第16話 浮生の都

 筑紫の港を出た遣唐使船二隻のうち一隻は早々に遭難して北の海を漂流し行方知れずとなった。定恵が乗っている船ではなかったが人的被害の大きさはもちろん、船とともに沈んでしまった品々も問題だった。


「唐への貢物が足りない。追って新たに遣唐使を送ろう。新羅の金春秋のこともある。鎌子、高向玄理を遣わすことはできるか」

 つねに決断が早い葛城王だが、流石にその口調には焦りがあった。

「玄理殿は高齢ですがお願いしてみましょう。新羅と親交のある玄理殿ならば危険な外海ではなく、新羅の海岸線に沿って航行することができます。遭難の危険は低いでしょう」

「玄理に十分な財を与えよ。使い道は問わない。必ず唐に辿り着くようにと厳命の上、遣唐使に任じよう」

「分かりました。玄理殿にその旨を伝えて直ぐに準備を始めます」

 鎌子は舎人を呼びよせ、玄理を王宮に呼ぶように指示を出した。


「それから鎌子、飛鳥宮の修繕はどうなっている」

 日中は葛城王も鎌子も休む暇などほとんどない。鎌子は卓から銅の水瓶を取り上げて葛城王の前に置かれた器に注いだ。注がれたのは渡来の香料を軽く煮出して冷ました白湯で仄かに良い香りがする。

「ほぼ終了しています。屋根が痛んでおりましたので変えました。板葺きは従来のままですが、工人が改良したため従来より建物の内部を広く取ることができます」

「母上はいつから移ることができる」

「後宮の建物の修繕を先に済ませてあります。直ぐにでもお移りいただけます」

「そうか」

 葛城王はそこでようやく器を手に取り一口、飲んだ。鎌子は葛城王が器を置くのを見計らい、

「葛城王、大王の宮とは別に新たな宮を造ることは新羅や唐に倭の内部分裂を疑わせます。あくまで水害からの避難を建前にして、新たな王宮の造営は避けた方が良いかと存じます」

「そうすると、吾も今在る飛鳥宮に戻るのが最善か……」

 鎌子は拱手して葛城王に同意を示した。


 白雉四年の年末までに葛城王は飛鳥宮へと拠点を移した。宝皇女は間人皇后と大海皇子を連れて葛城王に先んじて飛鳥宮に遷っていた。鎌子が葛城王に従ったのは勿論のこと、孝徳天皇によって左大臣に任じられていた巨勢も葛城王に従った。臣だけでなく官人もすべて葛城王に従い飛鳥に移った。


 隋唐の王宮を模した壮麗な難波宮にはただ一人、遷都に反対した孝徳天皇だけが残された。


 白雉五年正月をもって新羅では金春秋が王位に就いた。

 通常の大使よりも上位である押使として遣唐使の任を拝命した高向玄理は、直ちに難波湊から出航することになり、鎌子は難波湊で玄理の出立を見送った。


「玄理殿、今回の遣唐使は大きなお役目です。どうぞお気をつけて」

「これはこれは内臣様みずからのお見送り、恐縮です。わたしもまさか七十になろうとするこの年になって唐に渡るとは思ってもいませんでした」

 玄理はいつものにこやかな笑顔で鎌子の送辞に応えた。玄理の冠の隙間から垣間見える頭髪はすべて白髪で、それを見た鎌子は改めて深く頭を下げた。

「遣唐使の任務を果たせる官吏の教育が間に合わず、高齢の玄理殿にお頼みせざるを得ませんでした。申し訳ありません。どうぞ同行する若者たちに外交を実施で教えて下さい」

「鎌子殿、若者の教育はわたしの務めでもあります。お任せください」

 玄理はどこか鎌子の師である南淵請安に似た表情で鎌子を見た。

「……遣唐使は鎌子殿の夢ではありませんでしたか。わたしのような年寄りが鎌子殿に代わってというのも烏滸がましいですが、しっかり任務を果たしてきます。また飛鳥宮でお会いしましょう」

 そういって船に上がった玄理は、出港した船の船影が淡路島と重なり見えなくなるまでずっと難波湊の方を向いていた。

 玄理の乗った船はこれから瀬戸内海を経て筑紫に向かい、筑紫の湊から海を渡って半島の海岸沿いに北上する。途中、新羅領土内の港に寄港し金春秋の即位を祝う葛城王の書簡を新羅の官人に手渡す予定になっていた。


