第268話 敵対する理由

ビレイグの招きに応じて、ヘイノー城内に足を踏み入れるとそこではおおよそ城勤めの者と思われぬ粗末な身なりの者たちがそれぞれの務めを果たしており、意外なほどに活気があった。

それは街の片隅の寄り合い所のような気さくさで、「ビレイグ様、ビレイグ様」と親し気な声をかけてくる。


前庭では、民兵たちの調練も行われており、鄙びた田舎から出てきたような格好の女たちも掃除に洗濯にと忙しそうだ。


声高に金銭の話をしているものもおり、あれらは商工業者の類であろうか。


城の中は、本来であれば決して自由に出入りできないような低い身分の者たちの姿しか見られなかったのである。

このような状態のヘイノーを周辺の領主貴族の軍が落しかねたというのは驚くべきことだが、それも他ならぬこのビレイグの神の力によるものなのであろう。


「住民たちの蜂起で領主一家が皆殺しになった際に、城詰めをしていた者たちもその巻き添えを食ってしまってな。殺されたり、不具にされた者も出て、生き残った者たちもほとんどがこのヘイノーから逃げ去ってしまったのだ。幸いにして、住民たちがこうしてその代わりを務めてくれておるので、城の維持や都市の運営に今のところ大きな障りは無いが、御覧の通り、この者たちだけでは立ち行くはずもない。頼ってくるヘイノーの住民を見捨ててここを出ていくわけにもいかぬし、それで領主の真似事などをはじめた次第であるのだ」


ビレイグはメルクスを演じているショウゾウを案内する傍ら、そのように説明した。


「まるで、他人事のように話すのですね。領主一家を惨殺し、その座を力尽くで奪ったと俺は聞いていますよ。この地に赴任してきていた外王家の人間もその手にかけたという話であったし、それゆえにまさか噂のビレイグが、オルディン神であるなどとは夢にも思わなかった。外王家というのはあなたの血を引く子孫なのではなかったのですか?」


「その件については弁明の書状を持たせてオースレンに使いを遣ったのだが、どうやら行き違いになってしまったようだな」


「弁明?」


「そうだ。領主一家やその外王家の者たちを直接手に欠けたのは我らではないし、住民たちの蜂起も悪政の結果、おのずと発生したものであって、扇動などはしておらん。ダデルスワル家の当主オーバリーも辛うじてまだ生かしておる」


「なるほど。たしかにその書状については初耳ですね」


光王ルシアンがこの地の扱いをどうにもできずに手をこまねいているのを見かねて、仕方なく手を貸すことにしたのだが、己が不始末を知られたくなかったのか、あの若き王の説明は随分と歯切れが悪かった。

それに焦れて、ショウゾウは自ら動き出したのだが、やはりその判断は正しかったと言える。

相手が神では、オルドの血を引くと言えどもただの人間であるルシアンやその臣下たちの手に負えるわけもない。

ウプサーラに駐留中のデルロスがいたとしても結果は同じだろう。


ショウゾウでさえ、これからどうなってしまうのかと、今、不安を抱えながらのぎりぎりの状況なのだ。

それをなんとか平静を装い、相手の力量やその本性を探っているところだった。


不意にこの大陸に舞い戻って来た光神オルディン。


あと一歩で世界を己が掌中に収めることができそうであったところ、思わぬ邪魔者が入ったものだが、逆の見方をすれば、その存在をいち早く気付けたことは幸運でもあるとショウゾウは考えていた。


