一〇.面白い裁判

 初鹿野からの証言の確保ができてから一週間後。第二回裁判の当日を迎えた。


「初鹿野からのビデオ、確認しましたけど、あれ、大丈夫ですか?」

「大丈夫とは?」


 裁判所へ一緒に向かっている道中、僕は曲淵さんに確認する。


「いや、法廷の場に相応しいのかなと」

「相応しいわけない」


 曲淵さんは金髪の長い髪を、お団子にまとめながらズバッ言い放つ。


「ですよね」

「でも仕方ない。記事の否定としては成立している。あれでいこう」


 裁判所の前に到着し、曲淵さんは、僕にこの裁判の軸を改めて説いた。


「この裁判は、将軍さまとの記事に対する名誉棄損が訴え。こちら側の心証を悪くすために、向こうは初鹿野さんとの記事を追い打ちとして出してきたけど、そこはあまり考えないで。分かった?」

「はい」


 僕と曲淵さんは、襟を正し、法廷へ向かった。




 法廷には、既に日本大阪新聞社代表・仮名垣宇字とその代理人・杉浦密次が座っていた。僕は二人を威圧しながら席に座る。


「何してるの。意味のないことをしないで」


 曲淵さんに小声で注意を受ける。自分の闘志を上げるために必要な行動だ。

 数分遅れて、裁判長のなみさんが入ってくる。今日も髪だけがボサボサだ。


「全員揃っていますが、定刻まで後三分お待ちください」


 前回と同じく傍聴席は満員だ。


「定刻になりましたので、第二回裁判を始めます」


 なみさんより起訴内容が読み上げられた。


「では、原告側の証人尋問に移ります。諸事情により、証人がこの場に来られないので、ビデオによる証言となります」


 法廷に設置された巨大なスクリーンに、甲冑姿の初鹿野が映し出される。


「えーと、コホン。大阪幕府町奉行の、初鹿野まおです。ちょっと今は腰巻を持っていなくて、この姿で失礼いたします」


 傍聴席の人々は、前のめりになってビデオを見ている。


「今回、私初鹿野まおと、大阪幕府老中・齋藤瑞樹さんとの京都四条でのデート報道があったとのことで、その記事について、訂正、反論させていただきます。

 まず、大前提として、あの日は、濱島盗賊団との衝突を避けるため、瑞樹さんは、私を護衛するという名目で、行動を共にしていました。記事に書かれているような、異性交流を目的としたものではありません。そして」


 初鹿野が一瞬口ごもる。


「キスをしたとか、その後京都の夜の街へ消えていったとか、嘘です! そんな事実は一切ありませんっ! 私は、私は結婚する人としかエッチはしませんっ!」


 法廷が凍り付く。僕は「やっぱり」と頭を抱える。


「もし! もしですよ! 私と瑞樹さんが結婚するのなら、エッチはしてもいいですっ! でも今はその予定がないので、してませんっ! これが事実です! 皆さん騙されないでくださいっ!」


 ビデオがプツッと切れる。傍聴席がざわざわと騒がしくなる。


「静粛に。原告側証人のビデオは以上となります。被告側、何か反論はありますか?」

「いえ。本裁判の訴訟内容には関係のない話ですので、特にありません」


 杉浦密次は淡々と話している。白々しい奴め。関係ないならこの時期に記事を出すなよ。


「では、続いて、被告側の証人尋問に移ります。被告側証人。お入りください」


 身に覚えのない男が入ってきた。


「大阪幕府将軍配下従者・三納みのうです。良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」


 従者? なんの証人なんだ?


