第3話 骨肉相争

 大化元年九月、孝徳天皇が即位して三ヶ月が過ぎないうちに古人大兄皇子が謀叛を企てているという知らせが葛城王にもたらされた。伝えたのは吉備笠垂きびのしだるという者で、他に四人が関わっているのだということだった。


「わたくしは先日、吉野へ移られた古人大兄皇子に舎人として同行いたしておりました。山深い吉野の里で都を偲び、夜ごとに数人が集まって語らううちに都が難波に遷ると聞いたのです」

 葛城王は鎌子と共に飛鳥宮謁見の間で笠垂の話を聞いていた。深更近くではあっても篝火がいくつも焚かれ、屋内の隅々までを照らしている。笠垂は木が爆ぜる音に時折神経質に目をやりながらも懸命に話しを続けた。

「慣れ親しんだ飛鳥の都と離れることに反発する者もいるだろう、そういった者達を集めて兵を起こせばあるいは王位を奪うことができるのではないかという話になったのです」

 葛城王の形良い眉が微かに寄せられたことに傍らにいた鎌子は気が付いた。孝徳天皇への反発と遷都への拒否感をもっていたのは葛城王自身も同じだった。

 鎌子は笠垂に尋ねた。

「兵を起こそうといったのは誰だったのか」

蘇我田口川堀そがたぐちのかわぼりです。その場におられた古人大兄皇子は川堀を諫めることもなくただ黙って聞いておられました。我々は皇子をお慰めする気持ちもあり、つい調子に乗って川堀の話にのったのです」

「そなたと川堀の他には誰がその場に」

「物部朴井椎子、倭漢文直麻呂、朴市秦田久津です。けれど川堀があまりに熱を入れて話し始めるので我々は次第に恐ろしくなりました。川堀と距離を置くようになったのですが、川堀は皇子と二人で話し込むようになり、今日はとうとう兵を集め始めると我々に宣言しました。これは大変なことになると思い、私一人が夜陰に紛れて比蘇寺を抜け出したのです。遠い難波まで行かなくても葛城王がまだ飛鳥におられるということでこちらにお伝えしに参った次第です」

 一息に話し終えると笠垂は大きく喘ぎその場に崩れ落ちた。吉野から飛鳥に、馬を使ってここまで来たとはいえ負担は大きい。謁見の間の衛士が気力の尽きた笠垂の肩を担いで謁見の間から連れだした。


 笠垂が謁見の間から下がると葛城王は傍らに立つ鎌子を見た。

「鎌子、吾はこれから子麻呂を連れて吉野に行く」

 鎌子は拱手で葛城王に応えた。笠垂の話は信憑性に欠いていたが、吉野から逃げた笠垂に追手をかけることなく飛鳥宮までたどり着かせた人物の意志を葛城王も鎌子も分かっていた。

「葛城王が戻られる前に難波からこの件について問い合わせがあれば、私が対応します」

「頼んだ。吾が戻るまで誰も吉野には向かわせるな」

「はい」

 葛城王は甲と太刀で武装すると直ちに佐伯子麻呂と約四十人ほどの精鋭の騎馬兵を従えて飛鳥宮を出た。


 葛城王たちは夜のうちに稲渕の谷を上がり高取の山境を越え、日が昇る前に吉野に出た。吉野川の激しい流れが白み始めた空を映して鈍く光っているのを横目に見ながら川下に向かって休むことなく進み続けると、やがて川のほとりに建つ比蘇寺ひそでらが朝霧の中に現れた。


 比蘇寺は静かだった。

 だがそれは朝の微睡みの静けさではなかった。


 葛城王の視線の先、不自然に開け放たれた山門の向こうには一人佇む影があった。

「やはり来たか」

 その人影は古人大兄皇子だった。常に付き従うはずの従者は一人もいない。

「わざわざあのような使いを出さなくても普通に呼んでいただければ宜しかったのです」

 葛城王は子麻呂たちを下げて一人、古人大兄皇子に近づこうと二、三歩足を踏み出したが、異変に気付き足を止めた。

 剃髪して袈裟を着けた古人大兄皇子の手には、僧侶に似つかわぬ抜き身の太刀が握られていた。太刀からは黒っぽい液体が滴り落ち、その刃先は古人大兄皇子の足元に転がる黒い塊に向けられていた。

