3.ウサギさん
男の胸部から腹部にかけて、まるで大型獣の爪の一撃のような三本線が入った。
俺が振った白竜の剣の一太刀が三本の傷を負わせたのだ。
結構な深手を負わせたようで、男はよろめきながらおびただしい出血を始めた腹部をおさえ「……分が悪いか。今日のところはこれで退散してやる」と言って逃げ出した。
深追いはしない主義のようだ。
この街ではすこぶる評判の悪い俺だったが、見るからにひょろい体型で圧倒的不利な状況から勝利した俺に野次馬たちが歓声を上げる。
しかし俺は、今の攻撃に見覚えがあって素直に喜ぶ気になれずにいた。
今の一閃三叉の攻撃……。
人体改造後の俺の通常攻撃とそっくりだった。
ゲームでの俺は、斬り落とした腕に三叉の爪状の武器を装着し、逃げ惑う人々を斬ってケタケタ笑っていたんだ。
ルートを外れたつもりでいても、俺に組み込まれた設定は生きてるんだなぁ……。
思わぬ角度から自分の立場というものを分からされてしまった。
が、気を取り直してリリアさんの元に駆け寄る。
善意の野次馬から手持ちの下級ポーションの提供があり、背中の傷にかけられていくが焼け石に水で大して効果は見られない。
そんなに傷が深かったんだ……。
リリアさんの痛ましい姿に泣きそうになりながらシエルの到着を待つ。
「ただいま! 上級ポーション十本買えたわよ!」
「よし! かけてくれ!」
素早く栓を抜いたシエルが一気に傷口にかけていくのを祈るような気持ちで見守る。
今度は効果があったようで、傷口から淡い光が立ち上り徐々に傷が小さくなっていった。
「効いてる……!」
「良かった。さすが上級ポーション、魔法効果が段違いだな」
ポーションとはこの世界においては神職――というか、回復魔法の使い手しか作れないいわば回復魔法の代替品だ。俺にはどう頑張っても作れない種類のもの。
回復魔法は本当に神職しか使えない。教会の関係者、それも信心深い上位の神職専用の魔法だ。
……まあ、リリアさんは村を焼かれた後、神に認められるイベントがあって弱い回復魔法なら使えるようになるし、いずれ回復役のシスターも仲間に入るんだけどね。
今はまだそこまで辿り着いてないからな。ポーションに頼るしかないんだ。
「う……」
リリアさんから小さな声が聞こえた。
目覚めたようだ。シエルが泣きそうだった顔をほころばせる。
「リリア! 気が付いた!?」
「うん……。あの男は?」
「このかたが追い払ってくれたみたいよ! えーっと……」
「ノースだ。ノース・グライド」
「そう! ノース様! ノース様が助けてくれたの! この上級ポーションもノース様のお金で」
「様!?」
シエルが俺を“様”付けで呼び始めた。
お前、クールキャラのはずだろう。なんだ、“様”って。
全っ然似合わないからやめてほしい……。ゾワゾワする。
リリアさんはまだ動けないのか、うつぶせたままでチラリと俺を見た。目が合った瞬間蒼白だった顔色を突然赤くして、バッと顔を反対側に向けてしまう。
「ど、どうしました? リリアさん」
「なんでもない! なんでもないの!」
推しにそっぽ向かれてしまった……。
ショックを受ける俺の前でリリアさんは「あのね、ノースさん……。五感ってあるでしょう? 人って死ぬ時、五感のうちどの感覚が最後まで脳に伝わるか知ってる……?」と呟いた。
「ああ、もちろん知っているさ! 聴覚だろう!? ああ、リリアさん、死ぬなんて言わないでくださいよ! ポーション足りませんか!? 追いポーします!?」
「ううん! もう大丈夫! 大丈夫だから! ……もう起きるわ。ふぅ。上級ポーションって凄いのね。私、もうダメかと思った」
「助かって良かったわね、本当に……。ノース様にお礼をしなくちゃ。――ってリリア、あんた服が血まみれじゃない!」
「そうね。……あの、ノースさん。お礼をしたいのですが、その前に着替えてきてもいいですか?」
なんだかさっきからずっとリリアさんが敬語だし目を合わせてくれない。
かなしい。
「……いいよお礼なんて。っていうか俺の名前に“様”も“さん”も付けなくていい。むしろ付けないでほしい。敬語もいらない。解釈違いだから」
「解釈……?」
ああ、伝わらないのがもどかしい。
「とにかく、リリアさんの怪我が大丈夫なら俺はもう行くよ。今日は会えて良かった。みんな、元気でな。じゃ、失礼する」
急によそよそしくなったリリアさんに耐えられそうになかった俺はさっさと逃げ出し、研究所に戻った。
今度はしっかり施錠して自分のラボにこもる。
……俺、気持ち悪かったのかな。
机に顎を乗せて一人反省会が始まる。
よく考えてみたら気持ち悪くない訳がないんだよな……。
俺は前世も今も女の子とはほとんど接してこなかった。
それどころか今生の方が「キモーい」とヒソヒソされる事が多い。なにくそと思ってたけど、冷静になってみれば確かに俺はキモい。
万年寝不足で常にクマがあるし、猫背だし、頭なんてボサボサだ。挙動は言うに及ばず。
数か月ぶりに鏡(培養液ポッドの反射)を覗き込んでみればそこには紛れもないキモオタがいる。
リリアさんもシエルも、よく俺なんかと普通に会話してくれたもんだよな……。
落ち込んだ末に申し訳程度に髪をクシで梳かした。
それから金持ちのマダム相手に販売している美肌カクテルを作り、静脈注射で摂取しようと駆血帯を巻き注射器を当てる。
と――。
「……何してるんです?」
リリアさんの声。
空耳か!?
