夜光蝶

岸亜里沙

夜光蝶

 その姿を見た者を、安らかに死へと導くとされる蝶。

 その名は夜光蝶やこうちょう


 夜光蝶やこうちょうの存在が世界に知れ渡ったのは、行方不明になっている写真家のファビオ・ミッチェルが残したカメラ。

 森の入り口付近で、偶然見つかった彼のカメラの中に、夜光蝶やこうちょうを映したと思われるデータが見つかったからだ。

 ボヤけていて、ハッキリとは映されてはいなかったが、そこには七色に光る夜光蝶やこうちょうらしき物体が収められていた。

 先住民族の伝説上の存在かと思われた蝶が実在するというニュースは、瞬く間に世界中を駆け巡った。


 深夜の暗闇で幻想的な光を放つ魅惑的な蝶。その神秘的な伝説は、人々を魅了して止まない。

 死神とも称される幻の蝶だが、その鮮やかな光見たさに、怖いもの知らずの学者や、自殺志願者たちまでもが、毎夜リッケンバーグの森へとやって来ていた。

 大樹が夜空を隠し、漆黒の闇に包まれた森は、風の音もしない無音の空間。

 異世界への入り口が存在しているとされるこの森は、立ち入るだけで精神を病み、生きて森から出られる事はないだろうと言い伝えられている。


 正に今、森へと立ち入ろうとしている一人の人間。名前は宮前陸斗みやまえりくと

 彼は学者でも自殺志願者でもなく、ただの冒険家だ。

 一冒険家である宮前だが、彼はダルファ国の軍隊長、エリック・ケイマーに依頼をされ、夜光蝶やこうちょうを生け捕りにするという密命も帯びていた。


夜光蝶やこうちょうの死の伝承は、羽に付着している特殊な蓄光鱗粉ちっこうりんぷんのせいだろう。それを吸い込む事で、神経系が犯され、死に至ったり、精神を病んだりするのだろう。我々は、その鱗粉りんぷんから新たな兵器を生み出したい。なので君にはその夜光蝶やこうちょうの捕獲をお願いしたいんだ。もしも成功した暁には、君が望む額の報酬を支払おう」


 軍隊長エリックの言葉を信じ、宮前は持参したガスマスクと暗視ゴーグルを装備し、森の中へと足を踏み入れた。

 夜光蝶やこうちょうを見た者や、この森に立ち入った者で、生きて帰ってきた者は皆無だ。

 しかし宮前は、冒険家として名を残したかった。軍の褒賞金など二の次だった。

 今回の挑戦は歴史的なものになるだろう。

 軍の新兵器開発にも賛成は出来なかったが、夜光蝶やこうちょうを捕まえる事が出来たなら、宮前の名は後世まで語り継がれるはずだ。


 意気揚々と森へと侵入した宮前だったが、森の奥へと踏み入れる程に、背筋が凍りつくような感覚と、息が詰まる感覚を覚えた。

 この森にこれ以上入るべきではないと、直感的に身体は感じているようだが、好奇心と名誉心に突き動かされ、夜光蝶やこうちょうの光を暗視ゴーグル越しに必死に探し求める。

 だが、一歩進む度に動悸は増し、ガスマスクも装着しているが、息苦しさも徐々に増していく。


「早く、見つけないと・・・」


 鉛のように重たく感じる足を、必死で持ち上げ森の奥へと進む。

 だが尋常ではない疲労感に、その場に座り込んでしまう。

 あまりの息苦しさにガスマスクを外したい衝動に駆られたが、自重する。

 宮前はバックパックから、ノートとペンを取り出し、なぐり書きで記録を残す。


【現在時刻、午前1時23分。森へと侵入してまだ10分程だが、この森には得体の知れない何かが潜んでいるようだ。夜光蝶やこうちょうの光はまだ見つからない。】


 肩で息をしながら、宮前は上を見上げた。太い枝に葉が生い茂っているせいで、夜空は見えない。

 耳を澄ましても、自分の荒い息づかいしか聞こえてこなかった。


 20分程座り込んでいた宮前だったが、ゆっくり立ち上がると、更に森の奥を目指し歩き出す。

 しかし、どんどんと気分が悪くなり、視界もボヤけてくる。

 これが夜光蝶やこうちょうの呪いなのかと感じ始めると同時に、リッケンバーグの森の特別な環境も相まって、まるで自分が迷子の幼児になったかのような、えも言われぬ不安感が押し寄せてきていた。もう二度とこの森から出れないのかもしれないと。

