回る土偶
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回る土偶
社会科の準備室には、地図、図表、模型などが豊富に揃えられた他、縄文時代に発掘された土器や石器などもあった。
壁には、地理的なポスターや歴史のタイムラインが掲示され、生徒が目で見て学ぶための視覚的な要素が取り入れられていた。
そこに2人の小学生が段ボール箱を持って入室してきた。
2人は社会科の先生から、その箱の中身を使うように指示を受けたのだ。
一人は、見るからに元気そうな少年だ。
背筋が伸びて姿勢が良い。
髪も短めで清潔感がある。
小さな体ながら、どこか堂々とした雰囲気があった。
名前を
「痛っ!」
翔は小さな悲鳴を上げた。
持っていた箱が大きく視界が塞いでいたこともあり、入口近くにあった棚にぶつかったようだ。
「大丈夫か。翔」
もう一人の少年は、心配そうに声をかけた。
一見して寡黙な様子があった。
感情を表に出さない彫像のような姿と顔は、どこか冷たい印象を受ける。
どこか大人びた雰囲気を持ち合わせた少年だ。
名前を、
同じクラスメイトだ。
翔は、ぶつけた額をさすりながら答える。
額には少し赤くなっている部分があったが、傷にはなっていないようだった。少し涙目になりながらも、しっかりとした声で答えた。
彼は運動神経が良く、普段から活発な性格をしている。ただ、たまにドジをすることがあるため、周囲から心配されることも多い。
そして、そんな翔のことを見守るように春斗は側に立っていることが多かった。
今回もまた、春斗が翔を心配する言葉をかけたのである。
「男だからって力仕事ばかり任せやがって……。くそぅ」
翔は愚痴を漏らすように言った。
階段を登っての社会準備室にまで、荷物を運ぶように担任教師から言われたのだった。
しかし、荷物の入った箱はかなり大きく、重さもあるものだった。
そのため、翔一人では持ちきれなかったために、友達である春斗にも手伝ってもらっていたのだ。
その為、春斗も同じような箱を一つ持っている。
「それも3日続けてだぞ。いくらなんでも多すぎるだろ」
翔は言った。
確かにその通りだ。
ここ最近、毎日と言っていいほど、この手伝いをしていた。
それは今日だけではない。一昨日もその前も同じであった。
翔たちは、なぜこんなにも多くの仕事をさせられているのか分からなかった。
「まあまあ。それだけ信頼されているってことだよ」
春斗は落ち着いた声で言った。
だが、翔は文句の一つでも言わないとやっていられなかったのだ。彼は大きくため息をついた。
すると、春斗が突然言った。
「翔。そこの棚にある土偶だけど、あんなに横になってたっけ?」
「横?」
春斗に言われて、翔はガラスケースに入っている土偶をまじまじと見た。
そこには一体の土偶が展示されていた。
高さ10cmほどで、両手を横に広げたようなポーズをしていた。
おろらくは女性をモデルに作られたのだろうが、かなり抽象的なので男女の区別はつきにくい。
顔や体は人間の形をしており、胸や腰回りなどは女性のそれに近い。
手足の部分も細くしなやかに伸びており、指先からは鋭い爪のようなものが生えている。
髪の毛はなく、代わりに頭頂部に二本の角が生えていた。
まるで鬼のようだ。
それが一番の特徴だろうか。
その土偶が、正面ではなく真横に向いていた。
飾り方にしても保管の仕方にしても、置き方が不自然なのだ。
春斗の記憶では、ガラスケースに対し正面を向いていた。それなのに、今は側面を見せている。
それも、かなり不自然な角度だ。
「……誰かが動かしたんだろ」
翔は、ごく自然に思いついたままのことを言った。
「いや。この棚に入っている土偶や土器の破片や石器は、生徒が触らないようにケースに施錠がされているんだ」
春斗は、そう説明し、実際にケースの戸を動かしてみせるが、施錠されておりガラスケースの戸は動かなかった。
つまり、誰かが動かしたわけではないということだ。
「じゃあ。先生が動かしたんじゃないのか?」
翔は疑問を口にした。
もし、仮に春斗の言う通りであれば、社会科教師の仕業かもしれないと思ったからだ。
だが、春斗はその可能性を否定した。
「この土偶は先日、博物館から寄贈を受けたそうだから、おいそれと先生でも触れていないと思うよ」
そう言いながら、春斗はスマホを取り出した。
どうやら、何かを調べているようだ。
しばらくすると、彼はあるページを開いた状態で翔に見せた。
そこには博物館から寄贈された記事があった。
(やっぱりか)
春斗は心の中でつぶやいた。
イミテーションではない以上、誰かが動かした訳ではなかったようだ。
となると、ますます謎が深まるばかりだ。
いったい誰が? 何のために? どうやって?
