第109話 罠
殺人鬼は無言のまま、アルマロスの心臓から刃を引き抜く。
おそらく背後の森、炎の中に潜んでいた、ということにでもなったのだろう。怪異『殺人鬼』は殺人が起きうる場所には時間と場所の制約を無視して出現することができるという特性がある。その特性を活用したのだ。
アルマロスを標的にしたことにも理由はないだろう。手近にいたのがたまたま彼女だったというだけで、運が悪ければオレやリーズが狙われていたかもしれない。
いや、問題はそこじゃない。
なんでまだ殺人鬼が存在している? 異界がまだ消滅していないからか? いや、仮に殺人鬼だとしても、『S子』が魔眼で足止めしてくれているはずだ。ここに来るはずがない。
ああ、いや、そもそもの話、殺人鬼がいるはずがない。外部犯の可能性は谷崎さんが潰してくれた。だから、もう殺人鬼が出現する余地はなかったはずだ。
なのに、これは一体、どういうことだ……? ここで一体、何が起きている?
「きさ……まっ!」
一方、アルマロスも今更心臓を貫かれた程度でどうにかなるような存在じゃない。
刺されながらも再生して殺人鬼を裏拳で吹き飛ばした。
砲弾並みの威力の裏拳を受けても、殺人鬼は平気で立ち上がるが、所詮は人間専門の殺人鬼。使う武器もただのナイフだ。こんなものではアルマロスは殺せない。
「……ミチタカ、何が起きてますの?」
「オレにも分からん。だが、あいつ、一体じゃないぞ」
たった今、展開していた六占式盤が無数の気配を感知した。
そう、無数だ。数が特定できない。同じ気配が折り重なるようにして同時に存在していた。
どれも殺人鬼だ。それらは炎の森からぞろぞろと雲霞の如く姿を現した。
少なく見積もっても10人はいるが、森の奥から感知できる気配からしてもまだまだいるとみるべきだろう。
一体、なにがどうなってるんだ? これもアルマロスの作戦か? いや、だとしたら、殺人鬼が彼女を刺す理由がない。
「……貴様ら。奴の仕込みか?」
実際、アルマロスは殺人鬼たちと敵対している。次々と襲い掛かってくる殺人鬼をうっとおし気に蹴散らしている。
……あの殺人鬼は少なくともこちらの味方でもなければ、アルマロスの味方でもないと見ていいだろう。
「ミチタカ、どうします? 今なら、撤退できるのでは?」
「いや、退いたところで道がない。異界の崩壊が止まっているなら、脱出組も足止めを喰らってるはずだ」
最初の『アルマロスを足止めしてその間に脱出、もしくは援軍を求める』という作戦は根底から崩壊してしまった。
なにせ、異界の崩壊が止まっているうえに、その原因さえも分からないという状況だ。体勢を立て直そうにも、あまりにも情報が――、
「――蘆屋君!」
誰かの声に咄嗟に振り向く。そこには、ナイフを振り上げた殺人鬼の姿。六占式盤でも感知できなかった。突如として出現したのだ。
まずい! まだ『山本五郎左衛門』の召喚式を解いてない! 咄嗟に使える術が今は――、
「ダゴン! お願い!」
刃が振り下ろされる直前、蒼い鱗の生えた拳が殺人鬼を横合いから殴り飛ばしてくれる。
そうして、直ぐに背後にこちらに向かってくる2人の姿が見える。谷崎さんと朽上さん、朽上さんの方は人狼化して容疑者もとい要救助者3人を抱えていた。
「2人とも、良いところに! でも、どうして――」
リーズも駆け寄ってきて、救助班全員が改めて揃う。背筋を覆っていた悪寒が少しだけ和らいだ。
「う、うん、出口に向かったんだけど、異界がいつまでも崩れなくて……それで、とりあえず合流した方がいいって、2人で決めたんだけど……」
「こっちもヤバい状況ね。なんで、殺人鬼がアルマロスを襲ってんの? この異界の罠を仕込んだのって、アルマロスじゃないの……?」
2人の困惑も当然ではある。オレだってまだパニックから抜けきっていない。
でも、助かった。最初の作戦がどうにもならない以上、こうして合流できたのは僥倖。2人の判断に感謝だ。
おかげで、オレの脳みそもだいぶクールダウンしてくれた。混乱と動揺をひとまず呑み込んで、まずはこの部隊の指揮官として思考をめぐらせる。
できることは多くない。だが、その分、やらなきゃいけないことも明白だ。
「朽上さん、救助者を頼む。リーズは結界をはってくれ。谷崎さん、
「う、うん!」
すぐにみんな、オレの指示通りに動いてくれる。どうにかリーズの炎の結界のおかげで当座の安全は確保できた。
さしもの殺人鬼もやはり一体ではダゴンの相手にはならない。暴れる殺人鬼の頭を掴んでこちらに引きずってくる。
「少し、こいつに触れて調べる。抑えててくれ」
「う、うん。お願いね、ダゴン」
術式を待機させたまま、殺人鬼に六占式盤で接触する。四辻商店街で山本と接触した時と同じやり方だ。危険性はあるが、この状況で素早く情報を得るにはこれしかない。