 宮前はまたノートとペンを取り出し、書き始めた。


【現在時刻、午前1時47分。激しい嫌悪感が増強。死への恐怖も増してきた。生きて帰れなかった場合に備え、この記録を残す。】


 ゆっくりと歩き続ける宮前だったが、森の奥に、そこにあるはずのないものを目にして立ち止まった。

 それは夜光蝶やこうちょうの光でもなければ、自然のものでもない。


「小屋だ・・・。どうしてこんな所に?」


 手付かずの大自然の中に、人工的な小屋はあまりにも異質で、不気味な存在。

 入り口のドアはひとつだけ。窓も無い。かなり前に建てられた小屋らしいが、今誰かが使っているのだろうか。

 宮前は、夜光蝶やこうちょうの伝承よりも、恐怖を覚えた。リッケンバーグの森に、誰が何のためにこの小屋を建てたのか理由が分からなかった。


【現在時刻、午前2時。森の中で謎の小屋を見つけた。一体この小屋はなんなんだ?】


 恐る恐る小屋へと近づき、様子を窺う。

 中から音はしない。

 誰かが居る雰囲気もないが、念のため護身用のレーザーガンを片手に持ち、荒い息づかいのまま、宮前は小屋のドアに手をかける。

 ドアを引くと、ドアのきしむ音が、森中に木霊こだまする様に響いた。

 ドアの隙間からこっそり小屋の中を覗くと、宮前の目に飛び込んできたのは、音もなく静かに空中を乱舞する鮮やかな七色の光。


夜光蝶やこうちょうだ!」


 宮前は暗視ゴーグルを外しながら、思わず叫んだ。

 そしてまた一気に鼓動が早くなる。

 自分の意思よりも早く、宮前は夜光蝶やこうちょうに手を伸ばす。だがその瞬間、宮前は脳内に直接語りかける謎の声を聞く。


『ようこそ、死をも恐れぬ勇士よ。私と共に聖域ランチャード・ヘブンへと来ていただけませんか?』


「な、なんだ?」

 宮前は混乱し頭を押さえながら周囲を見渡すが、夜光蝶やこうちょうの光以外何も見えない。


『私はエルフ。今貴方の目の前にります。貴方たちが夜光蝶やこうちょうと名付けた蝶が、私の仮の姿。私はこの世界から、ランチャード・ヘブンへと人間を勧誘リクルートする役目を持っているのです』

 エルフと名乗った夜光蝶やこうちょうは、宮前の周囲を優雅に舞いながら話しかける。


「リ、勧誘リクルート?」


『ええ。今ランチャード・ヘブンでは、内乱が起こっているのです。その為、この世界の優秀な人材に助けを求めにきています』


「ちょっと待ってくれ、自分が優秀な人材だって?」


『そうです。貴方のような方を探し求めておりました』


「内乱って事は、つまり戦争だろ?だったら自分よりももっと適任者はいる。ダルファ国の軍隊長エリック・ケイマーを、自分は知っている。彼のが適任ではないのか?」


『いいえ、軍隊は求めておりません。私たちが求めている人材は、死をも恐れぬ知識人であります。それには、ランチャード・ヘブンには転送出来ませんから』


「自分が、知識人?」


『貴方は様々な場所を旅し、多くの知識を付けてきましたね。壮大な場所、危険な場所へも赴いた。誰も見たことのない景色を見てみたいと冒険を続けてきました。ランチャード・ヘブンには、貴方がまだ見たこともない、素晴らしい景色が広がっております。どうか私たちに力をお貸しください』


 宮前は考え込んだ。

 エルフたちが暮らす異世界の風景を思い浮かべ、自分の冒険家としての集大成は、そこかもしれないと思った。まだ見ぬ世界、ランチャード・ヘブンを旅してみたいと。


「ひとつ聞きたい。自分がそのランチャード・ヘブンに行った所で役に立てるのか?」


『貴方にはスパイ活動をお願いしたいのです。ファビオ・ミッチェル氏や、他の学者の方たちとコンビを組んで、敵地バグラーナに忍び込んで敵の内情と、バグラーナの精密な地図を作って頂きたい』


「地図?」


『はい。秘匿魔法陣ベール・マジック・サークルの影響で私たちにも、バグラーナの様子が分かりません。私たちでは、敵にすぐに気づかれてしまいます。なので、貴方にバグラーナに潜入して頂きたいのです』


 宮前はガスマスクも外し、笑って答えた。

「随分と古風な戦い方ですね。スパイを使った情報戦とは」


『来ていただけますか?』


「面白そうだ。異世界の風景を、この目で見てみたい。だが内乱が終われば、またこちらの世界に戻れるのでしょうね?」


『もちろんです。貴方が望めばランチャード・ヘブンで暮らす事も可能ですが』


「分かった。行こう。連れていってくれ。まだ見ぬ世界へ」


『ありがとうございます。行きましょう』


 エルフが答えると、小屋の中が七色の光に包まれた。体から意識だけが、遠い宇宙へとワープするかのようにどんどんと薄れていくが恐怖感は全く無い。それはまるで自分が母親の子宮内に戻るかのような安心感。

 そして次の瞬間には、宮前の意識はランチャード・ヘブンへと転送されていた。



 ◆

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 ◆

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 宮前がリッケンバーグの森に足を踏み入れてから数日後、ダルファ国の軍隊長エリック・ケイマーは、隊長室のソファーに腰かけながらパイプを吹かしていた。


「またしても夜光蝶やこうちょうの捕獲は失敗だったか。まあ、いいさ。代わりはまだ幾らでもいる。しかし、夜光蝶やこうちょうとは、一体なんなんだ?」


 エリックは天井を見ながら呟いた。

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夜光蝶 岸亜里沙 @kishiarisa

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