第251話 心の火

一方、その頃、ノルディアス軍とウプサーラ軍が対峙していたハンサ平原では、はやくも戦の趨勢が傾こうとしていた。


総大将ヨルゲンの討ち死の報は、≪音魔おんま≫アモットの≪音球おとだま≫により不自然なほど速やかに伝わり、ウプサーラ軍を瞬く間に動揺と混乱の坩堝るつぼに落とし込んだ。


総大将の死を知らされた前軍の兵士たちはひどく動揺し、丘の包囲を崩しそうになるほどに統制が乱れたが、それに拍車をかけたのが、蜘蛛の子を散らすように退却を開始した無様な本陣の姿だ。


前軍からは本陣で何が起こっていたのかその詳しい状況まではわからず、敵軍との戦闘開始前に、不意に落ちた雷ひとつで逃走を始めたようにしか見えなかったのだ。


しかも丘の上に布陣していたノルディアス軍からは、光王ルシアンとおぼしき人物の「全軍進め!」という勇ましい号令が聞こえ、全兵士が前進を開始したものであるから、ウプサーラの前軍は戦うか退くかの即時の決断を迫られる形となってしまった。


「ええい、後軍を差し引いてもわが方がまだ多勢だというのに、何を狼狽えているというのだ!踏みとどまれ!光王とデルロスの首級を挙げるのだ。それで、ノルディアスの命運は途絶える」


ノルディアス軍への総攻撃を命じられていた副将のボルゲ将軍は、自軍の動揺を抑えようとあらん限りの声を張り上げ、周囲を鼓舞した。


だが、これがボルゲ将軍の最後の雄姿となった。


突然、ボルゲ将軍の顔や全身に、いくつもの火の塊が出現し、それが張り付いたまま、全身を焦がし始めたのだ。

皮膚や金属鎧の上など、発火するようなものが何もないにもかかわらず、一定の勢いを保ち燃え続けるその種火は手で払っても消すことができず、じわじわとその表面を焼いてゆく。


ボルゲ将軍はたまらず落馬し、そのまま地面に転がって火を消そうとしたが、火勢が弱まる気配は一向に無かった。


副将付きの魔法士数名が慌てて駆け寄り、≪真水生成ウォタラ≫でボルゲ将軍の全身の火を消そうとした。

だが、その火は消えることはなく


「……これは、ただの火ではない 。しかし、火魔法によるものでもない。≪魔力マナ≫も、火の精霊の存在も感知できないし、これは、一体……」


年長の魔法士が呻くように所見を述べると他の魔法士たちも顔を見合わせて、互いの戸惑いを無言で伝え合った。

周りを囲む側近たちもどうすべきかわからずに右往左往していたのだが、不意に悲鳴が上がり、そちらの方を一斉に向くと、そこには中央の髪のみを残し、それを伸ばして逆立てたような奇抜な髪形の男が立っていた。

黒い鞣し革でできた衣服を身に着け、悲鳴を発したと思われる伏した兵士の背を足蹴にしている。

長い鉄の棍を頭の後ろで水平に担ぐような姿勢で、樹液の塊をくちゃくちゃと噛んでいた。


「それは、人の深奥に燈る≪心の火≫さ。地上に最初に出現した原初の火種。それと同じものだ。だから、その火はチンケだが、しぶといぜ。俺より強い精神力を持つ者にしか消すことはできない。例えば、そう。我があるじのような不滅の魂を持つお方でもなければね。お前さんたちには、到底無理よ」


「誰だ。貴様は!」


そう問いかけてきた騎士を男はその薄い眉の下の眼で睨み、噛んでいたヤニを吐き捨てた。


「俺は≪火魔≫オルゾン。我が主の命により、光王ルシアン陛下の初陣に華を添えに来た。お前たちには恨みは無いが、かかって来るなら、手加減はできないぜ」


オルゾンは、六角柱の鉄棍てつこんを器用に旋回させると、一瞬でその周囲にいる兵たちを吹き飛ばして見せた。


人間の体がこうもたやすく、いくつも宙に浮く。

それは武芸に秀でた騎士たちの目から見ても、人並外れた膂力であり、現実のものとは思えぬ光景であった。

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