「では、まずは主尋問から、被告代理人、お願いいたします」


 杉浦密次が立ち上がる。


「三納さん、あなたは普段から将軍さまの側におられるのですか?」

「はい。常時ではないですが、他の従者と交代交代で、身の回りのお世話をしております」

「普段の将軍さまは、どんなことをよく話されていますか?」

「老中・齋藤さまのことばかり話されております。齋藤さまとの会話や、齋藤さまの取った行動など、楽しそうに話されております」


 法廷が少しざわつく。


「その時の将軍さまの態度に、恋愛感情は感じ取れますか?」

「はい。将軍さまは、齋藤さまのことが好きだと思います」


 ……これは、喜べばいいのか、裁判が不利になって悔しがればいいのか。僕の感情はぐちゃぐちゃになっている。


「では、記事当日、将軍さまと齋藤瑞樹さんは、性的な関係を持った可能性は高いと?」

「はい。間違いなく性行為に及んでいると思います」

「ありがとうございます。主尋問は以上です」


 僕は曲淵さんを見た。彼女の目は死んでいない。


「では続いて、反対尋問に移ります。お願いします」


 なみさんの声掛けに、曲淵さんは目で返事をする。


「三納さん、あなたの回答は、主観的な予測が多く入り混じっているように見受けられますが、自分の言葉に確信は持たれていますか?」

「はい。確信しています」

「なぜ?」

「世間一般的な感性と照らし合わせ、将軍さまは齋藤さまのことが好きだと判断したからです」

「確かに、世間的には、特定の異性の話ばかりしていたら、その異性に好意を寄せているということは可能性として大きいでしょう。ですが、豊臣彩美さんは将軍家の人間です。世間の感性からはずれている。齋藤瑞樹さんを異性として見ているかも分からない。それでも本当に自分の発言に責任を持てますか? ここは法廷です」

「それは……」


 曲淵さんの巧みな誘導に、僕は感服していると同時に、「やっぱりそうだよな」と少し気落ちしている。


「もう結構です。次の質問に移ります」


 曲淵さんは楽しそうだ。ゾーンに入っているのか。


「三納さんは、元枚方幕府の従者と伺いましたが、間違いはないですか?」

「はい」

「では、枚方政変の最中、三納さんは鎖国派だったということですね?」

「……はい」

「ありがとうございます。反対尋問は以上です」


 勝った。僕は確信した。

 あの従者が鎖国派だったということは、開国派のトップである彩美への恨みは強いはずだ。その恨みを利用して、杉浦密次と仮名垣宇字は、証人として答えるべき内容を吹き込み、ここへ連れてきた。反対尋問で大半の人がそう考えたはずだ。もうこの証人の言うことに信憑性はない。

 席に戻ってきた曲淵さんに、僕はグータッチを求めた。曲淵さんは僕を見ずに、グーを差し出した。


「以上で第二回裁判を終了します。判決は後日お伝えします。それまでに、第三回裁判の開催希望があれば申請してください。また、和解の申し立ても受け付けますので、希望する側は書類を整理して、提出してください」


 なみさんは立ち上がり、深々と礼をした。

 裁判所からの帰り道、僕は曲淵さんに今後のことについて尋ねた。


「向こうはどう出てくるでしょうか?」


 曲淵さんはシャツのボタンを二つほど開け、窮屈から解放されている。


「基本的には第三回裁判に進むだろうね。文節としては、長引けば長引くほど雑誌の儲けが出るから。これだからマスメディアとの裁判は面倒なんだよ」

「そうなんですね」


 ここまでこちらが有利な状況でも、まだ続けるのか。裁判、そして弁護士の大変さを知る。


「まあでも、あなたの裁判は面白いよ。手を繋いだ繋いでないとか、キスしたしてないとか、そんなことで幕府の幹部がどんどん出てくる。仕事だからちゃんとやってるけど、正直笑いが止まらないよ」


 曲淵さんは僕の背中をポンと叩く。


「報酬もいいしね」


 是非その報酬で、事務所を綺麗にしてくれ。定期的に曲淵法律事務所に顔を出すようになってから、咳が止まらない。

 曲淵さんは、機嫌よく事務所に帰っていった。




 二日後、日本大阪新聞社から、勘定奉行を通じて和解の申し立てが来た。


「損害賠償二五〇万円と、当該記事の削除で和解したいとのことですが、どうされますか?」


 御用部屋まで来たなみさんが、僕に確認を取る。


「曲淵さんは、第三回裁判があると予想していたんですけど」


 僕は、裁判終了後すぐの和解申し立てに、驚きを隠せなかった。


「私もおそらくそうなるだろうと予想していましたが、日本大阪新聞社にとって、手間のかかる裁判よりも、優先すべき事態が起こったのでしょう」

「例えば?」


 なみさんはあごに手をあてて考える。今日は裁判がないからか、髪に加えて腰巻も、幕府幹部とは思えないはだけ方だ。


「大スクープを掴んで、その現地調査にリソースを割いているとかですかね?」


 なるほど。本業を優先するのは理にかなっている。


「とりあえず、和解については曲淵さんと相談します」

「分かりました。早めに返事をください。他の訴訟も立て込んでますので」


 僕は、記事の削除がされる安堵から、なぜ日本大阪新聞社が裁判を長引かせることをせず、早急に和解を求めてきたのか、深くは考えなかった。

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