このビレイグを名乗る神が、自分の敵となるのかどうか、直に己が目で確かめることができる。




ショウゾウを客人としてもてなしたいというビレイグの言葉は冗談ではなかったようで、本当に宴が始まってしまった。


ショウゾウは、ビレイグの隣の席に座らせられ、供の者らしい女たちもそれを囲むように大きな卓についた。

それはこの大広間には不似合いで、まるで酒場などから持ち込んだかのような簡素なしつらえだった。


卓を囲む者の中には、先ほど斬りかかってきたスリマの姿もあって、絶えず警戒の目をショウゾウに向け続けている。


干した魚の焼いたものや野菜と肉の煮込みなど、家庭的な感じのする料理と酒が運び込まれ、ビレイグはそれを毒見とばかりに自ら口に運んでみせた。


「うむ。善い酒だ。喉が焼けるような心地がする。やはり、酒はこうでなくてはな」


人のことは言えないが、奇妙な老人だ。


ショウゾウは、すぐ隣のビレイグの様子を伺いつつ、そう思った。


敵意などは微塵も感じないが、逆にそれが不気味で、何を考えているのか皆目見当もつかなかった。


体格やその物腰は、ただ者ではない何かを感じさせてくるが、はた目には、ごく普通の人間の老人であるようにも映る。


ショウゾウもそうしているが、ビレイグもまたおのれの≪魔力マナ≫や≪光気≫を身の内に抑えているため、その力量や危険さを肌で感じることはできない。


警戒を解くわけにもいかず、宴を模した探り合いをとりあえずは続けるしかなくなってしまったのだ。


今のところ、酒や料理に毒が入っている様子はない。

ええい、ままよとショウゾウは杯に注がれた火がつくような強い蒸留酒を一口飲んだ。


「豪胆だな。敵か味方かわからぬ者たちに囲まれながら、供はその奇怪な蜘蛛一匹のみ。あれこれ理由を付けて、入城を拒むかとも思ったが、よほど自分の持つ力に自信があるのか、それとも他に何か考えでもあるのか。いずれにせよ、よくぞ応じてくれたとまずは礼を言おう」


ビレイグが自らの杯をショウゾウの方に向けてきた。

ショウゾウはそれに応じて、杯をぶつけた。


さすがに宴の席に、蜘蛛の姿を模した疑似生命体ナクアの存在は気になるのだろうが、ここは我慢してもらう他は無かった。

ナクアに備わった能力により、この場での会話をオースレンで待機しているアラーニェに聞かせることができる他、破壊されずに主のもとに戻れたなら、不測の事態が起きた場合の状況の把握などにも役立つ。

囚われの身となった場合には、位置情報を知らせる発信機の役目も果たしているのだ。


「俺としてもこうして言葉を交わす機会を作ってくれたことはありがたい。基本的に利益を生まない争いはしない主義なんだ。俺の方にあなた方と敵対する理由はない。このヘイノーについても穏便に解決したい考えだ」


「……なるほど、真偽を見抜く我の隻眼せきがんにも、その言葉を語るお前の姿に偽りはないと映る。ロ・キの警告とも、だいぶ受ける印象も異なっているが……、だからと言って我らが敵同士ではないとも言い切れぬ。お前は敵対することに理由が必要と考えているようだが、それは争いというものの本質とは異なるぞ。ロ・キによれば、お前こそがノルディアスに災厄と混乱をもたらした元凶であり、そして今やノルディアスの闇の支配者でもあるという。許されざる悪と出会ったときに、おのずとそれと対峙せざるを得ぬのは、この世界を託された、光と正義に属する我らに課された宿命さだめであるが、そこに理由など必要であるかな? 光と闇。互いが互いの存在を許してはおけぬとその生来の性に刻み込まれている」


「……それは神である者の言葉とも思えませんな」


ショウゾウは、首にかけていた鎖飾りを引きちぎり、そこに吊るしていた≪老魔ろうまの指輪≫を左手の中指に嵌めた。


若く精悍なメルクスの姿から、見る見るうちに年老いたものになり、その変化にさすがのビレイグも失っていない方の右目を思わず大きく見開くことになった。

卓を囲んでいた女たちの顔にも警戒の色が強くなり、得物に手をかけかけた者もいた。


「この姿は、儂がこの世界にやってきた当初の姿。みすぼらしく哀れで、醜い老人。そう、儂はもともとこの世界に生まれた人間ではない。異なる世界から、ロ・キという名の神によって連れてこられ、置き去りも同然の状況に置かれた。右も左もわからぬこの世界で、なんとか生きていこうと足掻き、その過程で幾ばくかの命を奪うことがあったものの、今日のような混乱を引き起こそうなどとは考えていなかった。光王家の者たちは、あなた方同様に、儂を一方的に悪と断じ、この世界から除こうとしてきた。手配書を広め、多くの追手を差し向けるなど、この地に儂の居場所が無くなるまで執拗に追い詰めてきたのです。ルシアンの前の正統なる光王の死もその過程で起きた不幸な事故のようなもの。この儂に一体何のとががありましょうや。儂は儂で、自分らしく、ただ生きようとしていただけ。儂を災いの元凶だと決めつけたのは、ただ光王家の巫女による預言のみが根拠であったと言います。そのような迷信めいた正しい理由ともいえぬものによって、儂と光王家のこれまでの争いは引き起こされた。偉大なる神を前におこがましいことではありますが、あなたの言うその正当な理由なき争いこそが、人の世に災いと混迷を呼びこんだのだと儂は考えるのです。儂とあなた方が争うことで、一体だれが得をするのか。何が、この現世にもたらされるのか。いま一度よくお考えくださらぬか?」


ビレイグは、ショウゾウの言葉を遮ることなく、ただ黙ってそれを聞いていた。


そして、時折、思案深げな頷きをし、そして大きく息を吐いた。

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