第58話 光のオタクVS裸の美少女たち
立ち昇る湯気はアニメや漫画で描かれるほど視界を塞いでくれない。一瞬とはいえ、見えるものは見てしまった。
その一点において、オレの罪は揺るがない。だから、罰を受けるのはやぶさかではない。
問題があるとすれば――、
「あの、なぜわたくしめは
オレの問いが風呂場に響く。周囲には無数の気配があり、オレを見張っているが、答えは返ってこない。
そう、オレは何故かまだ風呂場にいる。見てしまった以上、甘んじて罰は受けるし、この風呂場から即座に退出すべきなのに、オレは何故かこの場に留められている。
しかも、風呂のど真ん中で正座させられている。厳重に目隠しをされた上で、自主的に眼も瞑っているから視界はゼロなのだが、類まれなオタクとしての想像力と異能者としての知覚のせいで回りで何が起きているか概ね察することができてしまう。
ていうか、普通に見えているよりこのシチュエーションはやばいかもしれない。オレの局部を隠しているのは薄いタオル一枚。これだけは頼み込んで巻かせてもらったうえで、どうにか下半身への血流は止めているが、露見するのは時間の問題だ。
「道孝、体の調子はどうですか? 倒れた時は心配しましたよ」
何事もなかったかのように話しかけてくるのは、アオイだ。彼女はオレの右隣にいる。かなり近い。吐息が耳をくすぐって、背筋がぞわぞわした。
おそらく長い髪を後ろにまとめた一糸まとわぬ姿でアオイはそこにいる。想像したらアウトだと分かっていても、脳裏に焼き付いたアオイの裸身は永遠に消えてくれない。
「あ、ああ、なんとかな……全身筋肉痛だけど……」
「そうですか。では、今回は私がマッサージなどしてあげましょう」
「いや、それより、オレそろそろ上がりたいんだが……」
「それはダメです。これは罰なのですから」
水音と共にアオイの気配が近づいてくる。辛うじて触れない距離を保ちながら背後へと回った。
見えない上に動けないことで、まな板の上の鯉ということわざを真の意味で理解する。いつでも捕食されかねないということはそれだけでスリリングかつ刺激的だ。
ちなみに、罰と言われれば確かに罰だ。男の裸を直視できず壁を向いたままの先輩以外の全員がオレのことをじろじろ観察している。正直、かなり恥ずかしい。
「……でもな、説明した通り、先に入ってたのオレなんだ。そこに何の気なしに入ってきたのは、君ら方だ。その点、情状酌量の余地が大いにあると思うんだが……」
「ええ。理屈としては、そうです。ですが、乙女の柔肌を見た罪は重い。ましてや、私だけではなく他の
「…………それはわかってる。でも、あれだ、これがどうして罰になるのかそれがいまいちわからないんだが」
「簡単な話です。私たちが受けたのと同じ辱めを受けてもらう、そういう結論に達したのです。私としては夫の裸体を衆目に晒すのは心苦しいところもありますが、こうでもしないと貴方の方も決心がつかないかと思いまして」
「っ!?」
つつーっとアオイの指がオレの背骨をなぞる。見えない分触覚に意識が集中してしまう。ただ触れられただけなのにその部分が奇妙な熱を持っていた。
「貴方の背中、やはり大きい。ふふ、あの日のことを思い出しますね。そうだ、せっかくですし、このままこうしてしまいましょう」
そのままアオイはオレの背中にしだれかかる。何の覆いもない柔らかな感触が肩甲骨の辺りに押し付けられて、形が変わったのが分かった。
あかん。理性が吹き飛ぶ。この状況でもう自分が抑えられなくなりそうだ。
「お待ちなさい! アオイ、抜け駆けは許しませんわ!」
オレが暴走する直前、リーズの声が聞こえたかと思うと、側頭部がまたまた柔らかな感触に包まれる。
……ああ、リーズがオレを横から引っ張って自分の胸に抱え込んでいるらしい。助けてくれるのはいいんだが、何の助けにもなってない。相変わらずオレの理性は爆発寸前だ。
早急に離れなきゃと思うが、筋肉痛でまともに体が動かないし、リーズの力が意外に強くて離れられない。まずいな、これは……、
