プラントニック

幸泉愚香

プラントニック


 この世にはいろいろなことが溢れかえっています。この中から大事なことを選んでいくわけですが、アナタに訊きます、どうしてそれが大事だと分かったんでしょうか? 僕にはすべてのものが大事に思えるし、翻ってすべてどうでもよく思える。


 子どもの頃に大事にしていたおもちゃは今では存在すら忘れているように、今選んだ大事なものも暫定にしか過ぎなくて、その時点では大事なものにしか過ぎなくて、そんないいとこ取りばっかしている訳です。


 枯れるのが嫌だから花を買わない僕は、他人が捨てた枯れた花を拾って再生を試みたいと思います。そうすれば綺麗だった頃を知らないわけですから、今の姿こそ僕の知っている唯一の君なのです。もし本当に再生できたりしたら怖くなってその辺の花壇に植えてきます。どっちにしろ変化が苦手なのかも知れません。それが相手が変わったのか自分が変わったのかの区別は付きませんが。


 そうやって先月見事に再生してしまった花の様子を見にいこうと、先月ぶりに外に出ました。交通量の少ない家周辺から、多いところに移るだけで空気が何倍も重くなる気がします。まるで老人を数人背負っているような感じ。このまま歩き続けるときっと生活に困窮してしまうと叫びそうになったところで、件の花壇に着きました。


 僕を横倒しにしたときの長手、僕がダンプかなんかで轢かれた場合の横幅、を所有する大地主、花壇殿なのですが、僕が生き返らせた花はどこにもありませんでした。顔を忘れた訳ではなく、花が一本も刺さっていないのです。


 誰かに持ち去られたのでしょうか。花弁一つ落ちてないではありませんか。意思を持って立ち上がったケースも考えなくてはなりません。その場合僕は復讐に遭うワケです。彼或いは彼女にしたように殺され再生を試み、そうして成否関わらずまったく知らない土地に捨てられるワケです。


 人にされてイヤなことはするものではないです。よくいる先生や親は正しかったし、こうして言った僕も正しい大人の一員です。


 正しい大人の自覚を得たところで家に戻ると絨毯に花が一輪刺さっていました。けったいな空き巣もいたものだな、と取られたものがないか家中を回りました。


「おい」と声が聞こえます。

「わたしが誰だかわかるか」と続きます。


 知らぬ存ぜぬと僕は首を振ります。こうすれば大抵、大きな溜め息を吐きつつも教えてくれます。文句も言われますが僕には聞こえません。どんな言葉も僕の心にある楽器を響かせることが出来ないのです。所詮その程度ですか君たちは。もっと真剣に叫ぶべきです。一見激怒しているように身体中の水分を差し出すように泣きわめくべきだ。どうも君たちは薄っぺらい。一体何を包むためにそんなに平らなのですか。具があってこそではないの? 僕なんかに構っている暇があるのなら中身を探し給え。と声の主にも聞かせたところ。


「おまえがその筆頭ではないのか」その声は花から聞こえて来ました。


 うるさいうるさい僕に生かされた分際で弁えずに説教するんじゃない。そう激怒し花を根っこごと抜きました。抜いたと思ったのですが、ずるずる根っこに繋がった人型が出てきたのです。それは昔30秒くらいの間恋をした女の子にそっくりでした。わお。でも僕の記憶はそこまでの容量はないので気のせいかも知れません。とにかく少し好みであることは違いありません。急に緊張してきました。次に言う言葉をカードゲームの手札のように揃えて吟味しています。引いたカードが悪いのかまともな言葉はありません。どうもコンボの起点となるカードはなく、トドメを刺すような締めの言葉ばかりが並びます。これは相手の出方を窺うしかありません。なのでしばらく無言でいると。


