第3話、同じ屋根の下②

 俺は今リビングで、ユキと母さんと夕食を共にする為にテーブルを囲んでいた。


 俺達の入学祝いとユキへの帰国祝いを合わせた結果、今まで一度も見た事のなかったような豪華な食事が並んでいる。


 俺は母さん特製の豪華料理を口に運んでいく。


 その料理の美味さに幸福の絶頂にいるはずが、実際のところは何を食べているのか良く分からないような感覚だった。


 隣に座るユキが気になってそれどころじゃなかったのだ。


 包帯の下にあった彼女の素顔は美少女そのもので、夕食を食べる様子もとても丁寧で綺麗だった。箸の持ち方も食べる時の姿勢も、ゆっくりと料理を口へと運ぶその様子はまるで何処かのお姫様のように上品だ。


 小学生の頃と比べると見違えるような成長をしているユキ。


 背は小さいままだが大人の女性らしい丸みを帯びて、顔立ちはあどけなさを残しつつも誰もが目を奪われる程の美貌を宿している。


 そして何よりふわりと香る甘い匂い。ユキが近くに来るだけで胸がドキドキして、身体が熱くなってしまうのだ。


 ユキもユキで緊張しているのか、時折ちらりと俺の顔色を窺うように目線を動かして、目が合えば慌てて逸らすといった事を何度も繰り返していた。


 その仕草がまた可愛くて、食べている料理の味をつい忘れてしまう。


 そんなユキとこれから壁を挟んで一緒に寝泊まりするという光景を想像する。


 三年間離れ離れになっていたけれど、ユキが俺にとって一番大切な存在である事に変わりはない。


 でも包帯の下の素顔がこんな美少女だとは思っていなくて、そんな彼女との同棲生活は思春期真っ只中な俺には刺激の強すぎるものだった。


 母さんや父さんは俺が小学生の頃から変わっていないと思っているのかもしれない。あの頃のように仲の良い幼馴染として、ユキと二人で楽しくはしゃぎ回る姿を想像しているんだと思う。


 けれど俺だって年頃の男子として心身共に大きくなっているのだ。そんな俺がこんなに可愛くなったユキと同じ屋根の下で暮らすだなんて……果たして今日は寝られるのか心配になってくる。


 もちろん両親の期待を裏切ったり、ユキを傷付ける事は絶対にしないと断言出来るが、それでも健全な高校生である以上は我慢の限界というものがあって――。


 これからのユキとの生活を考えながら料理を食べていると、母さんはニコリと笑って俺に話しかけてくる。


「ねえ、晴。どれが一番美味しいかしら? 今並んでるこの料理の中で」

「え……どれって」

 

 しまった、ユキの事ばかり気にしていて母さんの渾身の料理を味わうのをすっかり忘れていた。さっき食べた中で一番美味しかったもの……。


「ええと……この味噌汁かな? しょっぱさもちょうど良くて俺好みっていうか、だしが効いてて美味かった」

「あら、お味噌汁が一番美味しかったの? 良かったわね、ユキちゃん!」

 

 え? と首を傾げながら俺はユキの方を見た。


 俺の隣に座っているユキは頬を赤らめて恥ずかしそうに、こくりと小さく頷いている。


「は、晴くんに褒めてもらえて良かった……。晴くんのお母様のお手伝いをしようと思って……お味噌汁だけはわたしが」

「ユキちゃんって料理も上手よね。ちっちゃい頃から変わってないわ~」


「え、えへへ……晴くんのお母様には全然かないません。機会があればまた色々教えてもらえたら嬉しいです」

「もう。お世辞まで上手なんだから」


 食卓に二人の笑い声が響く。


 俺はというと、直感的にユキが作った料理を選んだ事に驚いていた。


 二人が料理の話で盛り上がっている中でもう一度味噌汁をすする。その後に母さんが作ってくれた料理を食べる。


 こうやって食べ比べてもユキが作った味噌汁が一番美味しかった。シンプルな料理なはずなのに、母さんが用意してくれた豪華な食材を使った料理よりも美味しかったのだ。

 

 小学生の事は常にくっついて遊ぶような仲だったけど、ユキが料理まで上手だなんて事を俺は知らなかった。


 俺好みの味付けで、味噌汁をすすった瞬間に胃袋を掴まれてしまったような、そんな感覚すらあった。

 