「……リーズリット・ウィンカース。前々から思っていましたが、貴方、私の夫に横恋慕でもしているのですか? 返答によっては――」
「――ええ、わたくしは蘆屋道孝殿に懸想しています。心の底からお慕いしていますわ」
リーズらしいこの上なく堂々とした、正面切っての
風呂の熱気や興奮とは違う熱に頬が熱くなる。いや、もうすでにあの浜辺で聞いていたことではあるんだが、改めてこう宣言されるとなんだ、その、照れる。
「……そうですか。せっかく轡を並べたというのに残念です」
しかし、そんな余裕はすぐに吹き飛ぶ。アオイの強烈な殺気に、風呂に入っているというのに全身に寒気が走った。
「お、お待ちなさい、アオイ! わたくしは貴方と殺し合いがしたいわけではないのです!」
「私のものを奪うと宣言しておいてそんな言い分が通るとでも? だいたい、死にたくないのなら我が夫をそちらが諦めるだけで済む話……それができないなら、戦うしかないでしょう」
「ぐっ……! 野蛮すぎます! 貴女本当に現代人ですか!?」
リーズの制止はアオイには通じない。完全にヤンデレスイッチが入っているし、アオイは素手でも十分すぎるほどに危険だ。
……ここはオレがどうにかするしかない。しかし、何も見えないのでは仕方ない。まずはリーズに放してもらって、それからこの目隠しを――、
「待ちなや、山縣はん」
しかし、オレが行動に移るより先にアオイに立ちはだかった勇者がいた。盈瑠だ。
でも、無謀だ。アオイに掛かれば一秒と掛からずに排除できてしまう。
「そこを退きなさい、蘆屋盈瑠。いかに夫の縁者でも今の私は加減などできませんよ」
「ふん、そんなふうに脅されても怖かないわ。だいたい、止めてやってるんはあの金髪の姉ちゃんやましてやタラシの兄貴のためなんかやない。あんたのためや」
意外にも盈瑠はアオイを相手に一歩も引かない。あの映画館のおかげか、それとも修羅場をくぐったせいか、だいぶ度胸が着いたようだった。
「……詭弁ですね」
「本当にそう思うんなら、このまま殴り合いなりなんなりどうぞ。でも、それで夫に嫌われたなんて嘆くことになってもうちを責めんどいてくださいね。だいたい、こうしてうちの話を聞いている時点で思い当たる節、あるんちゃう?」
「…………むぅ」
あ、あのアオイが考え込んでいる。凍るような殺気も少し抑えられて、今度は頬に当たる感触の方に意識が言ってしまう。
なんだか盈瑠がうまいことこの場を収めてくれそうな雰囲気だし、とりあえずこれ以上アオイを刺激しないようにするのが先決だ。
「リ、リーズ、まずはオレを放してほしいんだが……ほら、この状態だとあれだろ?」
「そ、そうですわね。あ、お気を付けて」
湯船に降ろされる。何も見えないが、みんな少し安堵しているのが分かる。凜と先輩はいざという時は間に入れるように構えていたようだ。
「……ですが、堂々と横恋慕を宣言されて引き下がったのでは、私の妻としての面目が立ちません」
「まあまあ、山縣はんはそもそも家の定めた許嫁。多少のライバルなんてわざわざ力で排除せずともどうにでもなるんちゃう? それでも、不安なら……そうやな……あとで、兄様を監禁でもします? 蘆屋の本家は別に構いませんよ?」
「…………それはいいアイデアかもしれませんね。自由過ぎるのも考え物ですし、一年ほど閉じ込めるのも……」
「オレの意志は!? そもそもオレ、探索者の仕事あるんだが!?」
「場所は本家の方で手配しましょか? ちょうど、夏に使ってた別荘が空いてますよ? 景色もいいし、近くには子宝の湯もあるし……」
「貴方、気が利きますね……」
咄嗟に抗議するが、アオイと盈瑠には届かない。こいつら2人ともオレの人権と尊厳とか眼中にないらしい。
でも、仕方なくはあるのか……? そもそも、こんなに人間関係がこじれているのはオレのせいなわけだし……いや待て、弱気になるな! オレにはこの学園でやるべきことがあるし、盈瑠経由でも本家に命を握られるのはダメだ!