「どうして黙る? いつも話しかけてくれていたではないか……」と赤裸々です。


 彼女があの花だと仮定すれば、もの言わぬ花にずっと語りかけていた可笑しな男性が生まれるワケです。まあ僕なのですが。


「ああ、今まで黙っていたことへの意趣返しか? それはすまなかった。ただ喋られるとは思わなかったのだ。柱頭ではいろいろ考えていたのだが、どうせ伝わらないだろうと高をくくっていてな。どうして試みなかったのだろう。今振り返ると可笑しなことばかりだ。捨てられてから初めて足掻いたもので……ああ、そうかわたしは捨てられたのだったな……」


 胡座を掻いていた彼女は肩をガクッと落としました。心なしか花の部分も萎れているように思えます。


「なあ、おまえ……」


 呼吸する音と共に言葉がか細く聞こえました。


「どうしてわたしを生き返らせたのだ」


 本音を言えば、生きているものが怖くて、死んでしまうのが怖くて、それでも誰かに側に居て欲しくて、中途半端なものを求めた結果がこれなのです。


「だったら捨てる必要なんてなかったろ? わたしはおまえにとって都合の良い存在ではないか? それ以外になにか重大な欠陥があったのか? 教えて欲しい。前向きに検討したいのだ。自分なりにいろいろ考えて、おまえが言っていた好きだった子にも真似てみた。だがおまえはわたしを求めない。愛さない。生き返った甲斐がない。本当はわたしが嫌いなんだろう? 嫌悪感を覚えるのだろう? ただそのひとつをとっ捕まえて全面に押し出してわたしを推し量っているのだろう? 数ある内のひとつなのに。わたしにも良いところはたくさんあるのだ。花であることを生かして良い香りを調整しておまえを癒やす事が出来る。人間の女にそんなことが出来るか? おまえに都合が悪いことばかり言って苦しめるだけではないか。まだあるぞ、わたしはこうして今この女を象っているように、どんなものにも成れるのだ。飽きることは決してないぞ。毎日だって新鮮な美人がおまえを迎えるぞ。口調に関しても要相談だ。テレビを見て勉強だってする。そうわたしは勤勉なのだ。それもこれもおまえのためにな」


 ああ、実に都合が良いんだね。最高の自己PRだよ。うんうん素晴らしい素晴らしい。採用採用。今日から働ける? あのつかぬ事をお聞きしますが僕はどうすれば良いのですか? とてもじゃないですけど、その対価に見合う程のものを上げられないと言うか持ち合わせていないんだ。ホラ財布を逆さまにしても、小銭とレシートそれから診察券しか落ちてこない。借金すらできない身ではとてもとても。


 僕の話を花はうっとりとした表情で聞いています。もはや教祖のありがたい説法を聴く信者のようです。宗教なんて若い内にやるもんじゃありません、あれは老後の暇つぶしにちょうど良い程度だと母を見ていて思っていました。


 そういえば宗教の話につながるのですが、良い言葉をかけた花がのびのびと育ち、汚い言葉をぶつけた方が枯れるという如何にもうさんくさい説法があるらしいです。彼女? は僕の独り言を餌に育った訳ですよ。それはそれは患者みたいな花になって当然なのかも知れません。


 僕はそんな彼女を生み出してしまった責任があるわけです。だから僕の分身のような存在を愛さなくてはなりません。というか相手は花ですから前と同じように酒を呷って、アルコールで浮かび上がった沈殿物が如く老廃物的な独り言を垂れ流していれば良いんです。そうすれば彼女も喜び僕もハッピーな訳です。幸せなんて感情は現実を顧みない鈍感なやつの存在しない譫言だということは皆さんご存じですが、僕もどうやらその一員になれるみたいです。


 上手に現実を生きるためには現実を見てはいけないなんて、まったくふざけている。鬱を緩和する薬だって現実を見ないようにするために楽しくなるような成分が入っている。現実離れした夢を見れば見るほど後がつらいのに、結局は現実に帰ってこなくてはいけないのに。遊園地なんて正にそれが凝縮されているではないですか。そういう人たちは夢の中でさらに夢を見ようとしているようで、僕以上に現実がお嫌いなようです。


