重してくれた優しさ。 


 大切なものを失ってきたから知っている、弱さ。


 そして、朱亜のことを守ろうとしてくれていた強さ。


 ――どうか、天龍様のご加護が朱亜にありますように


 朱亜は皓宇の手を思い出す。自分よりも大きくて、温かくて、強くなろうと努力していた……本当に大好きだった手。朱亜はその時になって、ようやっと自分の気持ちに気付いた。どうして皓宇の姿をした邪王を討つ覚悟ができないのか。


 それは、朱亜にとっても彼がとても大切な存在だったから。


「……ありがとう、皓宇」


 小さな声でそう呟く朱亜。その声は邪王には届いていないみたいだった。邪王の提案に心が揺らいだのは事実。でも、それを飲むということは、皓宇が長い間重ね続けていた努力を無駄にすることだ。共に邪王を討とうと約束していたのに、それを破る事なんて絶対にしない! したくない! 決意を改めた朱亜は大きく踏み出した。


「愚かな!」


 邪王は身構える。その動きは皓宇そっくりで、朱亜は懐かしくなる。同時に心から喜んでいた。だって、彼の動きはいつも一緒に稽古していたからよく覚えている! 皓宇がどう剣を受けて、かわそうとするか。朱亜は身を翻そうとする邪王の、その先の動きを突く!


「……覚悟しろっ! 邪王!」


 天龍の剣を振りかざし、朱亜は一気に振り下ろす。剣先は皓宇の髪を切り、そのまま胸にぶら下がる邪王の印章を切りつける。邪王の悲鳴が響いた。朱亜はさらに力を込めて、それを切り捨てるように破壊した。


「おのれ、許さぬ……天龍の子めぇえ!」


 邪王の印章は、その魂と共に崩壊し、砂のように細かくなって消滅していった。邪王の叫びが消えて、玉座はしんと静かになった。邪王の力を失った皓宇の体はその場で倒れ込む。朱亜は剣を投げ出して彼の体を抱きとめる。


「皓宇! 皓宇!!」


 彼の体も邪王の魂同様、崩壊が始まっていった。止まっていた時が流れたのか一気に老け込んでいく。金色の髪は真っ白な白髪に変わり、手も顔も皺が刻まれていく。すっかり老人になってしまった皓宇を、朱亜は強く抱きしめた。


「ごめん、ごめんね。一人にしてごめん、皓宇、どうかウチを許してね」


 頭に刺さっていたかんざしを抜き、朱亜はそれを自分の首に向けた。


「もう絶対に皓宇を一人になんてしないから、ずっと一緒だよ」


 かんざしを首に突き刺そうとする朱亜――その手を、皓宇の干からびた手が止めた。


「皓宇……?」


 苦しそうな呼吸が聞こえる。何か言いたそうに唇が動く、朱亜の手を握っていた彼の手が、朱亜の胸元にある大きな翡翠を指さす。


「……それを使って、もう一度過去にいってほしい、朱亜……」


 息絶え絶えになりながら、皓宇は必死に最後の願いを朱亜に託す。


「頼む……過ちを犯す前の私を、どうか止めてほしい……」

「皓宇……」


 朱亜は彼の細くなった体を強く抱きしめる。皓宇の体は光に包まれて、足から少しずつ塵に変わっていく。暗雲が立ち込めていた空が晴れ、眩しい日の光が玉座に差し込む。すっかり塵となった皓宇は、穏やかな風に乗って消えていった。朱亜はそれを最後まで見届けてから立ち上がった。


 皓宇にもたらされた、彼女の生きる理由――100年の時をこえるのだ、大切な人を守るために。


 朱亜は光に向かって頷き、天龍の剣を拾い上げた。玉座を後にし、まずはこの時代を共に生きた仲間たちを探しに行く。できたら彼らも弔ってから過去に戻りたい。それも、天龍の預言に遺された救世主の責務だ。

 

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