断罪の屋敷

難関

 川は静かなものだった。

 オレ達が乗った小舟は棒で底を突いて、移動するタイプのもの。


 川の上には薄っすらと霧が掛かり、見通しが悪い。

 視界が悪い中で、遠くに見える明かりは、良い目印だった。


「なあ、言っていいか?」

「言わなくても分かってるけどな」


 ゴリ松は前に乗り、オレとミツバは後ろ。

 住職は真ん中で膝立をして、棒を操作していた。


「なんかさ。手……みたいの……見えるんだけど……」


 ゴリ松は苦い顔で水面を見つめる。

 実は水面には、白い手がいくつも見えており、これが波を起こしている原因であった。


「この者達は、川を渡れなかった者ですよ」

「どういうことだ?」

「川は三つの行き方があると言います。一つは、緩やかな流れの川を渡る事。二つ目は、激流を渡る事。最後の一つは、今我々が行っている通り、渡し舟を漕ぐことです」


 つまり、そのどれもが全うできなかった人達がいるわけだ。


「情けは無用です。生前に罪を犯した者は、罪が重ければ重いほど、渡ることができないのです」

「なるほど」


 住職の話を聞いて、さすがだと感心した。

 三途の川という存在は知っていても、渡り方まであるとは思わなかった。


「見えてきましたねぇ」


 渡し舟で川を渡れば、目的地はすぐそこだった。

 近づくにつれて、白い靄が薄くなっていく。

 やがて見えたのは、聳え立つ岩の城。


 船着き場から目で辿ると、ジグザグに上へ伸びた階段があった。

 階段の先には、木製の大門。


「あの先に、……閻魔ちゃんがいるのか」


 ゴリ松は真剣な顔で、膝立をした。

 住職に背中を向ける形で、ゴソゴソと下腹部を弄る。


「お、っと。そうですねぇ。では、私も」


 住職は棒をオレに渡すと、ゴリ松同様に膝立で用を足し始めた。


 ミツバは見ないように、オレの肩に顔を埋める。

 黄金の滴が落ちると、水面には続けざまに大きな波紋が広がった。

 二人はお経を唱えている時と同じ、涼しい顔で遠くの霧を眺めている。


 言うまでもなく、ミツバは本気で嫌がっていた。

 実を言うと、オレも用を足したい。

 だが、ここで用を足せばミツバのすがるものがなくなる。


「あ”、あ”ー……」

「氷みたいに冷たい水に長時間浸かっていたんだ。そりゃ、う”っ、出るよなぁ……」


 ミツバに抱きしめられる感触だけが、オレにとって救いだ。

 ミツバに見えないよう、オレは股間を握りしめ、必死に尿意と戦った。


「お前らな……」


 言いかけて、オレは船着き場に目をやる。

 舟を寄せるための桟橋があるのだが、そこには灯篭があった。

 霧のせいでよく見えなかったのだが、明かりの傍には誰かが立っている。


「おい。人だ」

「え”っ?」

「お”、お”っ、ぉー」


 二人は桟橋の方を向いた。

 目を凝らして、よく見てみる。


「ダメだ。よく見えねえ。どれ。ちょっと漕ぐか」


 ミツバの手を握りながら、オレは片手で棒を底へ伸ばした。

 舟の揺れで落ちないよう気を付けながら、舟を少しずつ、桟橋に寄せていく。


 明かりの傍にいたのは、黒い着物を着た美しい女性だった。

 金色の髪をしていて、透き通るような白い肌をしている。

 猫のように尖った目が見えるが、何やら険しい表情を浮かべていた。


「なんだ? 何か、嫌そうな顔してるぞ」

幽世かくりよ女子おなごは、死者に対して厳しいのでしょう。う”、まだ、出る……っ! あ”ー……」


 金色の髪は、頭の横で束ねていて、何とも可愛らしい人だった。

 若干、ギャルっぽい感じがする。

 もしも、現世の文化が死後の世界に対しても影響を与えているのなら、有り得ない話ではない。


