悪い兆候
それは良し悪しに関わらず、平等に訪れるものであり、決して逃れられない。日常とは往々にして色褪せていくものだし、彼が見せる無愛想な態度も目くじらを立てて怒れば、取り返しのつかない軋轢を生みかねない。互いが心地良いと感じる間合いを守ることで、生活は恙無く紡がれていく。
「……」
食事を終えると、食器をそのままに椅子から立ち上がって、足元に置いていた鞄を肩に掛けた。干渉を頑なに避ける親子の無味乾燥なる空間が横たわり、学校と自宅を行き来する空虚さが如実に明らかになる。居間を出て行く際は決まって、自室か学校かの二択となり、戻ってくることはない。
「いってきます」
そんな些細な一言すらなく彼は自宅を出て行った。血の繋がりがきわめて希薄に感じる関係は、前述した通りに家族という体裁を守る上でそれほど問題ではない。ひいては、友人と呼んで親しくする相手を求めていないことから、彼は文字通り「孤立」を体現する。だが、侘しさなど微塵も感じさせず、一人でいることを苦痛に思うような薄弱なものは有していなかった。
無遅刻無欠席を継続する彼は、朝一番に部活動を開始する生徒に混じって登校を共にし、グラウンドや体育館に散り散りになる生徒の群れを他所に、一人教室へ赴き、しずしずと座席に着席する。窓越しに聞こえて来る掛け声に耳を傾けながら、授業が始まるまでの時間をとりとめもなく消費する。季節に応じて立ち塞がる、様々な天候を物ともせずに、彼は自分に設けた時間の目標をひたすら墨守してきた。サイクルを強く意識した人間に通底する厳格な墨守は、完璧を標榜する性質と瓜二つで、気まぐれな信号機の遅れに対して悪態をつけば、その目敏さ故に自分を苦しめる。
神経質を煮詰めたような性格の持ち主である彼の心休まる時とは、衆目に晒されない自室や、伽藍のような教室にこそ見出していた。机に一人、長く座している時間は、精神を整えるのに大いに役立ち、彼はこよなく愛した。
「ガラッ」
始業時間が近付くにつれて、続々と姿を現し始めるクラスメイトの存在は、彼からすれば疎ましくて仕方ないだろう。人格形成に大いに寄与する学び舎は、既に自己の確立を終えている彼からしても、一筋縄ではいかない複雑怪奇な状況に追いやられがちだ。それでも、吹き付ける向かい風に迎合することはなく、朴訥と仁王立ち胸を張った。なかなかに難儀な性格のように思えるが、一切妥協を知らないからこそ、あらゆる万難に対応するだけの芯の強さがあった。
「あー……」
しかしそれは、唐突に誰もが予期しないタイミングで起こってしまった。後ろの席に位置する彼から斜め左前方、ちょうど教室の中腹にあたる席に座っていた男子生徒が、徐に立ち上がって、虚空をまんじりと眺める。なかなかに奇妙な立ち姿を彼が見逃す訳もなく、ジッと様子を窺っていると、赤いジャージのズボンに右手を突っ込んだ。
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