そんな疑問が次々と浮かんでくる。
だが、答えはでない。
「分かんねえや。ま、どうでもいいしな」
翔はそう言って、考えることを放棄した。
彼にとっては興味のないことだったからである。
そもそも、そんなことを気にする暇があったら、もっと別のことをしていたいと思っていたのだ。
翔の反応に、春斗は苦笑していた。
2人は社会科準備室を出て、廊下を歩いていると下級生の女の子たちと一緒に歩いているクラスメイトの少女と会った。
後ろ一つ結びの三つ編みにした長い黒髪。
幼子ながら利発そうな顔立ちをした少女だ。
名前を
彩は、気落ちした女の子をなだめながら歩いていた。
彼女は優しい子であり、泣いている子を放っておけない性格なのだ。
そのため、同級生だけでなく後輩からも慕われている存在であった。
翔たちの姿を見つけると、彼女たちは笑顔で挨拶を交わした。
しかし、どこか元気がないように見えた。
「どうした彩?」
翔は声をかけると、女の子の一人が小さな箱を手にしていることに気づいた。
「翔、春斗……。実はね、この娘のクラスで飼育していたメダカが死んじゃったの……」
2人は、聞いた時は、よくあることだと思ったが、彩の説明によるとメダカが全滅してしまったということだった。
一、二匹が死んでしまうのは理解できるが、全部となると話は別だ。何らかの原因があって、そうなったことが考えられた。
「水換えもしたばかりで、エサだってちゃんとあげていたんだよ。なのに……、どうして」
泣きながら訴える女の子に対して、誰も答えることはできなかった。
ただ、沈黙するしかなかったのである。
「3日前は元気だったのよ。 元気に泳いでいたんだから」
女の子が悲痛な感情を見せる。
その言葉に春斗は反応した。
彼女の言葉に聞き覚えがあったからだ。
3日前といえば、ちょうど土偶が寄贈された日ではないか。
それに、あの土偶は横に向いていた。
そう思うと、一つの仮説が思い浮かんだのだ。
「……翔。土偶って、どういうものか知ってる?」
春斗の突然の問いかけに、翔は少し驚きながらも答えた。
「いや。昔のオモチャとか……」
翔は、しどろもどろしながら適当なことを口にし、彩は呆れていた。
【土偶】
最狭義では、縄文時代頃の日本列島で作られていた土人形を指す。
粘土を焼いてつくったもので、大きなものは高さ40cmを超える例があるが、多くは10~30cmほどの大きさとなっている。
土偶は、単なる飾り物や玩具などではない。縄文時代人の内面的な生活に深いかかわりをもつ物であった。
乳房や妊娠した状態は、女性とりわけ母性を意識したものである。このことから、動植物の繁殖、
また、土偶が完全な形で発見される場合はきわめて少なく、たいていどこかの部分が欠損している。これについては、病気やけがなどの身代りであったとする解釈が聞かれる。その欠けた箇所を天然アスファルトで接着した例が知られている。
さらに、土偶が
春斗は翔に土偶を説明した。
「へー。そうなんだ」
翔は感心したように声を上げた。
すると彩が付け加える。
「土偶は元々、土や陶土から作られ、神秘的な儀式に使われたの。それには超自然的なエネルギーや霊的な力が宿ると信じられていわ」
彩は神社の娘だけに、この手の話には詳しかった。
翔は感心していたが、ふと疑問が浮かんだ。
それは社会科準備室にあった土偶のことだ。春斗は、あの土偶が動いていると言っていた。これはどういうことなのか?
