第51話 魔人の戦い
「生徒の危機に参上した。問おう、ぼくを呼んだのは君かな?」
颯爽と現れ、オレたちがあれだけ苦戦したロボット共を一瞬で倒した先生は楽しげにそんなことを言い放った。
どこかで聞いたセリフだが、気の利いた返しも思い付かず、オレはただ首を縦に振ることしかできなかった。
「うんうん、素直でよろしい。でも、話はあとだね。まずはぼくの生徒を酷い目に合わせようとしたやつにお仕置きだ」
先生の背後には未だ展開した無数の転移門。そこからは先ほどのロボットがさらに数体こちら側へと現れていた。
どうやら教授は先生と一戦交える気らしい。本気なのか? 本当にここで7人の魔人同士の戦いが起こるのか?
魔人同士の戦いは原作BABELにおいては断片的に触れられるだけで、直接的に描写されたことはない。
なにせ、設定上はクリア後の主人公たちでようやく魔人の領域に指を掛ける程度だ。一度や二度世界を救った程度ではその世界そのものを創造できる魔人たちからすれば子供の遊びにも等しい。
それに加えて、魔人たちの戦いが本編で描写されなかった理由がもう一つある。こちらは作劇上の制限ではなく設定上の制限だ。
七人の魔人たちは今の現実を形成する大きな概念をそれぞれ司っている。そんな魔人たちが本気で争えば、この世界を根底から揺るがしてしまう。戦いの余波だけで今ある現実が崩壊してしまう危険性さえあるのだ。
だから、魔人同士が直接戦うことは滅多にない。お互いの領分を守る代わりに、それ以外に無関心でいることで魔人たちはこの世界を保ってきたのだ。
だが、今オレの目の前で魔人同士の戦いが行われようとしている。
人知の及ばない超常の戦いだ。この異界と神秘の蔓延るBABEL世界においてもこんなことがおきるのは数百年に一度だろう。
しかも、死神と教授なんて原作でもなかった対戦カードだ。恐怖とワクワクがない交ぜになって、今すぐ逃げだした方が絶対にいいのにオレは目の前の光景から目を離せなかった。
「――『手招き』」
死神が鎌をかざす。それだけの動作でオレなどにはおよびもつかないほどの強大な魔力が迸った。
さらに増援として送られたロボットたち、その脚元に黒い穴が現れたかと思うと、そこから無数の白い手が現れた。
死者の手だ。手はロボットたちを掴むと、穴の中に引きずり込む。穴の先にあるのは死神がかつて踏破した冥界の一つだ。
冥界にあるのものは全て死者。たとえそれが
そして死者であるならば、死神に抗う術はない、
「――凄まじいですね……」
隣に立つアオイが戦慄している。探索者としては極めて優秀で超人の域にあるアオイからしても死神の攻撃は超常のものだ。
他の面子にとってはなおさらそうで、盈瑠に至っては濃厚な死の気配と戦いの余波で失神寸前だ。
まあ、気持ちはわかる。オタクとしてのオレは興奮しているが、術師としてのオレは関心や驚きを通り越して、慄いている。
なにせ、これだけの力を行使するのに死神は簡単な術さえ使っていない。今の一撃はオレ達でいえば基本の魔力生成と同じもの、ようは息をするように自然にできることなのだ。
そんな先生が本気を出せばどうなるか、世界が壊れるというのも決して大袈裟でないとわかる。
『――やはり、この程度の戦力では既知の結果しか引き出せないか』
しかし、相手もまた魔人の一角。脳内に響く『教授』の念話からは感情が一切感じられない。もっとも、仮に消滅の間際だとしてもあの教授が動揺するところなど想像できないが。
『実験に観測者が干渉するのは望ましくないが……これもまた未知か。ならば、出向かぬわけにはいくまい』
「全員、ぼくが良いと言うまで今いる位置から動かないように。それと、気をしっかりね」
いたずらっぽく微笑む先生。強固な防護結界がオレたちの周囲に展開された。
死神の眼前では新たに現れた扉から強大な存在がこの異界に現れようとしている。
『教授』だ。白衣ではなく黒いコートを着て、背後には不定形で、蠢く『何か』を連れている。
……妙だ。おそらく強力な認識阻害を行っているのだろうが、あまり魔力を感じない。いや、むしろ、魔力がない。『何か』のある周辺だけがこの高密度の魔力で満たされた空間において空白地となっている。まるで、あの何かが周囲の魔力をすべて消し去ってしまったようで……、
「そこまで」
その正体を探ろうと目を凝らしたところで、死神の鎌がオレの視界を遮った。
「あれはよくないものだ。直視しない方がいい。まだ正気でいたいだろ?」
