閻魔様

 屋敷の中には、たくさんの女性がいた。

 全員が白黒の着物を着ており、澄ました顔で辺りをうろついている。

 時折、彼女たちと目が合うと、全員が漏れなく嫌そうな顔をした。


 きっと、閻魔大王の影響だろう。

 男嫌いとの話なので、関わるなと口止めされているのかもしれない。


 やがて、鬼女に通された場所は、大広間だった。

 何十畳あるのか定かでない。

 見たこともない広さの部屋で、最奥には上段の間がある。


 時代劇で殿様が謁見する場所を思い浮かべれば、話は早いか。

 一番奥だけが他の場所と違い、床が高くなってるのだ。


 そして、上段の間には、すだれが掛けられていた。

 すだれで仕切られているので、相手の姿は見えないようになっている。

 一方で、向こうにはオレ達の姿が見えているようだった。


 大広間には、ピリピリと肌をなぞる殺気のような空気が漂う。

 両脇には薙刀を持った女性たちがいて、全員が人形みたいに正面を向いてジッとしていた。


絵馬えま様。こちらの者達ですが、何やら手違いがあったようでして。まだ息の根があるようです。如何致しましょう?」

「――殺せ」

「はっ」


 鬼女は頷き、オレの肩を掴んできた。


「ま、やめろって! なに? 何なの⁉ まだ話してないだろ!」


 危うく第二の腹パンを食らう所だった。

 身を捩って抵抗すると、最奥にいる腐れ外道は、「ふん」と鼻を鳴らす。


「男は男というだけで地獄逝き。それが嫌なら川に沈むのだな」

「へえ……」


 ゴリ松が額に血管を浮かばせ、股の物をぶらつかせながら畳を歩いていく。


 思えば、ここまで苦労してやってきたのだ。

 なのに、一方的に見下される物言いをされて頭に来たのだろう。


「確かに俺らは男だよ。でも、それと今話そうとしてる事は何も関係がない」


 毅然とした態度で、ゴリ松が言った。

 その後ろで、オレは住職にひそひそと話した。


「なあ。現世にもいるような、あの厄介な女性の、……さ。ほら。変な運動あるじゃん。やたら噛みついてくる、厄介な……。あれなのかな」

「幽世にも色々とあるでしょうからなぁ。こればかりは何とも……」


 勘弁してくれよ。


「では、どのようなご用件で? ……というか、なぜ脱いでいる。貴様らのせいで見たくもない物を見てしまったではないか」

「ふう。やっべ。……あー……キレそ……」

「落ち着け。ほら。あれだよ。具体的な例えは避けるけど、現世にもいる、あれな人だって」


 言っておくが、ゴリ松はが大嫌いなのだ。

 オレだって良い気分はしないけど、今の目的は現世に帰る事。

 機嫌を損ねたら面倒なことになる。


「いいか? 俺らは、帰りたいんだ。現世に帰りたいんだよ。頼むから、帰る道を教えてくれ。そしたら、いくらでも消えてやるよ。こんな世界いたくもねえ」


 まったくだ。――と、頷く一方で、オレは本当に自分が死んだ後の事を考えた。


 死んだら、今度こそ帰るなんて選択肢はない。

 そうなったら、一生この幽世にいなければいけない。

 目の前にいるだけで地獄を味わうような、閻魔大王にまた会わなければいけないのである。


「……うわ、死にたくねえ……」


 本気で生に執着した瞬間だった。


「帰りたい? あっはっは! バカを言うな。お前たちは死んだから、ここにいるのだ。今さら、帰る道などない」

「いや、あるだろ! 嘘吐くなよ! 生きてんのに、なぜかこっちに来ちゃったんだよ! 顔を見せろよ! ――!」


 オレはゴリ松に背中を向けた。

 住職は指と指を擦り合わせ、「あ、切れてる」と、親指の皮が薄っすらと切れていることを心配した。


 面倒くさい女は、噛みつけば噛みつくほど、ヒートアップすることをオレは知っている。


 だって、接客業をやっていたから、色々な客を見てきたもの。

 そういうお客さんだっている。


「……気が変わった。帰してやろうと思ったが、もういい。怒った。お前らは、地獄逝きだ」

「元から帰すつもりねえだろうが! ブス! お前、調子に乗んなよ?」


 鬼女が「何か飲みます?」と聞いてきたので、「いや、いいっす」と断った。飲んだら帰れなくなる。


 オレは鬼女と住職の二人に向かい合い、虚無の心で広間に響く罵詈雑言を聞き流した。

 住職は遠い目をしていたし、鬼女は爪が気になるようで、五指の爪を観察。両脇にいる薙刀のお姉さん達は、それぞれが天井を向いて、小さく嘆息をしている。


 きっと、日常茶飯事なのかもしれない。


