悪意を流すにゃ若過ぎる
温泉の湯気がほこほこと立ち上っている。
私は未だに「あなたが門土さんですか?」と聞けないまま、黙々と紅葉狩り弁当を食べ、隣で蒸しとうもろこしを食べているのを横目で見ていた。
いったいどんなシュールな光景なんだ。気まずいってもんじゃない。会話の糸口をどうやって探すかと考えあぐねていたところで、隣から「うふっ」と笑い声が聞こえた。
「……なんでしょうか」
「さっきから借りてきた猫みたいになってもて。自分、ぼくになんか言うことあったんちゃうのん?」
そうケタケタと笑っているのに、私は「まさかなあ」と思った。
「あなたは門土さんですか?」と尋ねても「せやで」とも「ちゃうで」とも言われてしまったら話は打ち切られてしまう。
一見会話のとっかかりを与えてくれたように見えて、実のところ会話のイニシアチブを握られただけなような気がする。これはあまりよろしくない。
私はしばらく黙り込んでから、やっと口を開いた。
「お仕事はなにされていますか? 私は小説家ですけれど」
「あはははは……せやね。話すのが仕事やろうね。でも小説家なん。すごいな、ほんまにおるんや」
少し会話を投げての反応に私はやっぱりなと考えた。
詐欺師は会話が巧みだから詐欺師と言われるが、実のところ一部に使われているのはカウンセリングの手法だ。
カウンセリングはただ話を聞くだけの仕事と馬鹿にされがちだけれど、実のところその話を聞くだけというのには相当技術が使われている。相手の会話を遮断してはいけない、相手の会話に相槌を打ちながら相手の話を気が済むまでしゃべらせないといけない。話が全部終わって、なにも解決していなくっても、話を淀みなくできたという満足感を与えないといけない。
そしてカウンセリングの技術で使われるもののひとつが「オウム返し」だ。ただ「はい」「ふうん」と相槌を打つだけだと、本当に話を聞いてるのか疑わしくなってカウンセリングにならないため、ときおり相手の話した内容からキーワードを投げかけて、さも「私はあなたの話を聞いている」と思い込ませる。実は会話が成立していなくっても、このオウム返しさえしていれば、相手に「話を聞いてくれるいい人」という好印象を与えることに成功するのだ。
……これも私が仕事でカウンセリングについて調べなかったら知らなかった話であり、普通に日常生活送っているひとだったらひとたまりもないぞ、このトークスキルは。
なんと言っても、私に最低限の情報を投げているようで、それが本当かどうか曖昧に濁していて私からだとわからないんだから。
どうするべきか。こちらが丸裸にされないように、それとなく情報を流し込みつつ、相手の情報を抜こうか。でもなあ。私も知っているからと言っても同じようにカウンセリング手法を駆使できるかというと、できないぞ。
私はどうしたもんかと思っている中も、この関西弁のひとはくふくふと笑っていた。
「小説言うてもいろいろあるけど、どういうもん書いてるん?」
「基本的に私、なんでも書いているんですよ。ファンタジーも日常ものもミステリーも。一番書きたいのは人間ですけれど、人間書かないジャンルはほぼほぼないですから、結局はなんでも書いてますね。あなたはおしゃべりするお仕事って、最近はどんなことを?」
「せやねえ。いーっぱいしゃべって、それでパァーッとお金もろてます。どこにだってなんだってしゃべくるから、具体的な仕事っちゅうのもわからんねえ」
このひと本当に手強いな。でも、ま。
私は羽音が聞こえるのを感じていた。こちらの会話が全部筒抜けならば、そろそろしたら蠏子さんたちもなんらかの反応を返してくれることだろう。私はそれまで足止めができればいいんだから。
そうひとりで納得していたら、彼はまたしてもくふくふと笑った。
「でも今日は楽しいかもしれんねえ。お姉さんみたいなひとにも会えたことだし」
「それ楽しいんですかね。ここはすずめが可愛いので、見てても眼福だとは私も思いますけど」
「あはは、お姉さんすずめが好きなん」
「冬のすずめは特に好きですよ。ふくらすずめは見てて癒やされます」
「あはははははは、お姉さんホンマ面白いねえ……はあ、こんなええ人間のお姉さんをおとりに使うやなんて卑怯やわあ」
それに私はギクリとした。そりゃ私は人間ですけど、蠏子さんたちの仇討ちの手伝いしているという話を、今の今までした覚えはないんですけれど。
しかし、門土さんはニコニコと糸目で笑ったまま、食べ終えたとうもろこしの芯をブン……と大きく音を立てて振った。途端に先程まで聞こえていたはずの羽音が消える。さっきまで生きていたはずのふわふわした毛並みの蜂が潰されてしまったのだ。
虫も殺さぬ顔をしても、門土さんは目の前で蜂を堂々と殺してしまった。
どうしたもんか。私は頼ってくれた蠏子さんたちのことを思った。門土さんは勝手に話しはじめる。
「騙されたほうが、勝手に徒党組んで追いかけてくるんは迷惑やわ。しかも今回はわざわざこっちから手を出したら店主から叩き出されそうな人間までおとりに使ってきて」
「あれ、私そこまで重要人物だったんですか」
「人間は幸福湯に滅多にけえへん。店主のお気に入り以外はほとんどはここまで来られへん。そんなひとを盾やおとりに使うなんてひどいと思わへんのん?」
そう言って門土さんはにっこりと笑う。相変わらず糸目の詳細は不明だけれど。
「自分やったら人間をそんな風に使わへんで。見逃してくれへん?」
「うーんと。私が人間なせいですかねえ。今のあなたからはあんまり悪意を感じませんけど」
「なら」
「でも自分がやったことに罪悪感がないのは駄目だと思うんですよ」
相変わらずポーカーフェイスのせいで、門土さんの表情は読めないけれど。でも私は傍迷惑でも必死だった蠏子さんたちを応援したくなった。
「被害者妄想って言われたらそれまでですけど。ほとんどのひとは被害者になっても、悪口を言ったらそれでおしまいです。でもたまに被害者が泣き寝入りせずに追いかけてくることはありますが、それは被害者の権利だから阻害しないでほしいなと思いますよ」
「えー。ひどい。ぼくは大人しく殴られときゃええのん?」
「でもあなたが先に言ったんじゃないですか。騙された方が勝手に徒党組んできたって。それって、騙してる自覚があるってことですよね? それはもう被害者妄想じゃなくって完全に被害者じゃないですか」
門土さんの表情は本当に読めないものの、このひとも詐欺師が天職過ぎて、なおかつ私に興味がなさ過ぎて油断してしまったのだろう。だからボロッとこんなこと言って。
私は首を振った。
「私もただの傍迷惑なだけなら付き合いませんでしたけど。切実そうだから付き合うことにしたんです。あなたもどうか付き合ってくださいね」
そう言っていた矢先だった。
「門土ぉぉぉぉぉぉ!! 見つけたぁ!!」
大声で足湯まで走ってきた姿が見えた。どう見てもそれは蠏子さんであり、足湯には似つかわしくない物々しい戦装束のままだった。
そして手に持っているのは……ペコンペコンとするスポーツチャンバラのプラスチックっぽい剣だ。
「仇討ち対象発見した以上、仇討ちします!!」
スポーツチャンバラの剣だったら、死ぬことはないかな。私はそれに少しだけほっとした。こちらも詐欺はよくないが、だからと言ってひと死にを見るのはいい気がしない。
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