第198話 幸運なる者
オースレンを包囲すべく西側から侵入してきた二つの軍勢のうち、ヨールガンドゥを進軍路に選んだクリント伯爵軍は幸運であった。
無数の動く石像に襲われ、撲殺されたり、追い回されたりはしたものの、その半数は生き延びて自領に帰ることはできたし、領主自身も重傷を負いこそしたものの命は拾った。
≪石魔≫シメオンは、ヨールガンドゥの地に足を踏み入れることの禁忌を彼らの戒めとするために、あえて全滅はさせず、逃げる者は追わなかった。
彼らの口から、ヨールガンドゥで体験した恐怖を語らせ、二度とこの地を荒そうなどと考える者が現れぬよう懲らしめるにとどめるつもりであったようだ。
クリント伯爵軍は運んでいた兵糧などをすべて置き去りにしたまま、這う這うの体で逃げかえることになった。
一方、街道沿いに進軍を続けていたオロフソフ伯爵軍の五百は、遮る軍も無く、
共にオースレンを包囲すべくやってくるはずの他領の軍勢を待つべく陣を敷き、まずは腹ごしらえだと糧食を積み荷から解こうとした矢先のことであった。
荷を下ろすべく家畜引きの輜重車の付近で作業をしていた者たちが一人、また一人と次々倒れていき、動かなくなった。
「おい!貴様ら、どうした?」
遠くでその様子を見守っていた部隊長が不審に思い、部下たちのもとに駆け寄ったが、ある異変に気が付き、思わず息を呑んだ。
「こ、これは……死んで……」
部下だと思って近づいたのだが、その場にたおれていたのは見ず知らずの老人であった。
兵装こそオロフソフ軍のものだが、このような高齢の者など連れてきていない。
ましてや荷役を務める輸送隊には若く、体格の良い農民がある程度選ばれて配置されていたはずだった。
慌てて、別の倒れている者たちを調べてみても皆、老人であり、しかもどこか恍惚とした表情で息絶えていた。
敵襲ではない。
遠くに見えるオースレンの城門は固く閉ざされたままで、壁の上には弓兵が配置されていることがここからでも確認できるが、都市の内部から軍が出撃してくる気配はなく、静かなままだ。
普段から迷信深いこの部隊長は、これはもしかすると少し離れた場所にある呪われた土地ヨールガンドゥに住み着いたと一時期噂になった幽霊やそれに類する物の怪の類ではないかと恐ろしくなった。
倒れて動かなくなっている者の数はざっと視界に入るだけでも十人近くはいる。
部隊長は自分の手には負えぬとばかりに、上官のもとに報告しに行かなくてはと考えたのだが、ふと背後から何者かの不吉な気配を感じてしまった。
それは子供の頃、暗くなるまで外で遊んでいて、その帰り道に何者かの視線を感じてしまい、怖くなった時の比ではない。
もし振り返れば何か良くないことが確実に起こってしまうような気がして、部隊長はそろりそろりと後ろを確認することなく、前に足を数歩進めた。
この部隊長は幼少期からこうした勘や霊感のようなものが自分にはあると信じていて、こうした不吉な予感は必ず当たるのだと普段から思い込んでいた。
「おい、逃げるなよ。ゆっくりとこちらを向け」
それは、低く、重いしわがれたような声だった。
だが、語気は強く、逆らうことを許さないような独特の響きがあった。
嫌々ながらもその言葉に抗えず、振り返るとそこには、まるで闇そのものを纏っているかのような漆黒の外衣に身を包んだ老人が、降ろしかけの糧食が入った木箱に腰かけこちらを見ていた。
「お、お前は何者だ? わが軍のものではないな! 」
「儂が誰か、わからぬか。では……最近、巷を騒がせていた闇の怪老とでもいえばピンとくるか?」
「闇の怪老だと……」
部隊長は顔面蒼白になり、思わず尻餅をつきそうになったがどうにかそれを堪えた。