 玄理の出航を見送った鎌子は、その数日後に佐伯子麻呂とともに孝徳天皇のもとへと向かった。孝徳天皇は難波宮を出て、山崎離宮を改築した新たな王宮に移っていた。


 山崎離宮は孝徳天皇が王位に就く前に居住していた宮である。

 鎌子は当時、軽皇子という名で呼ばれていた孝徳天皇に唐の国のしくみについて進講するため何度か訪れていた。およそ十年前のことだった。鎌子の目にはその時の記憶にある山崎離宮よりも今の山崎宮の方が寂れているように見えた。


 あの時は朝廷の有力者である阿倍内麻呂が健在で、孝徳天皇を推していた内麻呂はこの宮を維持するために自らの財を惜しげなく注ぎ込んでいた。だが孝徳天皇が大王の座に着いた今、周囲には阿倍内麻呂と比することができる腹心ともいうべき者はいなかった。皇后ですらその側を去っていた。


 鎌子は佐伯子麻呂を王宮の外に待たせて数人の従者とともに山崎宮に入った。数少ない官人に取り次ぎを頼んでしばらく待つと、孝徳天皇が謁見の間に現れた。

 しばらく人前に姿を現すことが無かった孝徳天皇の顔貌はひどくやつれていた。


 孝徳天皇が王座に着いたのを見て鎌子は叩頭し、

「大王、ご存じのように一昨年前に右大臣である大伴氏が亡くなりました。現在、右大臣の座が空席となっており政務が滞っております。私が任務を肩代わりするために、右大臣の地位に敵う位を頂きたく参上いたしました」

 既に申し入れの内容を記した木簡は飛鳥宮から送った使者が届けている。鎌子の口上はただ形式的な儀礼に過ぎなかった。孝徳天皇は気怠げに鎌子を見下ろした。

「前に死んだ右大臣の代わり、か。中臣鎌子、むかしに比べるとだいぶ偉くなったものだ」

 ただそれだけを口にしただけで孝徳天皇はひどく咳き込んだ。舎人が瓶と盃をもって直ぐに孝徳天皇の側に寄って盃に何か注いだ。色からしてそれは酒のようだったが、鎌子はそれについては何も言わず、

「舒明天皇の改新の意志は王族が継ぐべきものです。私はその手助けをしているのに過ぎません」

 孝徳天皇は鎌子の言葉を聞いているのかいないのか、使者が事前に渡していた木簡をぞんざいに広げた。

「冠位はともかくやけに封戸が多い。葛城王にうまく取り入ったものだ」

 鎌子は黙って持参した紙の任官書を差し出し、孝徳天皇は一瞥して無造作に印を押した。難波宮落成時に唐の皇帝の玉璽を模して造らせたというその印璽はこれまでほとんど使われたことが無かった。

 鎌子は孝徳天皇から任官書を受け取ると、再び叩頭した。

「大王、おそれながら飛鳥へお遷りになる気はございませんか。飛鳥宮には大王の宮殿も用意されております」

 孝徳天皇は興味なさげに、

「位が欲しいなどとそなたらしくないことを言うと思えば、そちらが本当の目的か。誰の指図だ」

「私自身の提案です」

「そなたの言葉は葛城王の意思だろう。葛城王に伝えよ、余は飛鳥宮には入らぬ」

 孝徳天皇は立ち上がって鎌子を見下ろした。鎌子の目の隅に一瞬映ったその顔は、土気色の肌に眼窩は窪み、死相というのに相応しい様相だった。

「中臣鎌子、その冠に妬みを抱く者は必ずいる。せいぜい気をつけることだ」

 失意の王、孝徳天皇はそう云い捨てると謁見の間から退出した。


「大丈夫でしたか」

 鎌子が王宮の外に出ると子麻呂がさっそく声を掛けてきた。子麻呂は連れてきていた兵士を山崎離宮の門の中にまで引き入れていた。

「心配をかけた。何事もなく冠位をいただくことができた」

「良かったですよ、我々の出番が無くて」

 鎌子の身に異変があれば直ちに王宮に踏み込め、という葛城王の命を受けていた子麻呂は、安堵の表情を浮かべた。

 佐伯子麻呂と馬を並べて歩ませる飛鳥宮への帰路は鎌子にとって久しぶりに子麻呂と話をする時間だった。子麻呂はこの頃気になっていたということを鎌子に話した。

「……正直、この頃心配になるんです。皆、葛城王に従って飛鳥に戻りましたでしょう」

「そこに心配するようなことは無いと思うが」

「いえね、誰もこちらに残らなかったというのが逆に引っ掛かるんです。もし、もしですよ、葛城王に何かあったら誰か代わりになることはできますか? 葛城王だけじゃあない、鎌子殿もですよ。鎌子殿に何かあったら葛城王はお困りになるでしょう。お二人にこの国の命運がかかっていると云っても言い過ぎじゃあない」