「君の言葉を聴いていると落ち着くなあ、どうしてだろう。水も光合成も必要ない。君の言葉だけで受粉しそうだ。今ここで種を増やしても良いか?」


 なぜ教祖はこんなムズかゆい言葉に耐えられるのでしょうか。


「きっと水と光合成で活動していた頃の方が健全だったよ。君は進化したんだ、より劣悪な環境に耐えるすべを手に入れたんだ。でもそれって必要だったのかな、その場所に生まれてなかったら身につけなくて良かったんだよ。ありのままでいられたんだ。そうしてありのまま同士で愛しあえたんだ。僕のエゴという名の網に捕まらなければね」


「なあ、どうしてわたしが枯れていたのか分かるか? わたしは普通が向いていなかった。水も光合成も嫌いだった。でも生きるために必要で取っていただけで、それに疑問を持ちだして取らなくなった、そうして必然的に枯れた。なあ普通に生きられない花は枯れるしかないのか? 好きなもので生きてはいけないのか? そんな不完全なわたしはおまえによって超越した。その喜びが分かるか? 大好きだよおまえ。大好きなおまえを養分に生きてやる。それこそが真のシアワセというやつだ。そのお返しになんだって叶えてやる。おまえはわたしのように好きなことだけして生きて良い。許そう。だからわたしを愛してくれないか」


「好きなことなんてないよ、愛し方も良く分かんない。強いて言えば嫌いなものならあるよ。有名なものだとか、鈍い人間だとか。それを腐すことで生きていることだって理解しているよ。そろそろ僕がしょうもない木偶の坊だって気づいているよね。負の感情で生きてる人なんて碌でもないし構うべきじゃない。僕はいつだって最高な死に方を夢想しているだけさ。車に引かれそうな子供を助けて自分が死ぬだとか、強盗と戦って刺し違えるだとか。自分では死ねない臆病者だよ」


「だったらわたしを生きがいにしろ。おまえが死ねばわたしも飢えて枯れる。いやその前にショックで枯れるだろう。おまえが生きているだけで感謝するような存在がここにいる」


 きっとこれが夢なんだろう、幸せなんだろうと直感的に気づきました。アルコールや薬で得られる多幸感とは違い、素面の脳で見るそれはとても気持ち悪くおどろおどろしいものに思えます。


 彼女から伸びたツタのようなものが僕の腕に巻き付きます。トゲは外側のみにあり、巻き付いたところは痛くはありません。まるで僕を守るように展開されていました。


「この部屋にはわたしとおまえしかいない。生命はわたしとおまえで完結している」


 この世には微生物というものが空気中に無数に存在してまして、なんて冗談を言える雰囲気ではないことはわかっています。しかしのらりくらり楽な下り坂ばかり選んでいた僕がわざわざ来た道の上り坂を行く選択肢はありません。もうどこにも下り坂がなくここが一番底辺だったとしても穴を掘ってでも更に下に行きます。穴を掘るという苦労はもはや気にしてません。意固地になっているだけです。


「まあ、勝手に愛せば良いんじゃないかな!」


 きっと愛の対価を差し出さなければ次第に飽きられると思うのです。燃料なくして火は燃え続けません。段々と小さくなっていつかは消える。息を吐いて消す必要すらない、ただ待てば単純な法則に従って終わっていく。この植物人間だってそうなハズです。だから僕はこれ以降は何も話さない。


 彼女には足があるのだから、飽きたら勝手に出て行くだろう、そうして自分の足で花相手に欲情するようなお似合いの相手を探すだろう、自分の生まれなんて気にせず遠くへ遠くへ、そう高を括って僕は寝ました。いつもはこんな時間に寝ないのに、というかいつもの時間ですら寝るのに時間が掛かるのに、どうしてか僕の意識は簡単に途切れてしまいました。