だが、ほかに打開策は思いつかない。オレには分身を造るような高等技術はまだ使えないし――、
「ねえ! 僕から提案があるんだけど!」
凜の声が風呂場に響く。全員の視線、と言ってもオレは見えてないが、を向けられてたじろぎながらも凜はこう続けた。
「どうせだからみんなで、こう、約束事を決めるのはどうかな! 誰も死んだり、蘆屋君をバラバラにして皆でそれぞれ分けるなんてことしなくていいようにさ!」
……え? オレ、バラバラにされる予定あったの? そんな話誰もしてないはずだが……凜のやつ、何からその発想にたどり着いたんだ? てか、怖すぎるんだが。
「約束事……? それはどのようなものを想定してますの?」
皆を代表してリーズがそう尋ねる。オレがバラバラにされるというのもそうだが、約束というのもいまいちわからない。
「えと、抜け駆けはしない、とか、何曜日は誰が蘆屋君と一緒に過ごすとか、そういう約束だよ! 破ったら、ほら、前に、僕があのつけられた看板みたいなのを付けるみたいな罰も考えてさ……」
後半にいくにつれてどんどんテンションが下がっていく凜。どうやらつらかったあのビーチでの正座を思い出しているらしい。
しかし、凜の言っている約束だが、何か名前があったはずだ。なんだったか、確か……、
「それって淑女協定のことじゃん! リンリン賢い!」
壁の方を向いたまま、先輩が言った。あー、そうだった、淑女協定だ。原作でもあったワードだが、登場したのが本編じゃなくておふざけ満載のファンディスクの方だったから思い出すのに時間がかかってしまった。
淑女協定とはズバリ、ファンディスク収録シナリオのサブタイトルであり、そこで登場する探索者界隈での隠語のようなものだ。
意味は、男女比に大きな偏りのある探索者界隈において複数人の女性が一人の男性を共有する際に結ぶ約束全般。今回の場合は、オレの共有に関する約束事を指す。
……ちなみに淑女協定が結ばれる場合、対象となる男性の意志が反映されたことは一度としてない。この世界において、男性は敬われているように見えて人権は存在していないのである。
「……わたくしは構いませんが」
まず、リーズが賛同する。彼女としては不利になる要素はないから、納得ではある。
「言い出しっぺだし、僕も入る!」
次は凜。まあこいつことだから一緒に遊べてラッキーくらいの認識の可能性は大いにある。
「あ、あーしも! 入りたい! です……」
そうして、先輩。相変わらず壁を向いたままだし、最後の方で少し恥ずかしくなってるが、ここまでは納得だ。
「彩芽ちゃんと盈瑠ちゃんはどうする?」
いや、妹たちには聞くなよ、凜。こいつらはオレの家族だぞ、そんなのはいるわけないだろ。
「おもしろそうやし、入ろうかな」
「わたしは……皆様が了承してくださるなら、ぜひ」
入るんかい。しかし、彩芽は作戦通りって顔しているだろうし、盈瑠の方はオレの窮状を面白がってるだろ。見えないけど見えるぞ、お前らのにやにやした顔。
だが、問題はアオイだ。彼女が納得しないとこの淑女協定は始まらない。
「私の方が優位に立ってるのに協定など結ぶはずがないでしょう。貴方達が諦めないのなら、最終的には力で……」
全然ヤンデレっぷりを隠す気がないアオイ。さすがだ。
「そ、それだと、蘆屋君が悲しむんじゃないかな? ね、蘆屋君?」
凜の言葉に、オレはうんうんと頷く。
「……はぁ……まったく」
オレの様子を見てからアオイはため息をついて、仕方なく同意した。悲しませるのはすごく心苦しいが、これもアオイのためだ。
アオイはヤンデレだが、見境がないわけじゃない。彩芽を妹として大事にしているように、この『甲』のメンバーのことも大事に思っている。その証拠にいきなり攻撃するのではなく、最初に警告していた。
他の人間にしてみれば譲歩のうちに入らないが、アオイにとっては最大限の譲歩だ。そこら辺汲んであげたい。なので、多少はアオイに有利な条件でも――、
「では、私からの条件です。私の許可なく道孝に話しかけるのは禁止」
いきなり破格すぎる。交渉がへたくそか。
「話になりませんわ」
当然、リーズに拒否される。
「なぜですか、妻の決定ですよ」
「意味が分かりませんわ……」
会話が成立していない。このままでは宇宙猫のような平行線かと思われたが……、
「直接の誘惑は二人きりの時だけにするとか! これなら、変な間違いも起きないでしょ!」
凜が手を上げる。ナイスなアイデアかもしれない。つまり、二人きりの時以外は変に迫られずに済むということでオレの胃も少しは休まるかもしれない。
……いや、待てよ。このルールだと二人きりになった瞬間にヤバくないか? 変な間違いが起きないどころか、変な間違いしか起きなくないか?
