政略結婚からの幸せな公爵夫人の日常生活
岡田 悠
第1話 政略結婚
「病めるときも、健やかなるときも━━」
司祭の声だけが荘厳な大聖堂に響き渡る。通称『白の大聖堂』は、王家専用だ。
しかし、ここで執り行われている婚礼は、白とは言い難い政略結婚だった。
シンプルなプリンセスラインが、着ている花嫁のスタイルの良さを如実にあらわしていた。女性らしい曲線が優美だが、いやらしさを感じさせないエレガントなラインのウエディングドレスに身を包んでいるマリアンヌこと、マリアンヌ=フランツ=ジョセフィーヌ・ド・ロマイヨフ=ヨハンナは、フランツ王国の現国王の実の妹だ。先の亡き国王と王妃の間に生まれた、美しいお姫様だ。
17歳。成人直前の年にしての急な婚礼になった。本来であれば、十分な準備期間を設けて挙式に臨むのだろうが、半年ばかりの準備期間での急ごしらえのわりに見劣りしないのは、マリアンヌの美貌の賜物だろう。美しく結い上げられた金髪の夜会巻きの上のベール越しに輝くティアラは、豪華なものだが王家ゆかりの品ではない。5年前に結婚した腹違いの姉からの借り入れ品だ。指輪以外の宝飾品すべてがそうだった。現国王の兄とともに栄耀栄華の生活を送っていてもおかしくない身分であったが、そんな煌びやかな生活とは無縁の姫様であった。
「わたくしが、結婚できるなんて━━」
マリアンヌは、思わずつぶやいてしまいハッとし、隣の背の高い屈強な男性をちらりと見やった。
聞こえていなかったかしら?
マリアンヌは、ホッと胸をなでおろした。彼女は、生まれつき体が弱かった。幼少期には医師から、子供は望めない体だと診断された。このことでマリアンヌは、王族籍の中で最底辺へ転落した。血筋がよくても、『将来の王妃』としての政治カードとして使えないと判断されてのことだった。
花嫁になれるなんて、一生無理だと思っていた。
だからマリアンヌは、年相応に結婚にあこがれをもってはいても、叶わぬ夢と諦めていた。実際、亡き国王も母である王妃もマリアンヌを、18歳の成人と同時に修道院へいかせること決にめていた。
『神様の花嫁』になれるのだから、花嫁に変わりないと自分に言い聞かせて我慢していたけれど、婚礼準備だけでもあんなに幸せだったのに、本当に結婚したらどんなにか……。
マリアンヌは、ため息をついた。
忘れていたわ。とても幸せだったから。これは、国王であるお兄様の政敵との政略結婚。幸せはのぞめるはずもないのに……。
『これは、新国王陛下の為です。反国王派を率いているあの男と姻戚関係を結べたら、陛下、いや、お兄様の国内政治は一気に好転します』
国務大臣に囁かれたあの言葉を思い出した。マリアンヌも、バカではない。自分に『王妃』としてのカードに価値がないことはわかっていた。だが、国務大臣は、たたみかけていった。
『あの男は、無類の女好きですが、同じ女とは二度枕をかわさずと聞いた頃がある。つまり、女ならだれでもいいのですよ。それに、あの一族は、血統をおもんじる。おそらくですが次期当主は、いとこの女が生むことになるでしょう。マリアンヌ様それが政略結婚というものです』
マリアンヌは、半年前の国務大臣との密談を思い出し、急に背筋が冷たくなった。
「どうした?気分がすぐれないのか?」
深く静かな声。隣に立つ兄の政敵で美丈夫の夫は、白いレースのベール越しにマリアンヌの顎をクイっと持ち上げた。
えっ!?
司祭の厳かな声を一切無視したその傍若無人な態度に、参列者たちは唖然とした。
「大丈夫か、マリアンヌ。このジジィの話が長いから貧血でも起こしたのだろう」
いうやいなや、冷酷無比の騎士とお恐れられているドレイク・キエーフ公爵は、最前列に座る国務大臣にむかってまっすぐ歩を進めた。
「大臣、立て。マリアンヌを座らせる」
否応もなく奪うと重厚な椅子を軽々とかつぎ上げ、祭壇の前に置いた。国務大臣は、されるがまま、ただ阿呆のように突っ立っているしかない。
「無理せず、座れ。先は長いのだから」
確かに婚礼の儀式は始まったばかりだ。
そうだわ。この政略結婚に甘い夢を見てしまうのは、このドレイク様のせい。
マリアンヌは、凛とした態度で「ありがとう存じます」と美しいお辞儀をして参列者の目を奪った。一時的にドレイクの非常識な行動は忘却の彼方に押しやられた。まずかったのは、肝心のドレイクの目も奪われた、いや、釘付けにされたのだった。だから、よく通る声でドレイクは司祭に命じた。
「最後のくだりへまでとばせ、妻は体調がすぐれないようだ」
司祭はひどく狼狽しながらも、逆らうこともできずに最後の言葉を口にした。
「それでは、誓の口づけを」
ドレイクは、腰かけているマリアンヌに向き直り膝をついた。マリアンヌは、ベールを上げやすいようにややうつむいた。
「……かわらず、伏せたまつ毛までが、美しいなんて……」
感歎しげに言うドレイクの言葉に、参列者に衝撃を与えた。
あの男、あんなこと言うヤツだったのか!?
一同の動揺はさざ波のように大聖堂の端にまで及んだ。それに反してマリアンヌは、頬を赤らめた。
「恥ずかしいです。ドレイク様……」
そんなこと生まれて初めて言われた。かねがね伺っていた方とは、違い過ぎるから、どのような心づもりで接していいかわからなくなる……。
ひざまずいていたドレイクは、急に立ち上がり
「オイ、全員下を向いて、目をつぶれ!わが妻のこんなに愛らしい姿をお前らに見せるつもりはない!!」
参列者をはじめとする面々は、ある一つの恐ろしい回答にたどり着こうとしている。
『ドレイク侯爵は、政敵の国王の妹のマリアンヌ様をお気に召しすぎている!?』
思い返せば、思い当たる節が多すぎる。さっきまで式の間中マリアンヌを射殺さんばかりに睨みつけていると思っていたが、あれはマリアンヌを愛するあまり、ギラギラとした欲望まるだしの眼差しでガン見していただけなのではないか、イヤきっとそうだと気づき始めている。その考えは、大聖堂全体を返す波のようにある男のもとに集約されて戻ってきた。それは大いなる危機感という波となり、立たされたままの国務大臣に打ち寄せられた。
こんなはずではなかった。あの男を見誤ったか……。
大臣は、はらわたの煮えくり返る思いで目の前で鼻の下を伸ばし切っているドレイク・キーエフ公爵とマリアンヌの誓の口づけを睨みつけていた。かくして、参列者のみならず、当人たちの予想を大きく裏切ることになりそうな政略結婚は、幕を開けたのだった。
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