 そして俺達は夕食を食べ終える。テーブルに並べられた皿は全て空になっていた。


 母さんが片付けをし始めようと立ち上がった時、スマホの着信音がキッチンに鳴り響いた。


 聞き慣れた着信音は母さんのもの。母さんはスマホを取って通話をし始めるが、しばらくして慌てた様子を見せたと思うと上着と鞄に手を伸ばした。


「ごめんね、晴とユキちゃん。仕事場でトラブルがあったみたいで、もう帰らないとだわ」


「え。こんな時間なのに、ですか……?」

「ユキ、驚く事無いぞ。母さんが夜になってから呼び出し食らうなんて、今の仕事柄だと仕方ない事だし」


「そうなの。晴は慣れっこだけどユキちゃんは初めてだったわね。ユキちゃんが海外に行っている間にね、転職したの。それからこういうのがよくあって。私は帰るけど仲良くするのよ、二人とも。それとね、晴。ユキちゃんと一緒に暮らすんだからしっかりね」

「分かってるって」


「は、晴くんの身の回りのお世話はわたしが。食器も片付けておきますから」

「あら、良いの? 引っ越してきたばかりでユキちゃんも疲れてるでしょ?」


「いえ、大丈夫です。晴くんの身の回りのお世話は任せて下さい」

「ふふ、本当に頼りになるわね。それじゃあ行ってくるわ!」

「いってらっしゃい」


 母さんが家を飛び出した後、ユキは空いた皿を重ねて流し台の方へと持っていく。


「晴くん、お母様から聞きました。ご飯をちゃんと食べていないんじゃないかって、とても心配していましたよ」


 ユキはそう言ってキッチンに置かれていたゴミ箱を見つめる。その中にはカップ麺やコンビニ弁当の空き容器が詰まっていた。


 ユキの言う通り、引っ越してきてからというもの自炊をした事は一度もない。


 朝は適当にゼリー飲料で誤魔化したり、昼はカップ麺、夜も買ってきた出来合いの弁当で済ませる毎日だった。


「食事の方はこれから毎日わたしが用意します。あとはお洗濯だったりお掃除も、さっきも言いましたけど身の回りのお世話は任せてくださいね」

「大丈夫なのか……? こっちに帰ってきたばかりで無理はしない方が……」


「体調は回復してとても良いんです。だから気にしないでください。そ、それに小学生の頃は晴くんから何度も助けてもらいました。わたしはその恩返しがしたい、晴くんに尽くしたいと思っています……だから晴くんの為に頑張りたいんです」


「俺への恩返し……か」


 俺は小学三年生だった時、いじめられていたユキを何度も助けた。けれどそれを恩着せがましく思った事はない、笑っているユキを見るのが好きだったから、その一心でやっていた事だ。


 けれどユキがそれを恩に感じていて、俺との生活でその恩を返したいと言ってくれるのなら、その想いを尊重してあげたかった。


 離れ離れになった三年間、彼女の中にも積もり積もったものがあるのだろう。ユキのしたいようにさせてあげるべきなんじゃないかと俺は思った。


「それじゃあよろしく頼むよ。俺も今までだらしない所が多かったから、それについては出来る限り気を付けるようにする」


「えへへ、そう言ってもらえて嬉しいです。いっぱいお世話をさせてくださいね」


 俺のお世話が出来ると決まっただけで、ユキはぴょんと飛び跳ねるように喜んでいた。


「それとお風呂を湧かせておきました。食器の片付けはわたしが済ませておくので、晴くんはこのままお風呂でゆっくり休んでください」


「本当にユキは気が利くな。助かるよ。片付けの方もありがとうな、世話になる」


「はい、任せてください。お湯加減もちょうどいいと思います」


 ユキは笑顔を見せてそう言った後、いそいそと食器を流し台に運び始めた。


 俺はそんな彼女の背中を眺めながら、着替えを持って脱衣所へと向かう。


 まるで新婚夫婦のようなやり取りみたいで何だかくすぐったくて仕方がない。


 同時に胸の奥から温かな気持ちが込み上げてきて、これからユキと一緒に生活するのだという実感がじわりと広がる。


 ユキとの幸せな毎日が続いてくれる事を嬉しく思いつつ、俺は湯船の中に肩まで浸かるのだった。

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