26.女神ならぬ竜王の奇跡

 息子を回収したモーリスは必死だった。すぐに愛馬を呼んで飛び乗り、全力で走らせる。息子を落とさないよう、しっかり己の腹に縛りつけた。


 揺れる馬上で、我が子の頭を左腕で抱えて支える。これだけ揺れる状況で目覚めないシエルに不安を募らせながら、モーリスは馬の足を止めなかった。かなり離れたところで、後ろから轟音が聞こえる。地面を振動して伝わる音に、馬が怯えた。


 馬を宥め、なんとか前に進ませる。まだ後ろで音はしているが、遠ざかることに力を得た愛馬は一定の速度で走り続けた。シエルを支えるモーリスの左腕が痺れてきた頃、ようやく森を抜ける。


 振り返った先に、同行した兵士の姿はなかった。彼らはドラゴンを攻撃した。逃げる途中ですれ違った彼らは興奮しており、手柄を立てると口々に叫ぶ。息子を救出する。ドラゴンと戦わずに済んでほっとしたモーリスとは、最初から目的が違っていた。


 申し訳ないが、付き合えない。そもそも息子が拐われていなければ、モーリスは森に入る気はなかったのだ。黒いドラゴンが降り立った丘を抜ければ、住んでいる王都が見える。


 黒竜の進んだ道が、真っ直ぐに崩壊していた。壁も家も関係ない。ほぼ直線で屋敷まで新しい道が通った状態だ。ここまでドラゴンが我が家に執着した理由は何だろう。


 首を傾げるが、ひとまず息子を休ませることが先決だ。真っ直ぐに屋敷へ向かう道を辿り始めた。大きな瓦礫を避けながら、屋敷の塀が壊れていないことに驚く。上に舞い上がり、いきなり屋根を壊したのだ。


 改めて外から眺め、何とも複雑な気持ちになった。祖父の建てた屋敷を受け継ぎ、当然のように子孫へ受け継ぐつもりでいた。まさかドラゴンに屋根を壊されるとは……愛馬を馬小屋に放し、シエルを抱え直す。


 屋敷の玄関を叩く、と同時に勢いよく開いた。飛び出してきたのは、執事だ。礼儀作法にうるさい彼らしくない取り乱しぶりで、食堂へ促された。言われるまま食堂に足を踏み入れる。


「あなたっ!」


「レイラ?」


 驚きすぎて、名を呼ぶことしかできなかった。落下した馬車に足を挟み、強く腰を打ったことで歩けなかった彼女が……椅子に掴まって立つ。ずっと寝ていたため筋力が落ちているようが、自分一人で立っていた。


 頬を涙が伝う。


「レイラ、ああ……女神様に感謝を」


 涙に濡れた頬を、小さな手が触れた。眠っていたはずの息子シエルが目を開き、不思議そうな顔をしている。


「シエル?!」


「パパ、どうしたの?」


 馬車の事故以来、大人びて「お父様」と呼んでいたシエルが、昔のように「パパ」と呼んだ。家は壊れたが、それ以外のすべてが元に戻った。奇跡に感謝する父親に、シエルは笑顔で爆弾発言をした。


「違うよ、女神様じゃなくて竜王様のおかげ」


 モーリスが何度嗜めても、シエルは意見を変えなかった。自分達を助けてくれたのは、竜王様だ。だから女神様に感謝するのは違う、と。譲らない息子に苦笑いし、モーリスはその話を外でしないよう教えた。


 案外、息子は世界の真理を見てきたのかもしれない。モーリスはそう考え、シエルの話を否定せず頷く。元から妻子の事故がなければ、女神様へ寄進をすることもなかった。信心深いわけでもないモーリスにとって、我が子の言葉以上に優先するものはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る