温泉での出会い

 しばらくお茶と饅頭を食べてから、備え付けの浴衣を着始めた。ここの温泉は共用風呂以外にもあるのかな。足湯とかがあったら、脱がずにお湯に浸かりながら景色を堪能できるんだけれど。

 帯を少しもたもたしながら締めると、タオル類をもろもろ抱えて、早速出かけてみることにした。

 すずめがちゅんちゅん鳴きながら掃除をしたり会計を済ませつつ、妖怪なのか神なのかわからないひとたちが談笑している。

 そういえば、ここに通っている人たちはどこから来ているのかまでは聞けなかったから、あとで鶴子さんに確認しておこう。

 私がそう思いながらひとりで出かけると、突然ちょん、と浴衣の裾を掴まれた。


「おっとぉ……っ」


 思わずこけそうになるものの、私の下で目をうるうるさせている小さな子を見て止まってしまった。

 小さな男の子だ。備え付けの浴衣の子供サイズを着ている。そして手には豆腐を何故か持っている。

 これは……まさか。豆腐小僧か?

 ちなみに豆腐小僧は、手に豆腐を持っている以外取り立ててエピソードのない妖怪だ。要は無害。なら大丈夫だろうか。私は思わずしゃがみ込んだ。


「どうかした?」

「ま、いごになっちゃってぇ……」

「迷子? もしかして、他のひとと来たの?」


 豆腐小僧らしき子はコクンと頷くと、途端にピャッと泣きはじめた。待って。なにもしてないのにいきなり泣かないで。


「ど、どうしたのぉ、まだなんもしてないよね?」

「知らない、神様ばっかりで、こわくなっちゃって……どこ?」

「う、うーん……」


 私は辺りを見回した。

 談笑しているひとたちは、私だと区別が付かないけれど神様ばっかりらしい。だとしたら、この豆腐小僧らしき子の連れは妖怪なんだろうけれど、それらしき集団はたしかに見当たらない。

 妖怪の観光予定がどうなってるかわからないけれど、これはあおじや鶴子さんに一度確認取って、探してもらったほうがいいかもしれない。


「わかった。とりあえず宿のひとに聞いてみようか」

「本当っ?」

「私もお客だからどこまでできるかわからないけど、聞いてみるよ」


 そう言いながら、ひとまず豆腐小僧らしき子の手を引いて、カウンターを探しに行った。

 宿のカウンターは今は人の姿もすずめの姿も見当たらない。あれ、営業中にここに誰もいないのは、集団客の相手をしているからなのかな。

 でも困った。ひとの気配がないせいか、だんだん豆腐小僧らしき子も涙目の瞳にまたしても涙をうるうると溜めはじめた。待って。まだ見つかってないだけだから。


「泣かないでぇ……とりあえず従業員さんを探しに……」

「ああ、今団体客の案内でひとが足りないみたいですねえ。今は妖怪の慰安旅行と神様の凱旋旅行が重なっていますから」


 私はいきなり声をかけられ、思わず顔を上げた。

 真っ黒な髪に真っ黒なシャツ。そして白いカーゴパンツを穿いているちょっとしたおしゃれさんだった。髪型は癖毛と温泉から漂ってくる湿気で少しばかりモサッと膨らんではいるものの、そういうヘアアレンジと言ってしまえば信じそうな印象。

 さっきまで見かけた妖怪や神様はそれっぽい感じで見られたものの、このひとは人間なのか妖怪なのか神様なのか、一瞬では区別が付けられない。

 しかし、彼が声をかけてきた途端、豆腐小僧らしき子は私を盾に隠れてしまった……人見知り?