皇太子ひつぎのみこを呼び出すなどと恐れ多いことはできぬからな」

 古人大兄皇子は穏やかな表情のまま、穏やかな声で葛城王に話しかけてきた。


 吉野の山の稜線に日の端が昇り、比蘇寺の境内が朝陽に染まり始めた。

 明るくなる比蘇寺の境内で、古人大兄皇子の足元に転がっている塊は辺りに血を撒き散らして横たわる人間の死体だった。


「いったいこれは……」

 絶句する葛城王に古人大兄皇子は軽く笑んだ。

「そなたの真似事をしてみただけだ。これは蘇我田口川堀だ」

 古人大兄皇子はそう言いながら刃先で死体を示し、そこでようやく気づいたように太刀に着いた血糊をしげしげと見た。迷って、僧衣の袖でゆっくりと太刀を拭いながら、

「大王に謀叛を起こさんと私を唆したから我が手で誅した。だが葛城王、次はそなたが私を弑せ」

 葛城王の後ろに居並ぶ子麻呂たちが異様な雰囲気を嗅ぎ取って武器に手を掛けたが、鳴り響く金属の音を古人大兄皇子はまったく意に介さなかった。

「ここで私を見逃せば、次は私とそなたが手を結んで大王に謀叛をたくらんでいると密告される」

 それは葛城王も懸念していたことだった。鎌子を飛鳥宮に置いてきたのは大王からの諮問に対応させ、葛城王に嫌疑がかけられるのを阻止するためだった。

 無言のままの葛城王に古人大兄皇子は、

「なに、これまでの歴史を繰り返すだけだ。王位の争いに負けた者には死が与えられるのみ。私はこれまで二度も王位を争ってきた。負けても一度は蘇我のおかげで生きながらえたが、その蘇我の宗家がそなたに討たれた以上、遅かれ早かれ私は今の大王に殺される」

 古人大兄皇子は太刀を黒漆の鞘に納めた。柄にも鞘にも金銀の装飾が施された華麗な刀は王族のみが持ち得るものだった。

「我らは父を同じくする兄弟だ。相討ちとなるより、兄弟そろって大王に討たれるより、必ずどちらかは生き残る道を選ぶべきだと思う」

 既に覚悟を決めた者の穏やかさで古人大兄王は葛城王に語り続けた。

「私の一族はここで滅ぶ。我が妃たちも子どもらも昨夜のうちに皆、自死した。だが葛城王、私の娘である倭媛だけはそなたの妃に迎えてもらえないか。今の王族にそなたの后となれる姫は我が娘しかいない。王族出身の后はそなたが大王となるために必要なものだ」

「……分かりました」

 葛城王が承諾すると、古人大兄皇子の肩からは明らかに力が抜けた。

「そなたに知らせに走った笠垂や、最後まで私に従ってくれたあの若者たちも助けてやってくれ。前途ある若者が私と供に朽ちるのは心苦しい」

 朝霧が晴れて物部朴井椎子、倭漢文直麻呂、朴市秦田久津の三人が金堂の前で叩頭している姿が見えるようになっていた。昨夜一晩かけて古人大兄皇子の一族の自死を介助した者達は一様に憔悴した顔をしていた。

「最後にもう一つ、頼み事だ。この寺には火はつけないでほしい。ここは厩戸王が百済の工人に造らせた観音菩薩がおわす場所なれば、後々までもどうか守り伝えてくれ」

 全てを語り終えた古人大兄皇子は一息つくと太刀とは別の短刀を自分の首筋にあてた。

「最後まで生き残れ、我が弟よ」

 葛城王の目の前で古人大兄皇子は躊躇いなく自分の喉を掻き切った。


 轟々と渓流が鳴る吉野川のほとりで、緋色の朝日が比蘇寺の地に倒れる二つの死体を静かに照らした。


 鎌子は昼過ぎて吉野から戻ってきた葛城王に古人大兄皇子の顛末を聞いた。

「吾は古人を兄と思ったことはほとんどなかった。けれど古人は吾を確かに自分の弟だと思っていた」

 飛鳥の空から降り注ぐ昼の陽は夏の盛りを過ぎていた。

「血のつながった兄弟であっても心が通じないというのは良くあることです」

「なぜ吾はこれまで古人を兄と思わなかったのだろう」

 慰める鎌子の言葉に頷きながらも葛城王はなかなかその思いから離れられないようだった。

 鎌子には葛城王の母である宝皇女がすぐに思い浮かんだ。だがそこに至れない葛城王の思考に深刻な歪みが垣間見え、鎌子は無言を通した。


 これから先、葛城王は自分が王位を継ぐまで孝徳天皇や宝皇女に今回のような役目を担わされるのだろう。政の裏で肉親の都合に振り回される葛城王を支えることができるのは自分しかいないと鎌子は自覚していた。


