9.情報量の多い回
この世界の人々は力の強弱こそあれほとんどの人が魔法を使える。
特に生活魔法と呼ばれる種火と手桶一杯程度の小規模な水魔法は本当に一般的で、大人であれば誰でも使う事が出来るようになる類のものだ。
しかし、これが戦闘で使えるレベルにまで強くなるかというと話は別で。
魔力は心や精神力と深く結びついており、人には生まれ持った性質があるのと同じように魔法の強さや傾向も個人差が大きい。
外向きの気質を持つ者(陽キャ)は攻撃系統の魔法を、内向きの気質の者(陰キャ)は守護系統の魔法を覚えやすい傾向がある。
そして魔法は酷使すれば酷使するほど強くなるのだが、魔力は精神力とほぼ同義の力ゆえに酷使するのは辛いものなのだ。
例えるならダイエットをした方が良いと思っているのになかなか食事を変えられないとかおやつをやめられないとか運動が続かないとか、あんな感じだと思ってもらえれば良いと思う。
とにかく、魔法を使い続けるのは人間にとって辛い事である。だから、戦闘で通用するレベルまで強くなる人はなかなかいない。
しかし、俺は爆発物などから研究所を守りたいあまり、24時間稼働する警備会社のごとく常に守護魔法を切れ目なく使い続けていた。
結果、いつの間にかそっち系の魔法に強くなった。
あいにく守る対象は人間ではなかったのだが、この偏執的な性格のせいかそれとも人間よりずっとデリケートな種類の薬品のせいか、守護魔法にかけては他の追随を許さないレベルに成長したと胸を張って言える。
魔法を覚える時――ゲームシステムで言うなら“レベルアップの時”は、魔法を引き起こす言葉が頭に浮かび、その言葉が精神と深いところで結びつく感覚がある。
言葉だけ知っていても、精神と結びつかなければ魔法現象は起こせない。
まぁなんともゲームらしいシステムだな。
ともかく、俺は目の前の危険物の中から、もはや時を止めるに等しいレベルでその状態を維持し続けてきたニトログリセリンの入った小瓶を手に取った。
こいつは血管を広げる作用がある薬品だが、同時にダイナマイトの原料にもなる特級危険物でもある。
衝撃で容易に爆発するという扱いにくさから魔法のあるこの世界ではそれほど広く使われている訳ではないが、それでもこの小瓶の量ならちょっと戦闘に使えるようになった程度の火炎魔法よりは強い。
俺は武器なんてまともに振るった事がないし、魔法だって守護系統に特化しているが……こいつがあれば、黒フードの男にも対抗できるはずだ。
問題はこいつをどうやって戦闘に使うか、だが。
大丈夫だ。やりようはある。
「――月華」
そう唱えるとポゥと淡い光球が左の手のひらの上に浮かんだ。
こいつが、今まで俺の研究所を化学爆発から守ってきた鉄壁の守護魔法だ。
光の内側は外からの一切の干渉を拒む隔絶した世界。温度も湿度も振動も、時間の経過すらも拒む亜空間になる。
今まではこの地下倉庫全てを月華の中に閉じ込めていたが、今回は手のひらサイズ。なので魔力の消耗は今までに比べたらごく軽い。
……そういやこのゲーム、全てではないものの一部の魔法に日本語が使われてるんだよな。
プレイヤーだった時は西洋風ファンタジーのゲームなのになんで魔法で日本語が出てくるのかと思っていたし、記憶を思い出す前の俺(ノース)はなんとも奇妙な言葉だと思っていたが。
改めてメタ的に見ると、普通に『ファイア』とかだと競合する他社ゲームとの差別化が図りにくかったのかなと穿った想像をしてしまう。(あくまでも想像でしかない)
ちなみに攻撃魔法のファイアは『焔』だ。水色の髪のリリアさんが『焔っ!』と叫ぶ。いとシュール。でも好き。
俺は手のひらサイズの月華の上部を開き、そこから液体のニトロを静かに注ぎ込んだ。
月華は光でできたグラスのごとくその身に液体を受け止め、容量がいっぱいになったところで上部を閉じる。
カプセル状の月華の完成だ。
この亜空間カプセル・月華の中に閉じ込めたニトロをアイツの頭上に飛ばす。
アイツの頭上で月華を解除すれば爆発するはずだ。
不発の可能性を考えて同じものをいくつか作り、懐にしまい込む。
そしてリリアさん達がいる宿の近くへ向かった。
時が経つのは早いもので、さっきお昼時だと思っていたのにもう夕方だ。
赤く染まった街並みと海の景色は心に謎の感傷を呼び起こしてくる。
戦う手段を準備したとて皇帝の懐刀とやり合って無事で済む保証はどこにも無いからな。
これが今生で見る景色の見納めかもしれない。しっかり目に焼き付けておかないと。
夕日が海に沈むのを眺めていると、宿からシエルが一人で出てくるのが遠目に見えた。
もう可愛らしいワンピースではなく、いつものシーフらしい服装に戻っている。
彼女はこちらには気付いておらず、足早に街の外へ向かって歩いて行く。
――もう出発するんだな。
そう感じた俺は周囲に目を凝らし、黒フードのアイツがいないか探った。
もしアイツがシエルに再接触するとしたらリリアさんもソフィもいない今が絶好のチャンスだろう。
今のシエルならアイツに着いて行く事は無いはずだが、かといって油断はできない。
仲間になる事を拒めばその瞬間から攻撃の対象にされるんだ。
今のシエルではアイツにはきっと勝てない。絶対に接触させちゃダメだ。
「……ん?」
警戒を強めていた俺の目に一人の女が映った。
その女はシエルの前に立ち塞がり、何やら声をかけている。
妙なタイミングで出てきたその女を俺はよく知っていた。
黒縁メガネに黒髪のおさげ。猫背でおどおどしてて声が小さくて、勤務時間でもなんでもないのに白衣を着ているその女は――名をメリアと言って、何を隠そう俺の部下だ。
白衣の下の服がいつもダサいことで定評のあるメリアが、なぜこのタイミングでシエルに……?
