第4話「とまれゴマ」
「聖女が
つまるところ、一か八かであの歯車に触ってみるしかないということか。今にもこの車両を破壊しかねない大きな歯車は、この客車の前方上部に、不気味に浮遊している。まっすぐ近づこうにも、通路中央は大穴が空いている。脇の座席を一列一列跨ぎながら進むしかないだろう。割れた窓ガラスから突風がふきこんでくるが、仕方がない。
気合を入れて座席にしがみつく。引き剝がさんとばかりに強風が吹いているが、ここで根性を見せなくては聖女失格である。風ごときに負けるか。――あれ。ダウニーさんがさりげなく風除けになるよう位置どってくれている!? す、スマート!
歯車に近づくにつれて、ギチギチ、ギチギチと唸る不快な音が増す。ダウニーさんには聞こえていないのだろうか。こんな耳障りな音、聞こえていないといいけど。
■□
突風にもまれながらも、なんとか歯車のところまで辿り着いた。ダウニーさんと協力して、ハイジャック犯に手を貸し少しはマシな位置に避難させる。
「さあ聖女さん、あとは君頼みだ。
言外に、「僕をここまで付き合わせておいて失敗するなよ」と言われている気がしないでもない。これでも察しがいいほうなのだ。もちろん、言われなくてもそのつもりだ。(実際言われてないけども)
赤銅色が鈍い光を放つ歯車に触れる。回転のスピードを落ちたが、歯車が止まる気配はない。歯車の逆回転の速度が鈍くなると同時に、列車の速度も緩やかになった。回転の動力と、列車の動力が連動している。これが歯車の魔法……! 実際に目の当たりにすると、異様な“力”を感じる。わたしのいた日本とは根本的に異なる、世界の法則(ルール)。
「どうだい聖女さん。歯車は止まりそう?」
静かに首を横に振る。これじゃ逆回転がゆっくりになっただけで、今もギチギチ、ギチギチという耳障りな金属音が鳴り響き続けている。きっとこれだけじゃだめだ。完全に正常化させて、本来の回転方向に戻さないと。
考えろ。もっと考えろ。そもそもなぜわたしにだけ歯車が視えているのだろう。ダウニーさんはこれまで逆回転する歯車なんて“見たことも聞いたこともない”と言っていた。てっきり、歯車自体が聖女にしか見えないのかと思っていたけど、よくよく考えれば、説明会のパンフレットに歯車の挿絵があったということは、この世界の人たちも、普段は歯車を目にする機会があるということ。歯車を視るだけならそんなに特別な能力が必要なわけじゃなんだ。今は、なぜわたしだけが「逆」回転の歯車を視認できるのか考えよう。
この世界の人たち、それから召喚された聖女たちに対して、わたしだけ違うところ。そこに何かヒントがあるはず。……といっても、これといって特徴もなく平凡なわたしが、取り立てて他の人と違っているところだなんて、正直全然思い浮かばない。
「聖女さん! 黙っていたって始まらない! 歯車の様子はどうなっている!?」
わかってるよダウニーさん! でもわたし声が出ないんだから黙ってやるしかないんですってば! あーもう!
いや、待って。そうだ、そう、声! 召喚のバグとやらが発生したのは、聖女の中でもわたしだけ。なら、この声に何かヒントがあるかもしれない。声に関係するなにか、なにかないかな。冒険譚でいう「開けゴマ」みたいな呪文、パスワード、合言葉だとか…。
ええいままよ。そんなもの知るか! もうどうとなれ、何か言葉にしてみてから考える!
――とまれ! とまれ! 歯車よとまれ! とまれゴマ!
わたしの声が音として発されることはなかった。しかし、わたしが口をぱくぱくと動かし声にならない叫びをあげつづける間、ギチギチ、ギチギチ、という音はしなくなっていた。
■□
とまれ。とまれ。とまれ。とまれ。
何度も唱えているうちに、着実に歯車の逆回転は止まり、ついには元の方向へと正しく動き始めた。回転が正常化したあたりでダウニーさんも周囲の変化に気づいたようだ。ほっとして歯車から手を離したわたしに「お疲れ様」と声をかけると、ハイジャック犯を連れて操縦席のある先頭車両へと去っていった。
そのうちにハイジャックも沈静化され、列車は安全のため緊急停止した。損傷が激しい車両でそのまま乗客を運ぶわけにはいかないとのことで、これから別の交通機関が手配されるらしい。戻ってきたダウニーさんによると、ハイジャック犯は警備兵に明け渡すそうだ。連行されるときにハイジャック犯が、小声で「助かった。ありがとう」と言ってくれたとき、異世界だとか聖女だとか関係なく、誰かを助けてありがとうと言われるのは嬉しいなぁと思った。ただしハイジャックはよくないのでそこはしっかり怒られろ。
それにしても、我ながら結構それなりに活躍できたのではなかろうか。これなら聖女としても箔がつくし、受け入れてくれるところも見つかるかも。というか、いい加減こんな行き当たりばったりじゃない生活に腰を落ち着けたい。なれない異世界で疲労もピークだし、先の見えない不安で心がすり減ってきた。
ため息をついてしゃがみこむ。というか、わたしを置き去りにして逃げた聖女出荷業者の人たちはどこにいるんだろう。右も左もわからない異世界の女の引率くらい責任もってやってほしいよ。
俯いて自分の膝を抱きしめる。緊張状態から解放されて、どっと疲労が襲ってきた。同時にひどい眠気の波がやってくる。野外でしゃがんで寝るために、わたしは異世界に召喚されたわけじゃないんだけどなあ。
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