 いつもの夢も今日は見ませんでした。


 じゅーっ、とフライパンで何かを焼く音と多分それの副効果的な香ばしい匂い。僕は食欲に肩を叩かれ起こされました。いつもみたく目覚まし時計で無理矢理起こされる感じではありません。でも、昔はいつもこんな感じで起こされていました。


「起きたのか」


 そんな声がカーテンの向こう側から聞こえてきました。この部屋はワンルームなので、生活スペースとキッチンをこうして区切っているワケですが、こうして誰かがそこに居るような事態初めてです。


 起きると枕元が少し濡れていました。恥ずかしくなって枕を裏返します。そうしていると、カーテンが開かれ、エプロンを着けた花人間が入ってきました。


「家にあったもので作った。おまえはわたしと違ってこれが必要なのだろう?」


 僕はその言葉に頷き、焦げ目の付いたベーコンエッグを受け取りました。そんな僕を見てニコニコ笑ってやがります。


「されるがままのおまえはなんだか可愛いなあ。人間もこんな感情で花に水をやっているのか?」


「さあね! 僕は小学校以来花は育てたことはないからね!」


 植物に侵略されないようにあえて強い口調でそう言いました。その小学校の頃ですが、自分だけ花を咲かすことができず、そのまま枯らしてしまったこともそんな態度には含まれていたのかも知れません。


「他の花の話はやめてくれ。つまらない、くだらない、二度としないでくれ」


 びたんびたん、とツルを床に叩きつけて子どものように暴れます。


 自分からその話を振ったのに酷い話です。やっぱり植物と動物はわかり合えないのかも知れません。というよりか男女はわかり合えない、のほうがこの場では正しいような気がします。


「なあ、小学校以来の花とやらはおまえにこうして、おいしい食事を作ってくれたのか? 求められて与えるばかりだっただろう?」


 隙あらば自己アピールはかかせません。僕もこれくらい出来ていたら、社内で親戚関係で腫れ物のように扱われることはなかったでしょう。とても参考になったと同時に、僕にはやっぱり無理だなあ、とがっかりした気持ちになりました。


「おいしい食事ねぇ」


 たしかにベーコンエッグは美味しかったけれども、それだけで判定はできません。もっと難しく調理者の腕が如実に表れる料理を作って貰わなければ僕の頭は下がらないのです。


 ツタがペチペチ僕の頬を叩きます。結構な音がしていますがちっとも痛くはありません。ただ気付いて欲しい、そんな感情が表れているように感じました。


「おいしくなかったか?」


 そう不安そうな顔で僕を見てきます。頭に生えている花も萎びてこちらに頭を垂れています。そんな顔をされてしまうと僕は困ってしまいます。あれこれ工夫して凝らしてなんとか普通以上の顔になってもらいたいです。


「久しぶりにこんなに美味しいものを食べたよ」


 そう言うと、ぱあっと花開くように、いや実際ツタから均等に花が咲いていっています。声からは感情は窺えないのですが、こうして見えやすいように植物らしく表してくれるようです。


「そうだろう、そうだろう、わたしが一番だろう?」


 ツタが僕の身体に絡みついてきます。咲いたばかりの花のせいか、とても良い匂いがしてきました。


 暴れて外側のトゲに当たると痛いので、されるがままベーコンエッグを食べました。そうしている間にも次々とツタを伸ばして僕の頭を撫でたり身体を弄ったりしてきます。


 そういうプレイは可愛い女の子にやってこそ需要があるものです。それなのにこんなうらぶれた男にやったところで仕方がありません。もっとも美男子なら話は別ですが、まあ知っての通りお察し顔面を有しているのが僕であります。植物業界にはそういった美醜はないのでしょうか? もしくは僕のような腐れ顔がトレンドを飾っていて、だいたいのエロ雑誌が腐れ畑になっているのでしょうか? ここまで持て囃されると逆に生きづらいように思えます。次は魚業界辺りをノックしてみようと思います。多分ちょうど良く受け入れられると確信しています。