 私はそのひとと豆腐小僧らしき子を見比べつつも、おずおずと声をかけた。


「あなたは? 私はここの店主から招待を受けた客でして……今日初めて来たばっかりでなにがなんだかわかってないんですよ。この子は迷子」

「おや……江戸妖怪一座の子だね」

「詳しいんですね?」

「これでもここの宿の常連だからねえ。おいで。たしか江戸妖怪一座は、今は卓球大会しているはずだよ」

「ありがとうございます。よかったね、皆と合流できるって」

「う、うん……」


 私は誰だかわからない穏やかな足取りのひとについて、豆腐小僧らしき子と一緒についていった。

 彼の足取りは軽やかで澱みがなく、たしかに幸福湯に通い慣れているんだなという印象だ。私はそれを見守りながら、彼についていった。


****


「おや、まめた。駄目じゃないかい、いきなり迷子になったら。あらまあ、珍しい人間のお客さん。ありがとうございます」


 ペコペコと頭を下げてきたひとが、ミョーンと首を伸ばすので、私は思わず仰け反りながら「い、いえ!」と答えた。これはどこからどう見ても、ろくろっ首。

 まめたと呼ばれた豆腐小僧らしき子は、ぴゃっと皆に飛び込んでいった。

 髪型の髷からしてどう見ても江戸時代の妖怪らしき集団だ。お面で顔を隠した女性やら、やたら頭が大きな男性やらが、卓球場を借りて試合をしているようだった。

 ろくろっ首は私のほうに頭を下げた。


「ありがとうございます」

「い、いえ……ところで温泉って、全身湯だけですかねえ?」

「いんや? 露天風呂に向かう途中に足湯がありますよ。あそこからだったら、紅葉が見事なもんですから、一度どうですかねえ」

「それはいいですねえ」

「それとあんた」


 ろくろっ首は私たちを案内してくれたお兄さんにピシャンと言った。


「やらかしたら承知しないよ?」

「えっ?」


 私は思わずお兄さんに振り返ると、お兄さんは「おお怖い」とプルプル首を振った。


「なにもしやしませんよ。本当ですよ?」

「ここの店主が優しいからって、調子に乗って人間のお客さんにやらかすんじゃないよ」


 そう言いながら、ろくろっ首はまめたくんを連れて卓球大会へと戻っていった。

 私はなんとも言えない顔でお兄さんを見つめると、お兄さんは肩を竦めて「これは失礼」と笑った。


「自己紹介がまだでしたね。俺は雨野若彦あめのわかひこ。できれば下の名前で呼んでください」

「はあ……私は土岐奥菜です。あおじや従業員さんには奥菜さんと呼ばれてます」

「奥菜……なるほど。じゃあよろしかったら一緒に足湯に浸かりませんか? あそこで紅葉を眺めながら食べるふかし芋は格別なんですよ」


 ああ、そっか。

 温泉やってるところだったら、温泉の湯気や熱を使って、野菜や饅頭を蒸したり、卵に熱を通したりして売っている。それらを眺めながらの足湯はたしかに楽しそうだ。私は「いいですよ」と言うと、「なら行きましょうか」と若彦さんが案内してくれることとなった。

 それにしても。

 雨野若彦ってなんかどこかで聞いたことがある名前なんだけど、どこでだったかな。私は首を捻りながらも、ひとまずは露天風呂に向かう道を歩いて行った。

 外を歩くと、山と海の狭間なせいなのか、少しだけひんやりとしてくる。


「なんだか冷えてきましたね?」

「この時期でしたら、そんなもんじゃないですか。ああ、店出てますよ」


 見ると、温泉で蒸した野菜や饅頭、卵を売っているすずめがいた。すずめが卵を売っているのはいいんだろうかとは、今は考えないでおくことにした。


「いらっしゃいませ」

「やあ、ふかし芋をふたつください」

「ありがとうございます」


 私が慌てて財布を出そうとしたら、「いいですよ、ここは俺のおごりで」と言いながらスマートに若彦さんが払ってくれた。ふたりでふかし芋を持ってもうもうと温泉の湯気が漂う場所に出ると、やっと足湯の場に出た。

 長椅子は今はがらんとしていて、その正面には湯気で霞んだ紅葉と桜が見えた。


「うわあ、本当に絶景ポイントですねえ」

「そうですね。宿からも見られますけど、この冷気と湯気に当てられて見るのが、一番いいと思いますよ」


 そう言いながら、少しだけ裾をまくってから、足をそっと足湯に浸けた。最初は熱いとビクンと肩を跳ねさせたものの、だんだんとじんわりとした熱が上がってくる。


「きもちい……」

「幸福湯の湯はいいもんですよ。冷え性や健康増進に加え、美肌効果、生活習慣病、なんでも効きます」

「それはお得な感じですねえ……」


 まったりとした気分を感じながら、ふかしたてのふかし芋を割って食べた。

 ほっくりとした舌ざわりに、気のせいか芋の甘さが増している。


「おいしい……」

「野菜はいろいろ蒸してありますけどね、やっぱりここでは芋が一番いいと思いますよ。紅葉と桜を見ながら芋を食べていると、えもしれない贅沢さを味わえるかと思います」

「そうですねえ……でも他の野菜や饅頭も食べてみたいなあと思います。ひと月はゆっくりしてますから」

「へえ……」


 若彦さんはこちらをじぃーっと見てきた。

 私、なにかしたっけか。首を傾げながらも、ひとまずは絶景と芋に夢中になっていた。

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