第255話 誤った繁栄

無事にアスガルド大陸に辿り着いたビレイグ一行は、千年も昔の本拠であったオルデンセ島にではなく、ノルディアス王国北部のとある漁村にほど近い砂浜に上陸した。


ビレイグが帰還に際し、供として連れてきたのは、ヴォルヴァ、ゴンドゥル、スリマ、ヒルドル、ソグン、エルルーンの六名だ。


その他のヴァルキュリャたちは世界樹ユッグドラシルの根元に永い年月と労力を費やしてようやく築いた基地とも言うべき拠点に置いてきた。


オルデンセ島に寄らなかったのは、もはやその場所に何の用事もなかったからだ。


このアスガルド大陸を旅立ち、暗黒世界に向かうと決めたあの遠き日……。


愛した女たちやその子ら、人間族の仲間たちに最後の別れは済ませてあった。

限りある寿命の人間族であるから、もはや見知った顔の者は生きてはいまいと思う。


今、最も確かめたかったのは、自分が留守にしていた間のアスガルド大陸の状況の変化だ。


大陸外周の海を囲む光の結界に阻まれていたために、ビレイグのもつ霊感によっても、その状況をつぶさに把握することは叶わず、契約する魔法使いたちとの光魔法の貸与などのやりとりを辛うじてするのが精いっぱいであった。


魔法の貸与は、魔法神にとって、己が力を増すための≪魔力マナ≫を人間から得るための限られた手段のうちのひとつだ。


巨神ヨートゥンやその眷属たちとのいにしえの戦い、そしてその後に行われた魔法神同士による激しい権力闘争によって傷つき、酷く消耗してしまったビレイグにとって、かつての力を取り戻すための大事な手段であった。

だが、その契約の条件を己が末裔であるオルドの血を持つ者に限定したということもあって、思ったほど≪魔力マナ≫は集まらず、厳しい環境である暗黒大陸での活動などの影響もあって、神としてのビレイグの力の凋落ちょうらくはさらに進んでしまったのである。


今以上の弱体化を防ぐためにビレイグがとった手段が、≪半神化はんしんか≫だった。


自らの肉体から≪魔力マナ≫を生み出せる魔法使いの肉体を創造し、それを依り代に受肉する。

そうすることで、神としての力を温存しつつ、自前の≪魔力マナ≫で魔法を行使できるようになる。



ひとまず情報を得ようと、ビレイグは浜辺を歩き、徒歩で漁村に向かうことにした。


漁村とはいっても高台にある建物の数はちょっとした町ほどはありそうであり、船上からもその家々の姿はとても目立っていた。


長き年月としつき、この大陸を離れていて、このように人間たちが繁栄と文明の向上を成し遂げていたのだとビレイグは内心、嬉しく思ったのだ。


自分たちが為そうとしていたことは無駄ではなかった。


光結界こうけっかいが仮にその効力を失った場合に、その後も人間たちが生きていけるように、その術を見つけ出そうと暗黒大陸で試行錯誤していたのだが、その苦労が報われた気がした。


砂浜に残る足跡のように、一歩一歩、自分たちがやって来たことは確かに残っている。


高台に向かって、砂浜を歩いているとヴォルヴァが突然、沖を指さした。


見ると、沖の比較的、浅いところに灰色の頭と日に焼けた皺だらけの顔が浮かんで見えた。

人間。それもかなり高齢の者であるようだった。




「自ら死を選ぶとは、いったい何があったというのだ?」


流木や生物の死骸などを使って、だんを取るための火を起こしてやり、ビレイグは助けた老人から話を聞くことにした。


この老人の名はハセ。この漁村の村長むらおさだった。


「助けていただいて、このようなことを申し上げるのは心苦しいが、あのまま死なせてくれればよかったのだ。あなた方は無駄なことをした」


「死ぬなどと簡単に口にするものではない。まずは何があったのか、話してみてはどうだ。力になれるかもしれんぞ」


「……力になど。誰にも、どうしようもない。別天地から赴任して来られた外王家の者たちに逆らうことなどできはしないのだ。男たちは、オースレンにおられる光王様への援軍のために徴収され、女たちは外王家への貢物にと連れ去られた。新たな光王様が即位した今、この土地の領主様も、外王家には逆らえませなんだ。この村に残されたのは私のように漁に出ることもできない老いた者ばかり。食料や物資なども根こそぎ奪われたため、明日を生きるかてもない。この村はもうお終いなのです」


確かに、昼時だというのに、どの家からも炊煙が上がっていない。

この年老いた村長の話はどうやら本当であるらしかった。


「その……外王家というのはどのような者たちなのだ?」


「外王家をご存じないとは、どうやら、あなた方は他国からの旅人のようですな。外王家は、このノルディアスの王族。当代の光王様の直系ではあられないものの、オルディン神の血を受け継ぐ尊き方々です。ショウゾウという極悪人を捕らえるために、王都にある別天地から各地に赴任して来られ、そのままこの地に居ついてしまったのです」


ビレイグは村長の話の内容に衝撃を受けていた。

外王家というのは、どうやら自分がこの地に遺してきた血族の末裔であるようで、それらの者たちがこの漁村を窮地に陥れた直接の原因であるようだった。


そしてあのロ・キの口からも出たショウゾウの名に二度驚かされた。

ショウゾウの名が持つ存在感が徐々に自身の中で大きくなりつつあるのを感じた。


「しかし、さすがに村の存続が危ぶまれるほどの仕打ちをするとは信じられん。その外王家の者たちというのは人の心を持ち合わせていないのか。その、領主というのもこの地を預かる者でありながら、外からやって来たその外王家とやらの言いなりになるとは……」


「その方々の面倒を見ておられる領主様も、光王家を畏れて、外王家の方々を無下には扱えないのです。そして、外王家の人間もまた光王様の怒りを買うことを恐れている。私どものような下々の者にはわかりませぬが、新たな光王ルシアン様に忠誠を示さねばならぬそうで、焦っておられた様子でした。さあ、事情はお分かりになられたでしょう。あとはもう自由にさせてくだされ」


村長は、項垂れて、肩を落とした。


その哀れな様子をビレイグの隻眼はじっと捉えて離さなかった。


全ての氏族を巻き込んだ神々の大戦おおいくさにより、戦後の混乱の最中さなかにあったノルディアスの地に安定と安寧をもたらすべく、己が血族から選りすぐりの者たちをこの地の主として治めさせたのだが、悠久の時を経て、よもやその思惑を裏切って、このような状況に陥っているとは露ほども思っていなかったし、思いたくもなかった。


大陸全体に秩序をもたらす抑止力として、≪恐ろしき者ユッグ≫の≪呼び名ケニング≫を授け、ロ・キの画策やヨートゥンの影響を残した闇の者どもの万が一の出現に備えて、レギンレイヴら≪光の使徒エインヘリヤル≫もこの地に遺したのだった。


光の使徒エインヘリヤル≫は完全なる失敗作ではあったが、さすがに≪呼び名ケニング≫を宿す光王を討てるほどの闇の存在を許しておくとは考えられず、ビレイグたちがこのアスガルドに帰還するまでの時間稼ぎにはなるだろうという計算だった。


ひとまずアスガルド大陸の人種ひとしゅの絶滅という最悪の事態は避けられたことに安堵しつつも、目の前の村長の姿に、己が血脈の誤った繁栄がもたらした不幸の一端を垣間見た気がして、ビレイグは深く胸を痛めた。



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