そんなことを考えていると、翔の心を読んだかのように春斗が言った。
「あの土偶。何か怪しいよ」
春斗の言葉に翔はうなずいた。
◆
春斗を含めた翔、彩の3人は、放課後の校庭の遊具の下に集まっていた。
滑り台兼、隠れんぼ等ができるようドームが付属した遊具だ。
「おい。押すなよ」
翔は、そう言って彩に注意を促した。
「私にも見せてよ」
彩はそう言って、春斗の脇から首を突っ込む。
「そんなに焦らなくても、見せてあげるからさ」
春斗は苦笑しながらスマホを操作した。
周囲を暗くした方が、スマホ画面が見えやすくなるからの、ここで確認をすることにしたのだ。
するとそこに社会科準備室に設置したカメラによる画像が映し出された。
外出中にペットの様子を見るために作られた、ペットカメラを設置していたのだ。映像を見ると、土偶の角度は変わっていなかった。
「何だ。春斗は、土偶が勝手に動いているって想像していたけど、全然変わってないじゃないか」
翔は拍子抜けしたようにつぶやいた。
そんな彼に対して、春斗は言った。
「これは今の映像だよ。録画してあるから巻き戻してみよう。そうすれば分かるハズだよ」
春斗の言葉に従い、再生ボタンを押す。
映像は変わった様子は無いが、再生速度を倍速再生に変更すると、変化があったのを彩が気づいた。
「止めて。今のところから少し戻して」
彩は思わず声を上げた。彼女が指差したところの映像を見てみる。
そこには土偶が映っていたが、そこに変化が現れた。
なんと土偶そのものが動いていたのだ。
「えっ!?」
その光景を見て、翔たちは息を吞んだ。
まるでシーリングファンが回転するように、土偶がゆっくりと回転しているのだ。
その動きはまるで生き物のようでもあった。
「まさか!?」
春斗は動揺しながらも、標準再生にして確認した。
やはり土偶が動いており、しかも少しずつ移動していることが分かったのだ。
「すげえ。マジで動いてるじゃん!」
興奮した様子で声を上げる翔だったが、春斗は冷静に言った。
「これは、《ひとりでに回転する古代エジプト像》と同様の現象」
と。
【ひとりでに回転する古代エジプト像】
2013年2月。
北部イングランドにあるマンチェスター博物館で従業員たちをゾッとさせる怪奇現象が起きた。紀元前1800年に作られたという、ガラスケースに入った高さ25㎝ほどの古代エジプトの像が勝手に回転して向きが変わっているというのだ。驚いたスタッフはこの像を観察する為に監視カメラを設置、1週間毎分その像を記録したところ、確実に像は回転していたのだ。
エジプト古代史を学ぶ学芸員のキャンベル・プライス氏(29)によると、最初誰かがこの像の向きを変えているのかと思ったそうだが、このガラスケースを触ることができるのは一部限られた人のみで、誰も動かした気配はないという。
また、この像はこれまでずっとこの場所にあったが、今まで一度も動いたことはないという。他の展示物は動いていないのに、この像だけが360度、勝手に回転する。
美術館を訪れた人々が展示物のそばを通ったり、屋外で大きな車が走ったりすれば、ある程度の振動が像に伝わり多少は動く可能性はあるが、それでも他の像が動いていないことや、これまで像が動かなかったこと、正確に360度回転する理由は説明することはできない。
ほとんど、エジプトの神にまつわる迷信などは信じなかったプライス氏だが、これには衝撃を隠せなかった。伝説によると、ピラミッドの墓から略奪された遺物にはファラオの呪いがかかるという。
「じゃあ。この土偶の呪いか何かが、メダカを殺したって言うのかよ」
翔の問いかけに春斗はうなずいた。
「気になって学校で色々を調べると、花が枯れたり池の亀が弱ったり、野鳥観察をしていたクラブでは、ここ最近野鳥を見なくなったって言っていた」
春斗の説明を聞いて彩は思った。
「つまり、土偶が生命力を奪っているってこと?」
彩の言葉に春斗はうなずいた。
「このままだと生徒たちの間にも、体調不良を発症する生徒が出てくるかもしれない」
春斗の言葉に彩は青ざめた表情になった。
翔もまた同じだった。
◆
春斗と彩は、社会科準備室に侵入した。
鍵は教室に忘れ物をしたと言って、社会科準備室の鍵をこっそりと持ち出したのだ。
2人は準備室に入ると、すぐに土偶の入っている棚の施錠を解いた。
「開いたわ」
彩は、春斗に呼びかける。
「よし」
春斗はそう言って、土偶に手を伸ばす。
だが、春斗はそのまま動かなくなった。
「どうしたの?」
彩が訊くと、春斗は震える声で言った。
「動かないんだ」
「え? 動かないって。どういうこと?」