「そういえば君は本当に水分を取らなくても大丈夫なのかい?」


 喉が渇いて持ってきて貰った水を飲んでいるときに、ふと思った。


「言ったとおり必要ない。だが、おまえの粘液だったら話は別だ。ほしい、摂取したい。わたしのと交換しないか? 人間の味覚でいうところの甘い蜜のような味がするんだ。なあ、おまえも摂取してみたいだろう?」


 またもやとんでもないことを言いやがります。植物業界はやはり恐ろしい。次辺りにハニートーストと言いながら自分の粘液をかけたものを出してきそう。せめて一回ハチさんの仲介を経て、パッケージングしてから食卓に並べて欲しいものです。


「くれ、くれぇ」


 もはや正気を失って、僕の口元にツタを伸ばしてきます。まだ口で良かった! と思いつつ、それでもその図は厭すぎます。せめてコロナの検査のように唾液を吐き出して溜めてから、それを僕の居ないところで摂取するべきです。で後日陽性なら電話してください。


 そのような想いを込めて、ぺっぺっ、と花人間の顔面に唾を吐きました。顔面に付いたそれを見てさすがの花人間もぷるぷる震え始めました。付いた部分にツタを宛がい、どうやら吸い込ませているようです。そうしてしばらくすると吸い出した部分がリトマス紙の反応のようにピンクに色づいていくではありませんか。僕の唾液はそんなにも酸性を含んでいたのでしょうか、普通に驚きですし、判っていたのですが普通に病気です。


 それがやがて身体全体を染めたとき、頭の花が萎み、そして大きく咲き誇って、キラキラとした花粉を部屋中にまき散らしました。


 あっ、なにすんだよ、てめぇ、床の木目に入り込んだら掃除が大変だろうがっ! ただでさえ大家さんに夜中悪夢で叫ぶから目を付けられているのに、これじゃあ追い出されちまう! 君はむしろ花だから公園に居ても違和感ないけども、まあ僕も公園で襤褸切れ引いて寝転がっていても、それはそれで違和感ないかも知れないけど、僕は日に焼けると真っ赤になってとんでもないことになるから、せめて日陰を作ってくれよぉ、そのツタを伸ばせば出来るだろぉ、とピンクのツタをぺちぺち叩きました。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 と件の花は荒い呼吸で僕をじぃっと見てきます。実に扇情的な目です。そんな目で見られたこと初めてです。とくん。


「すまない……我を忘れていた……自分で掃除するから……どうか嫌いにならないでくれ……」


 なんでこうなったかの説明は一切なく、よろよろした足取りで掃除機を出してきました。てかなんで掃除機の場所と使い方を知っているのでしょうか? やっているのを見ていたとしても物覚えが良すぎなような気がします。


 こうして掃除している間に元の植物らしい緑色に戻っていきました。ちなみに頭の花は白色です。慎ましい感じがするのですが、本人はこれです。花の印象なんて所詮人間のでっち上げた幻想なのでした。


 彼女が掃除している間僕は洗い物をしました。キッチンはカーテンで守られていたので無事です。僕自体は無事じゃないのでこれが終わったらシャワーでも浴びます。鼻もムズかゆいし良いことないなまったく。


「ううっ……」


 掃除機の音が止んだと思ったら今度はすすり泣く声が聞こえてきました。月と太陽の関係のようにずっと泣いていたけど掃除機の音でかき消えていたのでしょう。他の花の話をしたときもそうですが、生まれたばかりの子のように情緒が不安定です。人間体に慣れていないだけかも知れません。ああ、なんでこうなったのでしょう。冗談でも再生を試みなければ良かった。