「何かそれに問題があると思うのか」

「もうちょっと、なんて言えば良いんでしょうねえ、お二人だけじゃなくて他にも仕事を分担できるような方が……」

 小麻呂はその後を言いかけて止めた。改新の担い手だった僧旻の死は記憶に新しく、蘇我石川麻呂の事件は忘れようもない。誰がいつ裏切るか分からない状況で葛城王の側近く、重臣に取り立てることができる人物は限られていた。

 失言をしたかと空を仰いでいた子麻呂に、鎌子は微かに笑みを浮かべながら答えた。

「確かにそうだ。今、大学寮で学んでいる者達の中から私の仕事を引き継いでくれる者が現われれば良いと思う。いや、我らが育てなければならない」

 そうですねえ、と子麻呂が相槌を打った。

「いずれにしても、お二人の身に何も起こらないよう守るのは自分の仕事ですから」

「私はともかく葛城王の警護にはつねに万全を期してほしい」

 内臣であり右大臣となったばかりの鎌子の言葉は拘束力のある命令にも聞こえたが、気心の知れた子麻呂との心やすい会話の一部だった。


――その冠に妬みを抱く者は必ずいる


 小麻呂と他愛ない会話をしながら、ふと、鎌子の耳に孝徳天皇の言葉がよみがえった。


 この年の七月、玄理に先行して唐に向かった遣唐使が倭国に帰還した。この時帰還したのは大使であった吉士長丹などの官僚のみで、定恵を含む学問僧はそのまま唐に滞在し学問を続けていた。


「唐の高官は我らに百済を討伐する意思は無いのかと尋ねてきました」

 吉士の報告は大きな緊張を朝廷にもたらした。

 新羅は唐に百済討伐を懇願していたが、唐は半島の先端にまで自国の軍を進めることに躊躇していた。

「唐は自ら動くことなく、我らに百済を討たせようというつもりでしょう」

 鎌子の言葉に葛城王の表情は厳しくなった。

「倭国は唐の指図は受けない」

 葛城王は明確にそう言い切った。これは遣唐使として唐に遣わした高向玄理と共有している倭国の方針だった。

「後から唐に入った玄理殿が交渉の後を引き継いでくれるとのことですが、難航しそうです」

 そう報告を締めくくった吉士長丹に報酬を与えて下がらせた後、葛城王と鎌子はしばらく沈黙した。懸念は同じだった。

「玄理がうまく立ち回ってくれればいいが」

 二人がいる飛鳥の王宮には、夏を迎えた飛鳥の山から草木の香りが風で運ばれてきていた。


 葛城王と鎌子の心配は最悪の結果となった。高向玄理が唐に都に着いてすぐ、彼の地で客死したのである。

 玄理とともに唐に渡った河邊臣麻呂は玄理ほど高い外交能力を持ち合わせず、唐との高度な交渉はほとんど不可能だった。残された遣唐使は唐との直接交渉よりも情報収集に追われた。

 玄理が維持していた新羅との外交を引き継ぐべき人材もおらず、鎌子が一時的にその後任となった。だが内臣であり右大臣を兼任している鎌子が新羅に自ら赴くことはできない。

 注視しなければならない唐と新羅との外交人脈が手薄になることは、倭国にとって憂慮すべきことだった。


 白雉五年十月、飛鳥宮にいる葛城王の下に孝徳天皇が危篤であるという急使が着いた。王位の奪還を待ち侘びていた宝皇女の行動は迅速だった。

「葛城王、わたしとともにすぐに山崎離宮に参れ。そなたを再び、いや三度か、皇太子に指名する」

 孝徳天皇の次の王位を自分が継ぐことを確信している宝皇女に葛城王は黙って従った。

「わたしが王位にある間に先からの改新を完了させよ。それが皇太子であるそなたの任務だ」

「分かりました。全ては以前からのそのままに」

 宝皇女はじっと葛城王を見た。

「中臣鎌子は内臣に留任とする。それでよいのだろう?」

「お心遣い、ありがとうございます」

 葛城王は叩頭して宝皇女に感謝を示した。


 宝皇女は葛城王のほかに大海人皇子、そして間人皇后を連れて孝徳天皇が死の床に伏せる山崎宮に出向いた。鎌子を含めた有力な臣と佐伯子麻呂が率いる百余名の兵がそれに従った。

 宝皇女の圧倒的な威圧を前にして孝徳天皇の子である有間皇子は後ろに下がらざるを得ず、王位は宝皇女の望み通り、宝皇女に継承されることが決定した。


 宝皇女はここに、倭国初めて二度目の王位に就いた斉明天皇となった。

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