「え、ええ」
そう言って、死神が一歩前に出る。右手で鎌を一回転させると、その軌跡に沿って氷の結晶が舞った。
「ぼくの生徒に手を出すなんて、いい度胸じゃないか。それとも、魔人の癖に消滅願望でも抱いたのかな? それなら、そうと言ってくれればいいのに。とびっきり、痛くて苦しい死に方をさせてあげるからさ」
「その死に方とやらが小生にとって未知のものであれば歓迎するが……君には正直、興味がわかないのだ。死など研究されすぎていてね、かび臭いとも言うが」
「ロマンチスト気取りが言うじゃないか。夢を見るなら死んでからでもできるから、おすすめだよ」
互いに軽口を叩いているが、ぶつかり合う両者の魔力はそれだけでこの異界を揺るがすほどだ。
怪異の位階としての最上位である『神域』さえこえた、前人未到の『不可知域』に属する絶対の力をこの二体の魔人は宿している。
「だいたい、お前さ。こんなところでなにしてんの? 引きこもりは引きこもりらしく図書館にでもいればいいのにね」
「無意味な問いだな。小生は小生の存在意義をはたしているまで。すなわち、未知の探究、解明だ。東洋の、特に日本の怪異は海外に出ることが少ない。ゆえに標本の回収、実験を行った。それともう一つ、ああ、そちらはうまくいっているようだ」
教授の目的はオレにも最初から読めていた。原作でもただ自らの未知を満たすために教授は行動していた。
そのためフットワークは軽く、知識欲のためならどんな異界にも現れる。だから、原作でも唯一、主人公たちが『死神』以外で直接遭遇する魔人が教授だった。
だが、やはり、時期がずれすぎている。オレが原作をブレイクしてしまったからなのか、あるいはもっと別のところに原因があるのか……分かるものがいるとすれば同じ魔人である先生くらいのものだろう。
「嘘だね。お前もぼくと同じ予感がしたんだろ? だから、わざわざこんなバカなことをしてるのさ。やだやだ、おっさんのかまってちゃんなんて誰得なんだか」
「我々にとって外見などは操作可能な変数の一つにしか過ぎないはずだが……だが、予感については否定はしない。もっとも、可能性の話に過ぎないと小生は考えているが」
魔人たちの語る予感。それは原作においては描写されていない、もしくは存在しない設定だ。
だから、その予感の意味や何に行きつくのかはオレにも分からない。
ただ、この世界の根幹を担う魔人たちが共通して抱く予感なんて絶対にロクなもんじゃない。オタクとしては死ぬほど興味がひかれるが、人間でいたいなら関わるべきじゃない。
……そうは思うんだが、気になる! うまい事先生から聞き出せないだろうか……?
「……やはり、既知の会話だ。我々のような存在には独創性は生まれないらしい。悲しいことだ」
「一緒にすんなよ、引きこもり!」
会話の決裂と同時に、先生が初めて鎌を振るう。
死神の鎌が刈り取るのは命そのもの。直線上に存在するすべての存在が生命活動を停止する。
『教授』やその背後に控える何かもその例外ではない。彼等の体が死に、骨となって朽ちるのをオレは確かに見た。
だが、次の瞬間、教授と何かはなにごともなかったかのようにその場に立っていた。
人間に過ぎないオレでは原作知識込みでも何が起きたのかまるで理解できない。
ただ、あの瞬間、教授も何かも確実に死んでいた。教授はそれを死んだ後にも関わらず『なかったこと』にした、そんな風にオレには見えた。
「……自分の死を観測しないようにしてるわけか。小賢しいね、『教授』。臭いものにはふたってわけ?」
「観測できないものは存在しないものとして定義する、そのようにこの宇宙を捉える理論がある。それの応用だ。小生が小生自身の死を観測しない限り、小生の宇宙に小生の死は存在しない。しかし、恐れ入る。いくら増産できるとはいえ今の一撃で観測用の個体の三分の一が死ぬとは。費用対効果は最悪だな」
「じゃあ、すぐに破産させてあげるよ」
先生が鎌を低く構える。結界で守られているはずのこちらまで寒気がするような冷たい魔力が周囲を満たした。
「仕掛けてくるのであれば、仕方があるまい。反撃をするとしよう」
対する教授はゆっくりと右手を上げる。掌の上の空間が歪み、次の瞬間、黒い立方体が教授の手に握られていた。
長方形の立方体の周囲では光がねじ曲がり、輪の形を成している。その様はまるで宇宙に存在するブラックホールを極小に縮めたかのようだった。
「『