 生まれたことに罪はないのです。だって生まれたいと思って生まれてくる人なんて居ないのですから。でも生んだ者はその責任を本人に押し付けがちです。どうしてでしょう。


 しっかりと子を育てる資金もないのに生んで、生んだから金がなくて貧乏でそれを子に強いるのです。可哀想だと思わないのでしょうか? 一時の盛り上がりだとか、見えない愛を見えないだけでそこにあると思い込んだりとか、あとは何でしょう? 子に自分の夢を託す為に生んだりとか? 全部全部馬鹿馬鹿しくて利己的です。そんな世界で一番のエゴイストから生まれ、育てられてきた僕たちが行き着く先は同じくエゴイスト、子が親になり同じ過ちを繰り返すのです。


 やっぱりせめてきちんと愛してあげるべきなのでしょう。でも僕はその方法を知らないのです。教えて貰えなかったから。赤子と違ってこうやって自分のやりたいことを示してくれていますから、それを叶えるだけでも十分なのかも知れませんが、そうなると僕が納得できないのです。本当にこれが愛なのだろうかと疑ってしまうのです。もっともっと巨大なものだと思ってしまうのです。子どもの頃に見たショーケースの向こう側にある欲しいものは大層に輝いていました。どうしてもその輝きを追ってしまうのです。今の濁りきった目で同じものを見てもきっと何も感じないと判っていても、僕はその輝きしか欲しくないのです。


「掃除は終わった?」


 カーテンを開け、めそめそ泣いている彼女と対峙する。


「ううっ、まだだ、壁とかに張り付いている。いくら擦っても取れないんだ」


「なるほど」


 そういえば枯れた彼女が来てからちゃんと壁を掃除したことがなかった。ちゃんと壁用のスプレーがあるんだよ、と教えながら彼女と一緒に掃除をした。


「てか、どうしてこうなったんだよ」


「こ、これは、だな、興奮しすぎて、その、果てて……」


「ああ、なるほど……」


 その光景を見られて恥ずかしいやら情けないやらの感情で泣いていたのか。僕だってそんな光景見られたら泣いちゃうかも知れない。隠れてパンツ洗うみたいな感じだよね、きっと。


「なあ、わたしはなんで生まれたんだろう」


「僕が君を必要としたからだよ」


「え?」


「君名前なんて言うの?」


「名前なんてない……貰ってないから……」


「じゃあ、今日から君は愛だ」


「……え」


「実に安直だと笑うかい?」


「笑わない、ただ……」


「ただ?」


「そんな名前を貰って良いのだろうか? 結局わたしはおまえに迷惑をかけるだけじゃないか……愛するって言ったのに……結局わたしは愛するって言葉の意味を知らないんだ」


「じゃあ、どうしてそう言ったんだい?」


「おまえが求めていたから」


「……」


「おまえが求めていたじゃないか、泣きながら、欲しいって、叫びながら、どうしてないんだ、って……だから、わたしは……」


「やっぱり、君は愛だよ」


「そうなのだろうか……」


「僕にとって、君よりふさわしい人は知らないね」


「……」


「ねぇ? 愛?」


「……」


「おーい、君を呼んでいるんだよ、綺麗な花を頭に咲かせた、愛さーん」


「な、なんだ?」


「愛は本当にキラキラ輝いているね」


「そ、それはおまえもだぞ、わたしの……アレで……」


「じゃあ、身体も洗わないとね」


「一緒に入るのか! すぐに準備するぞ! 背中を洗いっこをしよう!」


「急に元気になったね……」


「そ、そんなことはないぞ! ……ぐふふ」


 ふたりでお風呂に入った。洗いっこもした。上がった後、乾かしあいっこもした。熱が苦手のようでクールモードで丁寧に乾かしてやった。付着した花粉がなくなった彼女を見てみた。


 ――――それでも愛は輝いて見えた。

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プラントニック 幸泉愚香 @N__Kawasemi

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