第264話 亡国の公女
古き神話の時代へと逆行するかのように、アスガルド大陸の命運を握る鍵は、今まさに人間の手から離れようとしているが、それに必死で抗おうと
ノルディアスの光王ルシアンと
当初、ルシアンのもとに輿入れをする予定であったエステルという娘が突如として姿を消してしまったのだ。
エステルは、旧ウプサーラ王国の王女として生まれたが、王家の女性が身に着けるべき厳しい仕来りや格式などといったものを嫌い、男のように振る舞うのを好む一風変わった少女であった。
「ウプサーラのおてんば」といえば周辺諸国の外交筋に詳しい者などはすぐにあの娘のことだと思い浮かぶほどに、このエステル公女のことは有名で、国を境に隣り合うカールスガル王国の王子からの求愛を、顔面への拳で拒絶した逸話などがある。
エステル公女は女だてらに剣や武術をたしなみ、並みの男衆など相手にならないほどの腕前であったから、国内外の
エステル公女はすらりと背が高く、顔立ちも整っていて、決して不美人ではない。
それどころか、愛用の鎧に身を包んだその姿は気高く、美しい、まるで神話にでてくるオルディン神の戦姫たちのようだと、王宮中の若い娘たちの羨望の眼差しを一身に集めていたのだ。
属国化を受け入れたことで、国王から公王すなわちノルディアス王国の公爵の身分になった父親のニコデムス二世は、嫁がせる予定だった、このエステルが行方をくらませたことに肝を潰したが、幸いなことに、彼にはまだもう一人、未婚の姫が残っていたために、事なきを得た。
光王ルシアンの
そこは、幼き日、エステルだけに聞こえる声によって導かれた深き森の中の
その大樹は、樹齢何百年もの木々が立ち並ぶその森の中でも
エステルは、通いなれたその森のけもの道を抜け、その大樹の
その剣は、鳥かごのような形状で絡まった木の根の中に、優美な装飾が施された鞘に入った状態で、浮かんでいた。
淡い緑色の光を帯び、刃の付け根のところにはめ込まれた石は強い輝きを放っていた。
「ドリュアス様……。遅くなって申し訳ありません。エステルが今、
『エステル。よくぞ、この国難の時、わが声の求めに応じてくれました。あなたにしか頼めない大事なお願いがあります。どうか私が宿るこの≪
「然るべき……者、でございますか?」
『そうです。命を賭して闇に抗う志を持つ正しき心の持ち主。そして、我が力を与えるに足る英傑のもとに手渡していただきたいのです』
「恐れながら、お尋ねします。私には、その資格はないということでしょうか?」
『あなたは、幼き日より我が声を聴き、そしてその若さで、命魔法の
「国は滅びました。父はノルディアスに屈し、この国を、新たなる光王ルシアンに譲り渡してしまったのです。私も、
『まさか、そのようなことになっていたとは……。やはり私が感じた闇の気配は紛れもなく本物。しかも、それがオルディン無きノルディアスの手によるものであるとは……。やはり、これは一刻の猶予もない。急ぎ、この国を出なくてはなりません』
「ドリュアス様、お教えください。闇とは何を指すのでしょうか。そして、何をそれほどまでに恐れておいでなのか」
『闇とは、かつてこの世界のすべてを司っていたヨートゥンという大いなる神の影響を受けし者たちのことを指します。身近な例を挙げれば、近頃、地上に溢れだしてきた様々な種の魔物などもそうですが、私が恐れている闇とは、そのいずれでもない。ヨートゥン神の血を直に受け継ぐロ・キという忌まわしき神。彼の者こそが真の脅威となる闇の存在と言えるのです』
「ロ・キ……。その者の脅威が近づいていると仰るのですか」
『それは、わかりません。ですが、このウプサーラに強い闇の気配の訪れを感じたのは確かです。闇の気配は複数あり、そのうちのいくつかは未だこの地に留まり続けています。ロ・キは己以外のすべての神を無き者にせんと画策し、これまで数々の謀略を続けてきました。我ら魔法神の手により、このイルヴァース世界から追放されてからも、密かに舞い戻り、暗躍を続けています。もし、先頃感じられたあの闇の気配がロ・キやそれに与する者のものであったなら、一刻の猶予もありません。他の魔法神たちと協力して、再びロ・キと戦う体制を整えねばならぬのです』
「ドリュアス様。私もいにしえの命の神を奉じる氏族の末裔。私にできる事ならば、この身命を投げうつ覚悟はできていますが、話が途方もなく大きすぎて、いかようにすればいいか見当もつきません。どうか、道をお示しください」
『エステル……その献身には甚く感謝するほかはありません。いずれにせよ、ロ・キの手にこのウプサーラが落ちたのであれば、ここは危うい。ことの真偽を確認している
「げっ、カールスガル王国ですか」
『なにか、不都合でもあるのですか?』
「い、いえ。何でもありません。行きましょう。いざ、カールスガル王国へ。御身、たしかにお預かりします」
エステルが手を伸ばすと、籠状になっていた木の根が
エステルはその剣をしかとその胸に抱き、小部屋ほどもある
そのまま振り返ることもなく、夜の森を駆けて行った。
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