彩は土偶と春斗を見比べる。
春斗の腕は力んでおり、小刻みに震えていた。
「重いんだ。10kgや20kgじゃないと思う」
どうやら、土偶を持ち上げることができないらしい。
彩が見ることしかできないでいると、やがて土偶が妖しい光を放ち始めた。それは、土偶自体が発光しているように思われた。
そして、徐々に光りが強くなっていくのが分かった。
「春斗離れて!」
彩は叫んだ。
春斗は急いで手を離すと、その場から飛び退いた。
すると土偶は不気味な光を発しながら宙に浮く。
そのまま浮遊し、社会科準備室の中央まで移動したところで止まった。
完全に重力を無視した動きだ。
その瞬間、棚が崩れて大量の本が飛び出した。
本が2人に向かって襲いかかると、春斗はとっさに彩を
「春斗!」
彩は叫ぶと同時に目を閉じた。
しばらくすると音が止み、目を開けると、床に散らばった本の山が見えた。
見ると春斗も無事のようだ。
ただ、頭を打ったのか額を押さえている。
よく見ると彼の頭には、小さなコブが出来ていた。
春斗が再び土偶を見ると、土偶は回転を始めておりまるでミキサーのように凄まじい早さで回り始めていた。
あまりの速さに残像が見えるほどだ。
それに伴い、春斗は疲労のようなものを感じた。
いや、それは
見れば彩も頭を抱えて座り込んでいた。
春斗は土偶が密かに回転することで、学校にある生命力を吸い取っていることを思い出した。これだけ激しい回転に、自分たちの生命力を吸い取られてしまってもおかしくはないだろう。
疲労と
「彩。お守りを!」
春斗の呼びかけに彩はお守りを取り出す。彩の家は神社をしており、そこのお守りは邪気払いの効果があったのだ。彼女は、それを握り締めると、頭痛が和らいだ気がした。
「春斗。作戦通りにしましょ」
彩は、お守りを春斗に手渡すと、彼はそれを握りしめた。
2人は申し合わせた様に頷くと、彩は窓際に向かった。
春斗は回転する土偶に向き直る。
その手にした、お守りを握りしめると、野球で慣らしたピッチングを使い、お守りを思いっきり投げたのだ。
投げられたお守りは回転する土偶に当たった瞬間、眩い閃光を放った。
その強烈な光を浴びた土偶は一瞬怯むかのように動きを止めた。
その隙を突いて、春斗は再び土偶に手を伸ばす。
今度は土偶を、しっかりと掴み動かすことが出来た。
その間に、彩は窓を開ける。
「今よ!」
彩の言葉を聞くと、春斗は土偶を窓の外に向かって呼びかける。
「翔! 行くぞ」
春斗は土偶を窓の外に向かって放り投げた。
土偶が飛び出した外では、翔が竹刀を手に待ち構えていた。
「よし。任せろ!」
翔は竹刀をバットにように構えると、タイミングを見計らって大きく振りかぶった。
剣道で鍛えた翔のスイング力は凄まじい。
空中で回転する土偶の中心を竹刀は正確に捉えると、土偶は一撃で粉々に砕け散った。
「やった」
彩は喜びの声を上げ、翔は続けて窓から顔を見せた春斗に手を振っていた。
◆
こうして怪異をもたらす土偶の事件は終わりを向かえた。
「ところで、土偶壊しちゃったけど、どうする?」
翌日、集まった3人は壊した土偶の件で頭を悩ませていた。
何しろ博物館から寄贈された文化財なのだ、怪異をもたらしていたと言っても信じてもらえない以上、先生から大目玉を食らうのは間違いない。
しかし、春斗はあっさりと解決策を言った。
「翔。土粘土で作ってよ」
その言葉に、翔は思わず声を上げた。
「何で俺が?」
驚く翔に、彩も同意する。
「いい案ね。あの下手さ加減。図工の成績が、『がんばりましょう』の翔にはピッタリだわ」
2人の発言を聞いた翔は顔を真っ赤にする。
「大丈夫。古びた質感は僕が塗装で何とかするから」
そう言って、春斗はにっこりと微笑んだ。
結局、翔によって作られた土偶は社会科準備室に飾られることになったのである。
歴史の授業で土偶が持ち出されるが、いつまで経ってもバレることがなかったという……。
「俺の図工って、縄文時代レベルかよ……」
翔は虚しく呟く。
「凄いよ翔」
と春斗。
「そうよ。埋蔵文化財と同じレベルの造形力を持つなんて、誇って良いわ」
と彩。
春斗と彩の言葉に、翔はますます悲しくなった。
(こいつら、俺のこと絶対にバカにしてやがるな)
翔は、2人の笑顔に隠された本音を読み取った。
だが、それでも2人が自分を褒めてくれることが嬉しかったので、あえて反論はしなかった。
いつか大きくなった時に笑って話せるようになるのかな。
そんな想いを胸に秘めつつ、今は黙っておくことにした。
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