「なあ。閻魔様も金髪だっけ?」

「確か言ってたな」

「てことは、あれか? 俺たちを裁くのはギャルってことか?」


 ギャルを下には見ていないが、変な感じがするな。

 心がもやもやする。


「現世に帰してもらうだけだ。裁きは受けねえよ」


 棒で突いて桟橋に寄せる。

 舟はゆっくりと桟橋の側面に付き、女が近寄ってきた。


 そして、着物から伸ばした白い脚が舟を踏み、ゆっくりと戻していく。


「いやいやいや! 待ってくれよ!」

「何やってんだァ!」


 まさかの門前払いである。


「オレ達は怪しい者じゃない! 見りゃ分かるだろ!」


 局部を丸出しにした男が三人。

 生乾きの患者服を着た女が一人。

 どう見たって、ただ事ではなかった。


「地獄は、この川を下って、さらに下へ進んだ先にあります」


 落ち着いた声色で、女が説明する。


「はあ? ちっげぇよ! この屋敷に用があるんだよ!」

「閻魔大王に会わせてくれ! ちゃんと事情があるんだって!」


 棒で底を突き、舟を安定させるが、女がやたらと足で押し返そうとしてくるため、棒を離した途端に船が揺れてしまう。


「何の御用ですか?」

「現世に帰してくれ! オレ達は死んでない!」

「ああ。こんなに元気ハツラツな死者がいてたまるか!」


 しばらくの間、女は無言でオレ達を睨んでいた。

 顔をジロジロ見たかと思いきや、下の方を見て嫌悪感が露わになっている。それから、ミツバの方を見ると、嫌そうな表情のまま、後ろに下がった。


「……現世……。つまり、常世とこよですか」


 また蹴られる前に、住職とゴリ松を先に桟橋へ上がらせる。

 舟をゴリ松に押さえてもらい、オレはミツバを背負って桟橋に上がった。


「帰る方法は、ここに来れば分かるって鬼から聞いた」

「閻魔大王に会わせてくれ」

「絶対に何もしないから。頼む!」


 女を取り囲むように、桟橋の入口側には住職が立ち、反対側にはゴリ松。正面にはオレが立った。


「御仁。どうか話を……」


 住職がさりげなく、手を握ろうとする。が、すぐに手を振り払い、女は自分の身を抱いた。


「あの、触らないでください」

「冷たい事言わないでくれよ。俺ら、目的を果たしたら、すぐに帰るんだって」


 今度はゴリ松が肩に触ろうとする。

 その矢先、女が手を振り上げて、拳をゴリ松の頬に叩き込んだ。


「んぐえぇ!」

「き、キモいです」


 最後に同じく、フルチンのオレが正面に立ち、説得を試みる。


「後生だ。話を聞い――」


 ズム、と拳が腹に減り込んでくる。

 懐かしい感触だった。

 内臓が圧迫される苦痛。


 散々、ミツバにやられた腹パンである。


「お、……おぉ」


 素人じゃねえ。

 こいつは、何か武道を嗜んでる。

 的確にげん骨がみぞおちを捉えて、メリメリと潰してくるのだ。


「ふ、二人とも。ダメだ。こいつ、武道やってる。勝てねえ」


 二人は恐れた。

 物理的に強い女は、NGなのだ。


 ミツバと一緒に前へ倒れ込んだオレは、歯を食いしばった。


「話すら、聞いてくれねえのか。アンタ、今まで誰にも助けられた事がなかったのか?」

「情に訴えるのやめてください。本当に嫌いです」

「アンタ、昔はそんなんじゃなかったはずだ!」

「あ、あたしの何を知ってるんですか?」


 額を床に擦り付け、オレは二人と交互に見つめ合う。

 特にゴリ松は舌で頬の内側を舐めて、「ダメだ」と口パクで訴えてきた。


 恐らく、オレ達にとって最大の難関が、目の前にあった。

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