バッと周囲を見回すと、着替えを済ませたのか可愛いワンピースに身を包んだリリアさんとシエルが並んで入り口に立っていた。
「な、なななんで!?」
鍵、閉めたはずだよな!?
驚きのあまり椅子からひっくり返った俺にシエルはつかつかと歩み寄り、上から覗き込んできて針金のようなモノを掲げ悪い笑みを浮かべる。
「私、シーフなので。ここの入り口くらいなら開錠できちゃうんですよねぇ」
「そうか……! しまったな」
盗賊系のスキルに特化したシエルは、確かに仲間にいるうちはあちこちの扉を開けてくれる便利なキャラだった。
失踪前に回収しないと永遠に取れない宝箱なんてものもあったが、それはもう良い思い出だ。だって君はもう失踪したりしない。そうだよな?
……そんな事より、床にひっくり返っている俺を上から覗き込むワンピース姿のキミは、俺が今どんな絶景を見ているか気付いていないんだろうか。
クールキャラのくせにまさかウサギの絵がついてるとは……。
黒いレースとか無地のTバックだと解釈通りだったんだが。
ウサギさんの後ろからリリアさんも歩み寄ってきて、俺はとっさに目を逸らした。
ダメなんだ。リリアさんはダメ。俺の聖域なんだよ。
リリアさんは俺の横にしゃがみ込み、ぷぅと頬を膨らませながら俺の腕に巻いた駆血帯をくいくい引っ張った。
「こういうのはやめるって言ったのに。どうしてまた?」
「あ、ああ! これ!? これは違うんだ。美肌カクテルっていうやつで。金持ちのマダム向けの安全なやつだよ」
「美肌!?」
二人ともすごい勢いで食い付いてきた。
「なにそれ! 私も打ちたい!」
「私も!」
「君達には必要ないだろう。その……すごく綺麗だし」
俺が言うとキモいかな、と思って小声になってしまった“綺麗”という言葉に、二人は顔をポッと赤くしてうつむいた。
「そう……かな。私たち、ノース様の好みにかすってたりする……?」
かするも何も大好きなんだが。
でもそんな事言えない。俺、他の人はともかく君たちにだけはキモいって思われたくないんだ。
俺の返事を待たずして突然リリアさんが立ち上がり、俺を引っ張って起こしながら言った。
「そんな事はどうでもいいの! ね? ノース。良かったらこれから一緒に食事に行かない? 私たちのオゴリよ」
「え、いいよそんなの。悪いし。行くなら俺が払うよ」
「だめ! これはお礼なの! 石化病の治療薬と、さっき助けてくれたことのお礼。……それだけじゃなくて、色々話を聞いてみたいし。……私たちじゃノースにしてもらった事に釣り合うほどのお礼はできなくて……ごめんね」
「とんでもございません」
まさかまさかだ。
悪役モブに転生したと思ったら衣装チェンジした推し達と食事に行くことになってしまった。
二人ともものすごく美少女なのに、俺なんかと一緒に飯を食えるのか……?
シエルは軽いノリで俺の腕にしがみついて寄り添い、それを見たリリアさんもおそるおそるといった様子で反対側の腕に手を伸ばしてくる。
「両手に花だね、ノース様」
ご機嫌な声でシエルが言った。
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