第11話、とある雨の日③

「晴くん……その、うっかりしていた事があるのですが……」


 暗闇の中でのお風呂を終えた後、先にユキの着替えを済ませてもらおうと思っていた矢先。脱衣所の方から弱々しい声が聞こえて顔を上げた。


「どうした?」

「え、えと……晴くん、バスタオルと着替えを用意するのを忘れてしまって……」


「あ……じゃあ、もしかして」

「その、もしかして……です」


 暗闇の中でユキは慌てている様子だった。


 いつもならお風呂に入る時は忘れずに着替えを持ってきているユキだったが、今日は停電に気を取られたせいか必要なものを持ってくるのを忘れたようだ。


「ユキ、いつもバスタオルを置いておく所には?」

「それが、大きいのも小さいのもリビングに畳んだまま……空っぽです」


「いつも棚に置いてくれてた俺の下着も……?」

「全部まとめようと思って……晴くんのも、リビングです……」


 タオルと着替えを忘れたという緊急事態。


 体を拭く事が出来ないので、ユキの白い肌を伝って雫が床に落ちていく。


「ユキの着替えとバスタオルは俺が取ってくる、お風呂に浸かって待っててな」


 仕方ないので俺は苦肉の策として、一人でリビングに着替えとタオルを取りに急ごうと思った。


 濡れたままでも走って行けば大丈夫。だが、ユキは離れようとする俺の腕をぎゅっと掴んでいた。


「ま、待ってください、一人だと心細くて……」

「でも、このままじゃ風邪ひいちゃうぞ?」

「それは分かっています……ですが、一緒に……お願いします……」


 消え入りそうな声で呟く。


 表情はよく見えないものの、きっと不安でいっぱいになっているのだろう。


 包帯を巻いていたあの頃のトラウマのせいだ。雷と暗闇の中で一人ぼっちになりたくないと、ユキは俺の腕を離そうとはしなかった。


 ユキに寂しい思いはさせたくない。今も雷の光と音に身体を震わせていた。


「お互い濡れてるし、一緒に行くなら急ごう。ほら、手を握って」

「はい……晴くん、ありがとう」


 申し訳なさそうにしているユキの頭をぽんと撫でてから、彼女の小さな手を取った。


 お互いに裸足だったのでぺたぺたと音を鳴らしながら廊下へ出る。体は濡れたままだし、湯冷めして風邪を引く前にユキの着替えとバスタオルを見つけようと、暗闇の中を二人で手を繋いだまま移動する。


「あの……スマホのライトは使わないのですか?」

「大丈夫。部屋の構造は覚えてるし、目も慣れてるからうっすら見えるだろ」


 スマホのライトを使わないのは俺なりの配慮のつもりだった。ライトを使えば光が反射して、隣に歩くユキの裸が見えてしまう。実際、ライトに頼らなくとも壁にぶつかってしまうという事はなかった。


 ただ明かりが無くとも、この状況はかなり刺激が強いものだった。


 何も着ていない裸のユキを連れて室内をうろつくというのは背徳感があって、なんだかそれが妙な気分にさせる。


 暗闇の中とは言え既に目は慣れているので、俺の隣を歩くユキのぼんやりと浮かぶ白い肌がやけに艶めいて見えて、心臓はばくばくと激しく脈打っていた。

 

 なるべく意識をしないように……これは緊急事態だから仕方ないのだと、自分に言い聞かせて耐えるしかない。


 そしてリビングに着いた俺達は、普段ユキが洗濯物を畳んで置く場所に近付いて確認する。綺麗に畳まれたバスタオルと俺達の着替えがあって、それを見て胸を撫で下ろした。


 バスタオルを手に取って、それをユキに手渡そうと振り向いた時だった。


「よし、体を拭いてすぐ――」


 眩しいと感じたのはその直後、視界が真っ白に染まった。雷とは違う穏やかな光が俺達を包み込んでいる。


 じんわりと部屋が暗闇から本来の色を帯びていく。明るい光を放つ照明で部屋が満たされて、同時に俺は見てしまうのだ。一糸まとわぬユキの姿を。


 水を吸って重くなった艶やかな銀色の髪が、絹のように滑らかな白い肌に張り付く。濡れた頬はほんのりと赤く色付いて、きゅっと引き結んだ唇は瑞々しい果実を思わせた。


 身体は細くしなやかで、柔らかそうな曲線を描くお尻は張りがあって瑞々しい。くびれたお腹のラインは美しく、その先には小さなおへそが顔を覗かせる。


 そしてその細身からは想像も出来ない程の大きな二つの膨らみには、ぷくりとした桜色の先っぽがつんと可愛らしく上を向いていて――。


 無防備なユキの姿が俺の瞳に焼き付いた。

 暗闇の中で見た時よりも、何倍もの美しさで映る彼女の裸に思わず息を飲んでしまう。


 そんな俺の反応にこてんと首を傾げたユキは、おずおずと自分の体を見下ろした。


 長く白い睫毛が揺れて、ぱちりと瞬きする。


「あ……」


 小さく声を上げるユキ。彼女も一瞬の事で何が起こったのか分からずにいたが、すぐに状況を整理出来たのか慌てふためくように両手で体を隠した。


 真っ赤に染まる頬と耳、瞼をぎゅっと閉じて小さく屈むユキの姿を見て、俺は咄嗟の判断で手に持っていたバスタオルを彼女に被せて、顔を逸しながら声を上げた。


 まさかこのタイミングで停電から復旧するとは思ってもいなかったのだ。


「ほ、本当にごめん! 見るつもりじゃなかったんだ!」

「こ、これは……不可抗力ですから、謝らないでください。それに、お互い様……ですから」


「お互い様?」

「は、晴くん……あ、あの……」


「ん?」

「か、隠して……ください、わたしだけじゃなく、晴くんだって……その、見えちゃってます……」


 ユキは体を屈めたまま、目を開いて横目で俺の方を見ると、また慌てて目をぎゅっと閉じて俯く。


 こんなに顔を真っ赤にしているのは初めて見る程に、ユキは羞恥に震えているようだった。


 そしてユキが何を言っているのかを、自分の体に視線を落として気付くのだ。そう、ユキだけじゃなかった。俺も同じ状況だった。


 顔から湯気が出てしまうくらいの恥ずかしさを感じて、慌ててバスタオルを取って体を隠す。明かりの下で互いに裸のままで、置かれている状況を理解した俺は急いでリビングを後にする。


 脱衣所に戻った俺は床に座り込みながら混乱する頭を整理した。


 嵐から始まった今日。それから停電して真っ暗になって、雷に怯えるユキを連れてお風呂に入った事。そして電気が復旧した後も続いたハプニング、多分俺は一生今日の事を忘れないと思う。

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