教授の指がそのブラックホールを砕く。次の瞬間、目の前の空間、防護結界の向こう側にある先生の姿が消失した。
いや、違う。正確には先生はまだ存在している。ただ人間の眼では観測できないというだけ。
先ほど先生の攻撃を防いだ理論を攻撃に転用したのだろう。先生はあの立方体の力で観測不能な存在になり、この世界から消失したのだ。
……理屈としては理解できる。理解できるが、異能者であるオレたちにとってもあまりにも次元の違う現象だ。同じ現象を何らかの術を用いて再現しようとしたとして、例えオレの一生を費やしてもその一端に届くかどうか、だ。
そんな現象でさえ七人の魔人にしてみれば攻撃の一手段に過ぎない。
だから、先生はこの程度では倒せない。その証拠にオレたちを守る防護結界はまだ機能している。
「……既知の結果だな。この程度で死を消し去れるなら、生命はより高次な存在に進化している」
教授の言葉と共に、歪んでいた空間が裂けて、砕ける。夕闇色の欠片が降り注ぐその中心に、先生は立っていた。
「やあ、1秒ぶり。無に還ったのは久しぶりだったから、思ったよりゆっくりしちゃったよ。おかげでいいリフレッシュになった」
先生は教授を揶揄うように微笑んでみせる。先ほどまで自分の存在が消失していたことなどまるで意に介していなかった。
……どっちも化け物だ。だが、すごい。これが原作でも描かれなかった魔人同士の戦いのレベル。一瞬一瞬から目が離せない。
「さ、続きをやろうか。さっきのお礼に冥界巡りをプレゼントするよ。帰路は保証できないけどね」
「……記録か。なるほど、今の君が観測不能になったとしても、君という存在はどこかに記録されている。その縁を元に無から帰還したというわけか。ならば、君を消し去るにはあらゆる知性体から死という概念を取り払う必要があるな。確かにそれは、小生にも骨が折れる」
言葉とは裏腹に教授もまた笑っている。死の概念の存在しない世界、おそらく教授の裡ではそのための考察が始まっているのだろう。
「だが、死神よ、小生に構いきりでいいのかね? 君の生徒達はまだ危機から脱してはいないぞ」
「は! ぼくがお前が何かをするのを――あん?」
先生が不意に、あらぬ方向に視線を向ける。あれは……商店街の方角だ。
その様子に嫌なものを感じて、オレもすぐに陣を展開する。すると、その瞬間、商店街のある北東の方角に特大の脅威を感知した。
一体、何が起きている……?
「小生がこの異界で行っていたのは標本の回収と実験、そしてもう一つ。この異界の機能そのものの検証だ。長く時間が掛かったが、小生がこの異界に入ったことでようやく実験の結果が得られそうだ」
教授がほほ笑んでいる。すべてがうまくいっている、なにもかもが愉快で仕方がない、そう言わんばかりだった。
「これは幸運だ。君には感謝するべきかな、死神。君と君の生徒がいなければ、小生は研究室から出る気はなかった。だが、出たおかげで、あれを観測できる。なにせ歴史上の目撃例は一つだけだ、どんな生態をもつのか興味が尽きない」
死神が隙を見せているのにもかかわらず、教授は一人語りをやめない。完全に己が興味に陶酔していた。
「君の生徒を害するのは小生でも、小生の実験体でもない。《この異界だ》。君ならば理解できるだろう?」
「『報復機構』……! お前、なんてはた迷惑な……!」
「まだ
先生が焦っている。原作でもこんな風に死神が追い詰めらている姿は一度として見たことがない。
だが、もし、先生の口にした『報復機構』という言葉の意味が設定資料集でみたあの設定と同じものならば、七人の魔人にも匹敵する脅威だ。
「ぼくの弟子!」
「は、はい!」
先生に呼ばれて、思わず返事をしてしまう。もう完全に弟子だと認めてしまった形だが、そんなことを言っていられる状況じゃない。
「報復機構の相手は任せる! あれはまだ影だ、君なら倒せる! 急げ!」
「でも、先生は――」
「ぼくはこいつを殺す。今の君は隊長なんだ、任せたよ」
「――っわかりました! みんな、いくぞ!」
七人の魔人の一人に、あの死神に、原作最強のあの誘命に任せると言われた。
それに応えられなきゃ『BABEL』のファン失格だ。そんな思いで足を動かす。
魔人同士の戦いをもっと見ていたいという思いもあるが、今この時だけは隊長としての責任を果たすのだ。
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