オールド・マン 悪の華

高村 樹

第一章 異世界転移と高齢新人冒険者

第1話 不破昭三

齢八十八歳。


老境に入り、不破昭三ふわしょうぞうの精神状態は酷く悪化していた。

日々が憂鬱で、夜もほとんど眠れず、何をしていても心が晴れることがない。


老いは肉体を衰えさせ、食欲を奪い、そして長年積上げてきた自信や矜持といったものも霞ませてしまう。


そのような状態で、もはや何のために生きているのか自分でもわからなくなっていたある日、さらに追い打ちをかける出来事が不破昭三の身に起こった。


散歩中に、突然の吐血からの、痙攣、失神。


救急車で運ばれて、目が覚めた不破昭三に主治医は、全身に癌の病巣があることを告げてきた。

医者嫌いの不破昭三は、もうずいぶん長いこと健康診断や人間ドックなどを受けてはいなかったが特にこれまで自覚症状は無く、この告知はまさに寝耳に水だった。


余命半年。


主治医に告げられたこの宣告が不破昭三の心に重苦しくのしかかると同時に、その暗く淀んだ魂の奥底から、ある「問い」を掘り起こしてしまうことになった。


なぜ、儂が死なねばならぬ?

世の中、儂よりも死ぬべき、価値のない愚図ぐずがたくさんいるというのに!


死は人である以上、誰しもが避けられない自然の摂理である。


だが、おおよそ人の世の栄華を味わいつくし、増長の極みにあったこの醜悪な老人にはそのことが受け入れられなかった。


不破昭三は、かつて旧通商産業省事務次官にまで昇りつめた高級官僚であった。

退官後もその人脈を巧みに利用し、様々な大企業の顧問や役員、各種団体の理事などを歴任したほか、自らも経営コンサルタント業で大成功し、巨額の富を得た。

都内に千坪を超える豪邸を持ち、多くの動産、不動産も有している。


歴代の総理大臣も、政財界の雄たちも、皆誰もが不破昭三にひれ伏し、媚びへつらってきた。


警察や国家権力でさえもおいそれと手出しできぬ上級国民。

それが不破昭三であったのだ。


だがその不破昭三であっても老いと孤独には勝てなかった。


明らかに遺産目当ての家族と別居状態にあり、数多くいた愛人たちや親せきを名乗る者どもなどおこぼれにあずかろうとすり寄って来るハイエナたちを避けるためにほとんど外出はしなくなっていた。


長年仕えている使用人たちと敷地内に放し飼いにしている八頭のドーベルマン。

それが老いた不破昭三の閉じた世界の住人であったのだ。


自分は金でしか人と繋がれぬ。


そして、周囲の者たちは皆、儂が死ぬのを今か今かと楽しみにしておる。



不破昭三はいつしか孤独になっていた。


孤独、不安、そして老いと死に対する恐怖は少しずつ不破昭三の精神を蝕み、そしてある凶行に及ばせてしまうことになった。


渋谷のスクランブル交差点付近で、愛用のドイツ車で若者たちの列に突っ込み、そのまま歩行者たちを次々撥ねた挙句、車内で割腹自殺。


犠牲者は、軽傷者を含めると百人近くに上り、死者は六人、重傷者は十三人だった。



なぜあんな阿保面をした軽薄な若者どもが、儂より長く生きるのだ?

戦後、日本の復興に尽力し、身を粉にして働いてきた儂がどうして先に死なねばならん?


この世は不条理だ。

理屈が合ってない。

優秀で、価値がある儂は、そうでない者たちよりも幸せに、より長く生きる権利があったはず。


どうしてこんな孤独で、惨めな死を迎えなければならないのだ。


儂より幸せそうにしている家族連れ、恋人たち、学生。

未来ある者たちが皆、妬ましい。


独りで死ぬのは嫌だ。

せめて、あやつらを死出の道連れにしてやろう。


信号待ちの最中、凶行前の不破昭三がアクセルのペダルを踏みこむまでの間に考えていたのは、このようなことであった。



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