「――っ」
接触した瞬間、怪異『殺人鬼』の持つ様々な情報がオレの脳に流れ込んでくる。
鏡月館と思しき館。夜の森。獲物への執着。憎悪に憤怒……ダメだ、断片的でまともな情報が得られない。
低位の怪異相手にはよくあることだ。特に殺人鬼は異界法則と密接に関係にした怪異だから、人型であっても個体としての意志などない。なので、出てくるのは怪異として成立した時に与えられた設定ぐらいのもので――、
「――これは」
しかし、最後の最後に別の記憶が再生される。
それは鏡月館ではない別の『洋館』の
旧グランベリ伯爵邸。鏡月館と接続されていたもう一つの異界にあった洋館。なぜ鏡月館の怪異である殺人鬼がこの記憶を――、
「蘆屋くん!?」
「……大丈夫だ」
一瞬、深く潜りすぎて意識が飛びかけるが、谷崎さんの声で踏み止まる。
……頭がぐらぐらするが、どうにか情報は引き出せた。というか、なんでこんなことになっているのかも理解できた。
理解できたんだが、くそ、予想の何倍も質が悪い。少なくとも、オレ達だけじゃどうにもならない。
「…………やるしかない、か」
だが、嘆いてる暇はない。時間が経てば経つほど状況は悪くなっていく。動くなら、今すぐだ。
『みんな、これから無茶苦茶なことを言うぞ。オレはこれから――』
全員に念話を繋いで、素早く情報共有を行う。オレも正直言語化するのにはかなり抵抗感があるが、何しろ現状を打破するにはほかに方法がない。
『は?』
『え?』
『ミチタカ? メンタルがいかれたんですの?』
案の定、全員から正気を疑われる。ちなみに順番は、上から朽上さん、谷崎さん、リーズの順だ。
……まあ、仕方がない、仕方がないとはいえ悲しい。でも、理由を聞けばみんな納得してくれるはずだ。
『――今、この異界を維持しているのは接続しているもう一つの異界だ。旧グランベリ邸、オレと朽上さんの調べたあの館が異界因になって異界を維持していると見て間違いない』
通常、一つの異界に別の異界が混同されている場合、大本となった異界の異界因が取り除かれると混同された側もまたともに消滅する、というのが、原作『BABEL』における設定であり、この世界における常識でもある。
だから、オレも鏡月館の謎を解いて異界因を取り除けば、鏡月館ごとグランベリ伯爵邸も消滅、ないしは切り離されるものだと考えていた。
だが、今回においては別の法則が働いている。この異界を造り上げた何者かは鏡月館が崩壊した時点で、伯爵邸側が新たな異界因となって異界を維持するように設定しておいたのだ。
理論上は、不可能じゃない。かかる手間や異界を創造する際にそれだけ複雑な条件付けをする難度を考えたらそれだけで気が遠くなるが、七人の魔人や『語り部』クラスの術師なら可能だ。
証拠は、今もオレたちとアルマロスを襲っている殺人鬼どもだ。
こいつらはただの殺人鬼じゃない。旧グランベリ伯爵邸の地下に渦巻いていた亡霊たち、この殺人鬼どもはそれらと融合、いや、混同されている。
その結果として生じたのが、『無数にうごめく亡霊にして不死身の殺人鬼の群れ』、複合怪異とでも呼ぶべき存在だ。だから、こいつらは殺人鬼でありながら無数に存在し、その上、殺人鬼の特徴としてあらゆる攻撃を受けても事件が解決するまでは倒れない。しかも、すでに謎は解けているのにもかかわらず、異界が維持されているせいでまだ異界法則が半端に働いているから、こいつらは力では絶対に倒せないようになっている。
ゲームのバグのようなものだ。
これもまた異界因の入れ替わりに付随しての現象だ。いや、黒幕どもの目的を考えればむしろ、この『決して倒せない怪異』を作ることがメインの狙いと見ていい。実際、こいつらと戦い続けたら、オレたちもアルマロスもいつかは限界を迎える。
今回の件の黒幕はあらゆる状況を想定して、この罠を仕掛けている。こちらの動きだけではなく、オレたちが謎を解いた場合にまで備えてやがったうえに、どういうつもりか、アルマロスまでもを殺そうとしているとしか思えない。
未来視の類か、あるいは予言か。なんにせよ、オレたちは動きを完全に読まれている。だから、この状況を何とかするには、相手が予想だにしないことをするしかない。今回の場合、それは――、
「――アルマロスを味方につける。此処から脱出するにはそれしかない」
自分でも無茶だと思いながら、そう口にする。
だが、今のアルマロスはオレたちと同じ標的だ。ならば、協力の余地はある。なんとしても、解体局の敵である殉教騎士団、その最大戦力『
――――――――
あとがき
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