若い時分より腕っぷしには自信があり、周辺を徘徊する魔物相手にも決してひるまない自負を持っていたが、闇の怪老ショウゾウについての枝葉が付いた風聞を聞くにつれて、想像たくましくしてしまっており、そうした目に見える直接の脅威とは異なる、まったく別の存在としてすでに頭の中にこびりついてしまっていたのだ。
できれば自分は出くわしたくは無いなと、高額の懸賞金にもかかわらず本気でそう思っていた。
「そうだ。この軍を率いておるものと二人きりで話がしたい。呼んでこれるか?」
一刻も早くこの場から離れたかった部隊長は二度、首を素早く縦に振り、そして駆けだした。
ショウゾウはその部隊長の背に、「余計な者は連れてくるなと伝えろ」と声をかけた。
間もなく、先ほどの部隊長がこの軍の指揮を執る騎士団の長とこの軍の全兵士を引き連れ戻って来た。
見渡すと延々と多数の兵からなる囲いができていて、今にも飛び掛かってきそうな雰囲気だった。
「やれやれ、余計な者は連れてくるなと言ったであろうに……」
ショウゾウは深くため息をつき、うんざりしたような顔をした。
「貴様が光王家に楯突いているというショウゾウか?」
「如何にもそうだが……、お前は誰だ? 領主ではないのか」
「俺は、オロフソフ伯爵から兵権を預かる銀羊騎士団の団長、アーロだ」
「そうか、領主ではないのか……。ひとつ、ある交渉をしたかったのだが、お前で用が足りるかな」
「交渉だと?」
「なに、単純な商談だ。ここに持ってきた糧食、さらにおぬしらの領内の備蓄そのすべてを相場の倍で買い取りたい。もちろん、ここに引き連れている兵士たちを撤収させたうえでだ。オロフソフ伯爵領は迷宮をひとつしか所持していない代わりに肥沃で広大な農地を有しているらしいな。そこで獲れた作物を継続的にオースレンのギヨームに売ってほしいのだ」
「あの僭称者ギヨームにだと? 馬鹿な、そんな話が通るわけはないだろう」
「無論、お前たちにも立場はあろう。ゆえに極秘裏に、誰にも知られぬようにこちらで手はずは全部整える。これはギヨームというよりも困難にあえぐこの国の民たちを救うための取引だ。人の道にも、臣の道にも外れたものではないと思うが……」
「領主様にお伝えするまでもない。おい、爺! 貴様、その首に懸けられた賞金の額を知っているか?今や、金貨二千枚。さらに領主家であれば、光王家の直轄地から一地方を割譲していただける約束付きであるのだぞ。食料が欲しければ、その首で支払うのだな。さあ、者どもかかれ!この頭のおかしい爺を捕らえるのだ。褒美は望むがままだぞ」
団長であるアーロの掛け声に兵士たちが色めき立った。
「やれやれ望み薄だとは思っていたが、まあ仕方ないな。この程度の軍糧では一時しのぎにしかならんが、今はこれで我慢するとしよう。シルウェストレ、遠くに離れていろよ。それとこの場にいる者は誰も逃がすでない。いいな?」
「承知しました」
ショウゾウの周囲に猛烈な風が巻き起こり、それがやがて美しい裸身の女性の姿を一瞬取ったのも束の間、それはすぐに消えて、包囲網の外側の方から悲鳴のような声が大勢上がった。
兵のすべてを取り囲むかのように尋常ならざる勢いの竜巻のようなものがいくつも連なり、突如、壁を為したのだ。
竜巻の間を抜けて逃げようとした幾人かの兵士は、その見えざる真空の刃によって切り刻まれてしまい、それを見た他の兵士たちからあがった恐怖を吐き出すような声が悲鳴に聞こえたのだ。
「さて、これで退路は無いぞ。取引に応じておれば、これ以上死なずに済んだのにな……」
ショウゾウは表情を変えることなく、スキル≪オールドマン≫の≪
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