遠くて何を話しているか全く聞こえないので、コソッと近くに寄ってみる。
建物の陰に隠れて耳を澄ますと微かに二人の話す声が聞こえてきた。
「だから、言ったじゃない。お断りよ」
「で、でも……私だって石化病の治療薬を作れます。ノース様に教えていただきましたから……。だから、その……私と一緒に行きませんか?」
――どこに?
メリアが知るはずのない情報――シエルが必要としている物の件を口にしている不自然さに、嫌な予感が湧き上がる。
まさか。
いや、そんな事って。
全く予想していなかった事態に頭の中が真っ白になった。
シエルとメリアの会話は続く。
「そんな事言われても。あなた達について行って何のメリットがあるって言うのよ。私、今の仲間達が好きだから離れる気は無いわよ。妹が元気になったらまたリリア達と合流するつもりだし」
「……これを見ても、そう言えますか?」
「何? ……えっ!? あなた、その服どこで買ったの?! 両乳首の位置にハートのアップリケってどういうセンスしてたらそんな事に」
「見てほしいのはそこじゃないです! ……ええと、この枕カバーなんですけど」
「なんでそんな物が白衣の中から出てくるのよ」
「実はこれ……ノース様の使っている枕カバーなんです。ご自宅から持ち出した本物です」
はいっ!?
全てが一気に吹き飛んだ。
メリア、今なんて言った? 俺が使ってる枕カバーって言ったか?
なんでそんな物をあいつが持ってるんだ? ……っていうか俺、自宅なんて数か月帰ってないぞ。
家の枕なんて、買ったはいいものの一度も使ってないんだが……?
「これだけじゃありません……。コップもペンも愛読書も、あらゆる物を私はコレクションしました。残るは本人だけなんですけど、なかなか気付いてもらえなくて……。あなたもノース様に魅了された仲間なんですよね……? 私たちと一緒に来れば、きっと皇帝は力を貸してくれると思います。あの猿顔男はそう言いました。ノース様を力づくで手に入れるために……私たち、手を組みませんか?」
何か言ってるんだけど、怖すぎて途中から何も入ってこなかった。
メリア。おとなしそうな顔して、俺が不在の家に勝手に入り込んで色んな物を持ち出してたのか……?
どういう趣味なんだ? それ……。
何ひとつ理解出来そうにない。ただただ、怖い。
物心ついて以来、初の涙が滲んできた。
こんな恐怖は初めてだ。
壁に貼り付いてカタカタ震えていると、シエルの声が響いてきた。
「大変魅力的な提案ね。でも……あいにくだけど。私、無理やりって好きじゃないの」
「……ヤっぱりダメ……ですカ?」
「当たり前じゃない。話はそれだけ? じゃあ私、急ぐからこれで――。って、あなた獣人だったの!?」
ん!?
違うぞ!?
メリアには美肌カクテルのモニターをやってもらった事が何度かあるが、獣人の特徴なんてどこにもなかった。間違いなく人間だ。これだけは断言できる。
何が起きてるんだ!?
物陰から顔を出して見てみると、猫背だったメリアは上体を大きく逸らして苦しげに呼吸をしていた。
「はぁ、あぁ……くるし……いッ」
両乳首のところにあるハートが弾け飛んだ。
何を言っているのか分からねーと思うが、ありのままを話すとそうなる。
メリアの体が変化していく。
耳は尖り、犬歯が生えて、背中には黒い蝙蝠の羽が。
――魔物化だ。
あいつまさか、俺が廃棄したはずの注射を打ったのか!?
蝙蝠の羽の艶々とした質感が、メリアの白い肌の一部を覆っていった。
それはまるで服みたいな形になり、黒髪おさげのおとなしい部下は女性型の魔物へと姿を変える。
「な、なに……?」
シエルは混乱しているのか、短剣を構えたものの動けずにいる。
変化を終えたメリアは鋭く尖った自らの爪を眺め、別人のような口調で「そう……。残念だわ」と言った。
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