ボーカロイドについて私が思うことをとりあえず書き殴ってみた

ゆーしん

第1話

         


 ※以下の文は、あくまで一個人の感想です。そのことに留意してご覧ください。


はじめに


 今回は、私のひそかなマイブームである「ボーカロイド」、通称ボカロのよさについて語っていこうと思います。ボーカロイドは今やポップスの一大ジャンルと化しており、YouTubeの再生回数が億を超えることもしばしばあります。ここではボーカロイドが人々の心をここまで引き付けるのはなぜかということについて、私が個人的に考えたことを挙げてみます。


 ボカロは、一言で言ってしまえばボーカルを含めた楽曲の要素を、パソコン上のソフトで制作すること、または制作された作品、もしくはそれに使われたソフトウェアなどの総称です。詳しくはDTMなど、少し複雑な話になってしまうので、ここでは「パソコンを使って作る音楽」程度の認識で結構です。


 


① ボカロは「ものまね芸人」であり「鳥獣戯画」

ボカロは人によって好き嫌いがはっきりと分かれるジャンルです。独特な歌詞や歌いまわしに感動する人もいれば、「機械が歌う歌なんて聞きたくない」という人もいるでしょう。しかし私は、その機械のような不完全さがボカロの魅力であり、最大の特徴であると考えます。例えるならボカロは、人類普遍のものまね芸人であり、現代に生まれた鳥獣戯画のようなものです。

 例えば、私たちがテレビを見ていると時々、「ものまね芸人」と呼ばれる人が出てきます。彼らの真似る対象は国民的スターであったり、人気芸人だったりします。しかしよく考えてみれば、「○○に似ている」という特徴はただの特技に過ぎず、それだけで芸人としてやっていけるかと言われれば少し不安な気もします。そもそも、特技を披露するようなオーディション形式の番組ならまだしも、なぜ彼らが普通のバラエティ番組にまで出演する範囲を拡大することができるのでしょうか。特有の言い回しや姿形が番組に必要ならば、わざわざものまね芸人を呼ばずとも本人が出演するだけで事足りるはずです。にもかかわらずものまねのほうを採用するには、ギャラが安く済む、本人が多忙や名誉のため出演を拒否する、などが挙げられますが、その場合「○○さんはオファーを断ったから、他の人を探そう」と考えるのが普通で、あえてそっくりな人を探してくる必要はないでしょう。つまりこの現象の原因は別に存在し、それこそがボーカロイドの特徴にも関わってきます。ズバリその原因とは「ものまね芸人は身軽である」ということです。彼らには失礼かもしれませんが、彼らは、模倣対象と比べて体を張ったり、軽い口を叩くことが多く、多くの場合、模倣対象よりも身近に感じることができます。

  さて、話をボカロに戻すと、ボカロのよさの一つは、「人に似ているが人にあらざる者が歌うことによってより身近で、親しみやすい音楽になる」ということです。言ってしまえば、人(模倣対象)が歌う声は音楽として楽しむのにはあまりにも生々しいが、ボカロ(ものまね芸人)の人に似ているけれども無味乾燥なあの声は、音楽を楽しむのに適しているということです。(次回に続く)

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