「たまには良いことをいうのですね、リン。貴方の案を軸に考えるとしましょう」
「……まあ、節度の問題と考えれば頷けますね」
「いや、オレは反対なんだが……あ、聞いてないですよね、はい」
リーズとアオイが了承したので、無事可決。当然、オレの意見は無視された。
「あとは、罰則どうするかだね……えと、デコピンとかにする? それともしっぺ?」
先輩が控えめに、可愛らしい提案をする。頼む、みんな先輩の案を呑んでくれ。絶対にルールを守りそうにないやつが何人もいるしあんまり厳しくすると血みどろだぞ。
「切腹にしましょう。決まりを破ったら切腹。わかりやすくよいかと」
そんなオレの期待を打ち砕くアオイの一言。これで冗談ではなく本気の一言なのが、アオイのアオイたるゆえんだ。そんなところもオレは好きだけどな!
「日本ではまだその文化残ってましたのね……知りませんでした……」
そうして、本気にしているリーズ。こっちもこっちで真面目すぎるが、すぐに先輩が勘違いを正してくれる。
「少なくともあーしの知る限りは廃れてると思うよ。罰則は……うん、ルールを破った人は1日休みっていうのはどう? 自分の当番がなしになって、1日アシヤン抜き」
今度は聡明な先輩らしい建設的な意見だ。リンもリーズも、ついでに彩芽も頷いているようだし、あとはアオイがOKを出せば決まりだ。
……完全に勝手のオレの人権が制限されているがそこは気にしたら負けだ。もともと最近、毎日この中の誰かと過ごしている気がするし……、
「……まあ、いいでしょう。私も切腹は痛くて嫌ですし」
「なら、なんで提案したの……」
先輩のツッコミもアオイには届かないが、とりあえずこれで基本的なことは決まりか。あとの細かい曜日の割り振りはオレのいないところで勝手に決まりそうだし。
……大分のぼせてきたな。そろそろ真面目に一度上がらせてもらえないだろうか。
「それとアオイ、これだけは言わせてほしいことがあるのです」
しかし、話がまとまりかけたところでリーズが言った。何を言い出すのかと一瞬身構えたが、声のトーンからして本当にまじめな時の表情をしているの察して、リーズを信じることにした。オタクの心眼は凄いのだ。
「わたくしは確かにミチタカを慕っています。ですが、貴方も、いえ、貴方だけでなくこの『甲』全員を
リーズらしい、清々しい正面からの言葉だった。リーズ以外が口にすれば詭弁のように聞こえるほどの正直さだが、彼女の声と姿勢が彼女の真心を証明しているかのようだった。
……やばい。オレ今関係ないのに泣きそう。
原作の時からそうだったが、リーズの高飛車なところは高潔さの裏返しなのだ。だから、こうしたことも正面から言える。解釈一致だ、リーズをひそかに推してきた隠れファンたちにこの光景を見せてあげたい。
「…………私も、貴方達のことは友人と思っています。その、背中を預けるに値する相手だと。私は愛想がないので、伝わってないかもしれませんが……」
対するアオイもその高潔さに応える。見えないが見える。素直に感情を口にすることに恥じらいながらも、正面からリーズを見つめ返すアオイの照れ顔が!
最高だ……最高すぎる。この目で直接見ることは許されないが、それでも、伝わる。オレの滂沱の涙がタオルをさらに重くするが、構うものか。
今アオイは原作最終版にも匹敵する成長と羽化を果たしたのだ。鬼の呪いによって他者を寄せ付けないようにしてきたアオイが初めて友情というものを享受できた……! 原作にも描かれなかった一つの結実……! この瞬間に立ちえたことをオレはすべてに感謝したい……!
「もう……2人とも! かわいすぎるし! あーし抱き着いちゃうもん!」
先輩が二人に抱き着く。悲鳴と共に水しぶきが上がる。続いて、三人の楽しそうな声が風呂場にこだました。
なんて、なんて素晴らしいイベントなんだ。もしオレに何のしがらみもなければこの場で昇天していたかもしれない。
「ぼ、僕も混ぜてよ! ほら、二人も行こう!」
「え、うちは別にって――ちからつよ! 彩芽、助けて!」
「む、無理です! 凜様、少し待って――」
そうして、原作主人公の凜に連れられて彩芽と盈瑠、我が妹たちもそこに加わる。
全員の笑顔がオレの脳裏に浮かぶ。もはや、見える必要もない。天国はここにあるのだ、オレはそれをこのまま湯船に漂うゴム製のアヒルのように見守っていたい。
…………なんか大事なこと、特に、オレの人権と原作蘇生計画について忘れている気がするが、今はそんなことよりここにある幸福をかみしめていたかった。
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