「葛城王、古人大兄皇子はどこに葬りますか」

 鎌子は葛城王の思考を逸らせるため、指先を葛城王の手の甲に軽く触れながら尋ねた。

 大王への反逆が公になった王族は陵をつくることを許されない。だからといって遺体をそのままにしておくわけにはいかなかった。

 葛城王は一度目を閉じた後、確かさを取り戻した目で鎌子を正面から見た。

「吉野の地に葬る。鎌子、吉野川のほとりに倭媛が一族の殯の間に過ごす邸を作ってやってほしい」

「わかりました」

 いつもの覇気を取り戻した葛城王はそこでようやく思い出して鎌子に尋ねた。

「そういえば大王からなにか知らせはきたか」

「来ませんが、石川麻呂殿から変わったことはないか、と尋ねる使者が来ました」

 葛城王はため息を吐いた。難波には古人大兄皇子のことが既に伝わっているのだろう。吉野には元から古人大兄皇子を見張る大王の間者がいたとしてもおかしくなかった。飛鳥宮にもいるはずだ。

 鎌子は葛城王のそんな様子を見て以前から考えていたことを提案した。

「葛城王、難波に移る時は王宮内部の東宮ではなく、外に邸宅を構えるのがよろしいかと存じます。王宮では何かあった場合、私ですら貴方の側に近づけない恐れがあります」

 葛城王は鎌子の言葉に深く同意した。

「そうだな。王宮内は大王の意志で支配されている。自分の邸宅を持っていた方が安全だ。吾の妃である遠智娘と娘の太田媛にも建屋を与えたい」

「わかりました。そちらも手配いたしましょう」

 

 古人大兄皇子亡き後、飛鳥宮は大王にとって必要が無いものであることは確かだった。


 飛鳥から難波へと王宮の工事が進むにつれて政の中心も動き始め、これまで東国八道が先行して行っていた行政の改革が畿内でも始まった。


 これまで諸国はその土地の有力豪族が国造となって支配していた。だが朝廷への服属の証として納める御調の種類や量は長年の習慣となるうちに国造の裁量に左右されるようになっていた。

 この制度を改めるため、朝廷から官吏が派遣されて国の御調を直接管理する仕組みを整備することになった。この官吏は国司と名付けられたのだが、当然、各地の国造からの反発は強かった。


 東国において混乱が少なかったのは、もともと国の範囲が広く、地域の分割が自然に生じていたためである。まとめて管理を委託できる国司の存在は地域ごとの争いの回避につながり、かえって便利なものだと受け入れられた。したがって東国八道の制度の改革はどこよりも先んじて進行していた。


 一方で他の地域、特に西国では有力な豪族の反発が根強かった。

 反発を和らげるため国の境を新たに定めて国の中に郡という区分をつくり、国造は郡の官吏である郡司として再配置されることになった。それでも遅々として制度の改革は進まず、国司の権限を段階的に増やしていくことで対応するしかなかった。


 朝廷の中心地である畿内においては西国のような段階的な処置なく、国造は直ちに国司の下の郡司として置かれるようになった。

 

 ――凡そ畿内は、東は名墾の横河、南は紀伊の兄山、西は明石の櫛淵、北は近江の狭狭波の合坂山以来をもって畿内国とする


 倭朝廷が直接支配する畿内の範囲は孝徳天皇の詔によって定められた。


 王族による畿内地域の支配領域を明らかにするため、葛城王はこの時期、次々に妃を迎え入れた。


 東は名墾と接する伊賀の采女を、西は播磨国明石の忍海部小龍の娘を、北は近江と接する越国から越道君伊羅都売を、そして南からは吉野の比蘇寺で一族を弔っていた古人大兄皇子の娘、倭媛を妃として迎え入れた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る