「き、貴様ぁ! この、デブぅ!」


 バタバタと音がした。

 振り向けば、すだれを取っ払って、最奥からは一人の女が飛び出てきた所だった。


 金色の布を頭に被ったお姉さんだ。

 顔を真っ赤にして、手には木の棒を持っている。

 たぶん、お仕置き用の鞭か何かだろう。


「死を司る余に唾を吐くが如き言動! よくぞ申した! そこに直れぃ!」


 残念美人えんまさまは、長い裾に足先を引っ掛け、何度も転びそうになりながら、ズカズカとゴリ松の所へ歩いてきた。

 接近して早々、残念美人は手に持った木の棒を振り上げる。


「きええええええ!」


 ぴしゃんっ。

 ゴリ松の体を木の棒で叩くのだった。

 狂ったように叩く様は、女性が、怒りに任せて手足を動かす、奇怪な動きをするが如し無様な姿である。


「ぐえぁ! だだだ! いっだいっで!」

「この! 痴れ者がァ! 余はブスではないわ!」

「っせえんだよ、ブーーっふっ!」


 言いかけた途中で顔を叩かれ、ゴリ松が沈黙する。


「ふーっ、ふーっ。貴様らは、地獄だ! 地獄に落とす!」


 オレは一旦ミツバを下ろし、残念美人の傍で膝を突いた。


「殿下。どうか、お静まりください。この者は肥溜めより生まれし邪悪な輩。ですが、心は人一倍優しいゴリラなのです。どうか。何卒。殿下の寛大な御心でお許しください! しゃっす!」


 時代劇の見様見真似で平謝りし、オレは土下座をした。


「ふんっ!」


 その直後、頭に何かが乗ってきた。


「ならんなぁ」

「そこをどうか! しゃっす!」

「ダメだ。余の気が収まらぬ」

「ご無体な!」

「リョウ。……お前、上手いな」


 接客業を舐めないでほしい。

 確かに業務は軽作業かもしれない。

 ただ、精神的負担は他の業種に引けを取らない。

 ランダムで嫌な事が起こる、最悪の業種だ。


 現代の修羅場で培った精神力と、矛の納め方を大方学んでいたオレは、相手への出方がまあまあ分かっていた。


「そうだな。どうしても許してほしいのなら……」


 頭から足が離れ、少しだけ顔を上げる。

 残念美人はにやりと笑い、オレを見下ろす。


「罰を受けよ。貴様ら男三人だ。そこの女は免除」

「罰ですか?」

「あの、それを達成したら、帰してくれるんですか?」

「ああ。……考えてやる」


 オレはすぐに起き上がった。

 今の一言は、カチンときた。


「あっは。何言ってるんですか? 考える? いやいやいや」


 残念美人の隣に立ち、オレは怒りを堪えて説得した。


「考える、じゃない。やるんだ」

「き、貴様。勝手に立つな!」


 今の一言には、住職も思う所があったらしい。

 腕を組んで前に出てきた。


「んぅ、ダメですねぇ。考える。なるほど。ということは、あなたのさじ加減で我々は解放されないわけだぁ」


 続いて、回復したゴリ松が立ち上がった。


「映画だと、バッドエンドだ。ふざけやがって」


 オレ達はどれだけ泥を啜ろうが、バッドエンドにはいかない。

 必ず、ハッピーエンドを迎えるために、何度でも立ち上がるのだ。


「罰は受けますよ。ウチの連れが悪いですから。でもね。アンタ、そこまで言ってはダメだ。やるって言ってください。沽券こけんに係わりますよ」


 残念美人が口を尖らせて黙り込んだ。

 オレ達より背丈は高いが、必死さはオレ達の方が上だ。

 オレ達は全裸で見せたくない物を見せているが、取って食おうってわけじゃない。


 それが分かってるから、両脇のお姉さん達は薙刀の穂を向けてはいるが、掛かってこないのだ。


「リピート、あふたぁ、みぃ。……やる。帰してやる。――カモン」

「ぐ、むぐ」

「閻魔様。お願いしますよ。あなた、上の立場でしょう。やるって、言いなさい。ほら」

「……むう……」

「意固地になんなって。ちゃんと言質を取らせてくれ。そして、約束は守ってくれ。それで済む話じゃねえか」


 閻魔様相手に、オレ達は一歩も譲らなかった。

 拗ねた子供のようにむくれて、なぜかチラチラと住職の後ろを気にしている。


 後ろには、鬼女が立っていた。


「いいんじゃないですか?」


 小首を傾げ、鬼女が諭す。

 すると、諦めたように閻魔様は頷いた。

 歯を剥き出しにして、心の底から嫌そうに、「帰す」と確かに言ったのである。


 約束は守るために、あるのだ。

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